百足坂

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 この村では、村の中心にある寺が集会場も兼ねていて、月に一度の割合で村人が集まる。その日は祭りの内容を話し合う為に、村人の全員に集合がかけられ、まだ幼い祐二達も親に連れられて集会に向かった。 寺は土足厳禁である。“彼女”は祐二より先に進むと、備え付けの上履きを二足手に取り、片方を祐二に差し出した。 やや色褪せたモスグリーンのスリッパ。祐二はそれを受け取って履いた  ――履いた瞬間ツキン、と右足の親指に痛みが走った。   最初は何か刺さった、という感覚だったのに…一拍置いて襲い掛かったのは立っていられない程の激痛。その場で尻餅をついて、足を抱えて叫んだ。  ―――痛い、痛い、痛いよぉっ!  祐二の傍で“彼女”はおろおろと慌てだし、何事かと先に入っていた親やすでに集まっていた大人達が集まってくる。転ぶ際に脱げた上履きから――うぞうぞ・・・と蠢くナニかが顔を覗かせた。艶光する長い体、鋭い顎、オレンジ色の無数の脚。   這い出てきたのは大きな百足だ。あの、見るもおぞましい生物に噛まれたのだ、と理解すると同時に、祐二は火が付いたように泣き喚いた。  パニックに陥った祐二に、大人達はからりと笑って「なぁんだ、百足か」とあっさり。寺の住職が部屋を一室貸してくれ、「百足に噛まれた時は百足油を塗ればいい」と、茶色い液体の入った瓶を持ってきた。 その液体の中に、ぷかりと浮かぶ黒々とした百足の姿を見て、祐二は更に泣いた。  瓶の蓋が開けられた時はその百足が這い出てくるかと思ったし、噛まれた指先に茶色い液体を塗られた時は、何か悍ましいものに触れた気がして、とても落ち着けるものでは無かった。  以降、未だあの経験が色濃く祐二の中に残っている。今でも上履きに履き替える時は、それがどこであれ、ひっくり返して底を叩いてから履く。  “彼女”は。あの時“彼女”が何をしていたかといえば、やはりずっと祐二に付き添っていた。百足が上履きから這い出てきた時は、その姿が寺の外と消えていくのをじっと睨んでいたし、百足油を塗られた時は、噛まれた足の親指を無言で見つめていた。  山を背後に抱えるこの村で、百足に噛まれたなんて話は珍しくも無い。あの後、ある大人などは、寝ている時に天井から落ちて来て顔を噛まれた事がある、などと自慢げに話してくれた。けれど祐二にとってはあれが初めての経験であり、衝撃だった。  あんな大きくておぞましい虫が潜んでいた上履きの中に、祐二は何の警戒も無く、無防備に自分の足をつっこんだのだ。
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