百人の友達、独りの親友

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 小学校に入学すると、大人たちは呪いの言葉を口にする。  友達を百人作りましょう。  そんなに友達を作ることが出来たら、梢は悲しいを想いをしていない。  梢に百人の友達より、一人の親友の方がよっぽど大切だった。  どうして、彼女を守れなかったのだろうか。屋上から身を乗り出しながら、梢はじっと地上を見つめる。  屋上から見える校庭は、アスファルトに固められて鈍色の光を放っていた。冬の寒さが、その輝きを冷たいものにしている。  あそこに彼女は落ちたのだ。コンクリートに広がる大量の血は、見る見るうちにどす黒くなって、屋上にいた梢はその場から逃げ出していた。  彼女の後を追うことすらできなかった。たった一人の友達だったのに。  彼女と出会ったのは、いつだったろう。  美術の授業で、先生の指示により梢たちのクラスはペアと作ってお互いの顔を描くように指示されたことがあった。  話下手で、誰からも相手にされない梢のペアになってくれる子はいない。仕方なく自画像を描いていると、周囲のクラスメイトからひそやかな嘲笑があがった。  ——上手いね。描いてよ。私のこと。  そんな梢に彼女は声をかけてくれたのだ。それが、明との出会いだった。授業にすらめったに出ない。学校でも有名な不登校児だった。  どうして彼女がそこにいたのか、梢は分からない。後から理由を尋ねても、明は、美術の授業だけは面白いから出てるんだと笑いながら答えただけだった。  それから、寂しくなるといつも明の通う相談室に顔を覗かせていた。  勉強が遅れ気味な彼女にノートを見せてあげたり、嫌なクラスメイトの悪口を言い合ったりもした。  何よりも楽しかったのが、明が梢を描いてくれたことだ。梢をモデルに、彼女はいろんな絵を描いてくれた。  彼女の描く絵の中で、梢は海に棲む人魚になったこともある。あるときは、森に潜む妖精にとして描かれたこともあったし。美しい羽をもつ天使の自分を見たときには、思わず息を呑んだ。  ——どうして私を描くの?  そう梢に尋ねると、  ——あなたを描きたいから。  そう言って、明は微笑む。そんな二人の関係が壊れたのは、あの瞬間だった。  明のスケッチブックを、クラスメイトが取り上げたあの瞬間。授業をさぼって何をしているんだと彼らは笑いながら、明のスケッチブックを取り上げ、そこに描かれた梢の姿を笑おうとした。  だが、彼らは何も言わずにスケッチブックをコンクリートの床に落としたのだ。なぜ、彼らがスケッチブックを落としたのか梢にはわかる。明の絵は笑えないほどに美しく、繊細だったからだ。  それが余計に気に食わなかったのだろう。彼らはふざけるなと怒りながら、スケッチブックを踏みつけた。  何度も、何度も。  そんな彼らに明は言ったのだ。  やめてほしい。スケッチブックを返してほしいと。そんな明に彼らは言った。  ———死ねば。そしたら遺品になって戻ってくるよ。  その言葉の通り、明は屋上から身を投げたのだ。   「明……」  涙を流しながら、梢は明のスケッチブックを抱きしめる。彼女はスケッチブックを梢に託し、屋上から跳び下りていった。  ——私が死んだら、二度と私たちにちょっかいだしてこないでよ!  そう笑いながら落ちていった明の姿を思い出してしまう。ますます涙が込み上げてきて、梢は悲しさのあまり膝をついていた。  自分はこの高さから跳び下りる勇気すらなかった。明は、自分を守るためにこんな場所から跳び下りてくれたのに。明が跳び下りてから、梢に嫌がらせをする人間はいなくなった。  梢の将来を考えて、彼女はここからわざと跳び下りたのだ。  自分は、相談室の外に明がいても声すらかけなかったのに。声をかければ、その都度クラスメイトからお前も学校をサボりたいのかと嫌味を言われた。  彼らに嫌われたくない。そんな一心で、梢は笑いながら明が独りぼっちにならないように相談室に行ってるんだと彼らに話した。  そんな残酷な自分の言葉すら、彼女はクラスメイトの眼の前でそうだよと笑って許してくれたのだ。  もし、百人の人間がいたら梢は百人の人間の味方をする。そうしなければ、彼らに何をされるかわからないから。  でも、明は百人の人間ではなく、たった一人の人間の味方をするだろう。  自分の大切な人の味方を。 「あの……私、殺されてない?」  ふと、聞きなれた声がする。驚いて梢は背後へと振り返っていた。  明が、立っている。ここから跳び下りて、いなくなったはずの明が。 「明……」 「うん、言ってなかったっけ。昨日退院したんだ。それで、梢に挨拶をしたくて学校に来たんだけど……。私、死んでる設定?」 「あきらぁ!」  叫びながら、梢は明に抱きついていた。え、何と混乱しながらも明は梢を抱きしめる。 「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」 「ちょっと待って。なんで梢が謝るの? 悪いのは私。あいつらを驚かせようと思って、下の階のベランダに着地し損ねて落ちちゃった私のせいでしょ? 先生にも親にも、こっぴどく叱られたよ」  ぐりぐりと梢の頭をなでながら、明は苦笑する。そんな明を見つめながら、梢は言葉を発していた。 「でも、あの子たち……」 「いや、なんか病院で土下座までさせられてたよ、先生たちに。もう、私たちに絡んでくることはないんじゃないかな?」 「そんなことがあったの?」 「うん、びっくりした。本人たちもごめんなさいってすっごく泣いてたし、何にも言えなかった……」 「そうなんだ……」   ぎゅっと明を抱き寄せ、梢は鼻をすする。明は、梢が何もしなくても目の前の障害すら跳び越えてみせる。その障害となった人間を許せる強さを持っている。  自分も、そんな明のように強くなりたい。 「今度は、私が明を守るから……」  決意を口にする。 「守ってくれるの? 王子さま」  顔をあげると、笑う明の顔がそこにある。そんな明に、梢は微笑み返していた。  今度こそ自分が守るんだ。  百人の友達よりも、かけがえのない一人を。  今度は自分が、明を絶対に守ってみせる。  
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