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この百分後。
「この街の治安もかなり悪化してるみたいだし、お前ももう少し警戒しろよ」
夫は白々しくそんな事を言った。何よ、と私は思う。私のことなんかもうどうでもいいくせに、と。そうやって心配して、妻を気遣う良き旦那を演じたいだけのくせに、と。
彼と結婚してから半年。まだたった半年だというのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。もう一ヶ月も、していない。昨日だってそうだ、今日こそはと私は張り切って真っ赤なランジェリーを着て、化粧をばっちり決めて彼を待っていたのに。開いた胸元を見せつけて、それとなく彼の腕に豊満なそれを押し付けて。今までこの私が、ここまで露骨に男を誘ったことなどない。どんな男も、私が一発微笑んでしなだれかかればオチないことはなかった。彼だって、最初はそうだったはずである。
それなのに、彼は“疲れてるから”とそれだけ言ってさっさと風呂に入り、御飯も食べずに寝てしまった。後に残されたのは、誘惑したのにそれをすげなく断られ、気合を入れすぎた格好をした私という実に情けない構図である。ここ最近の彼はずっとこうだ。仕事が忙しいから、とろくに私に構ってくれる様子もない。深夜に帰ってきて、場合によっては風呂にも入らずベッドに直行してしまう始末である。
――そんなに仕事が大事!?こんなに私が誘ってるのに無視して、仕事仕事仕事、そればっかりじゃないの!!
子供も欲しいが、それ以上に体が飢えて仕方なくなっていた。淋しい淋しいとこんなにも訴えているのに、どうして彼は気づいてくれないのだろう。腹は立っても、下半身が熱を求めて疼くのはどうにもならない。昨夜は眠る彼の横で、しなだれかかりながら下着に手を入れて慰めてやった。それなのに彼は起きるどころかイビキを掻いて眠り続けるのだから、不全にでもなったのかと本気で疑いたくなったものである。
思い出すのは、初めて出会った夜のこと。お互い孤独に耐え兼ねて、同時に破裂しそうな欲望と酒の魔力に溺れて――出会って一晩で、抱き合うことになった。相性は、最高だった。あんなにも力強く私の腰を抱き、勇ましく突き上げてくれた男は他にはいない。首も、胸板も、腕も、足も――それから、まるで巨塔のように聳え立つ彼自身も。何もかもが私の全身を満たし、溺れさせてくれたものである。
浅ましいと言いたければ言えばいい。私が彼と結婚した理由の半分は、彼とのセックスの味を覚えてしまったからなのだから。
――それなりに経済力もあるし、見た目も悪くないし!だからこの私が結婚してやったっていうのに……何でそんなにつれないっていうのよ!!
そのくせ、私が早朝から出かけようとするのを見ると、起きだしてきてはこの忠告である。確かに、この街を今支配しているのは実質マフィアだ。銃の乱射事件が起きたのもつい最近のことだし、女子供が行方不明になることも珍しくないのはわかっている。レイプされた挙句、獣に喰い散らかされたような半壊死体になってゴミ捨て場に転がるなんて事件もあった。女どころか、男でさえ暗い時間に出歩くのは危ないというのは私だってわかっていることである。
だから、夜ではなく早朝に出るというのだ。これが私なりの最大の譲歩だった。まだ薄暗い時間でなければ、出会えない出会いがある。何で夫はそれを分かってくれないのだろうか。
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