この百分後。

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「……マスター。あれ、あの人……誰?」  上ずり、ひっくり返った声が出てしまう。  多分、マスターはわかっていたのだろう。彼を見つけたら私がどんな反応を示すのかを。  マスターは苦笑しつつ、ほんの少し嫉妬を滲ませた声で告げた。 「気づいたか。三日前からこの店に来てるんだ。海の向こうから来たらしい。いい男だろう?何でも“百人斬りの男”なんだとよ」 「百人斬り?」 「子供の頃から、女が途切れたことがないってことだろうさ。ハンサムっていうのはいいねえ、実に羨ましい」  確かに、その男は――店にいる誰よりも魅力的な姿をしていた。シャツから突き出した二の腕はぱつんぱつんに筋肉が張っており、健康的に浅黒く日焼けしている。夫も長身だったが、彼は夫よりもさらに縦も横もある印象だった。シンプルな白いシャツにズボン姿だが、それだけに胸元に下がった質素なネックレスがセンスよく映えている。彫りの深い顔立ちに顎鬚を品良く生やした彼は、私の視線に気づくと、にっこりと笑ってカウンターの方に近づいてきた。 「やあ、こんにちは綺麗なお姫様。……マスターに君の話は聞いていたんだ。是非ともお目にかかりたくてね。やっと会えたよ」 「やっと会えた?三日前に此処に来たばっかりじゃないの?」 「その三日間が、俺にとってどれほど長かったか分かるかい?マスターってば、詳しいことは何にも教えてくれないんだ。この街一番魅惑的な美人の髪の色も秘密と来た。俺は此処で待ちながら一人寂しい妄想をするしかなかったのさ。ブロンドか、ブラウンか、それとも闇さえ吸い込むほどのブラックか……。こっそりブロンドに賭けていたんだが、当たっていたようで嬉しい。しかも瞳は……吸い込まれそうなブルーの宝石だ」  キザな台詞で、男は私の容姿を褒め称える。わかりやすいまでのお世辞ではあったが、それでも悪い気はしない。私は鼻を鳴らして、それで?と問い返す。 「そんな安い言葉で私の心はオチないわよ。他には?もっと言うべき言葉はないのかしら?」  わかりやすく谷間の汗を拭う仕草をしてやれば、男はニヤリと笑って返す。 「あるとも。……ああ、君のその柔らかい胸に吸い付く権利を持つ男はどれほど幸運なんだろうね。舐めて、噛み付いて、どんな味がするのか想像するだけでたまらないとも。ああ、でもその前に、君の芸術品のような全てが知りたいな。何もかも写真に収めて、麗しい君を永遠に俺一人のものにしてしまいたいと思うよ。ゆっくりじっくり、弱火で煮込んで料理してやったら……君はどんな艶やかな声で啼いてくれるんだい?」 「それは貴方次第ね。貴方はどうやって、私を愛してくれるのかしら?」  マスターに何処まで聞いていたのやら。最初の最初から、男は実に積極的に攻めこんでくる。女によっては、露骨にセックス目当ての男など嫌煙してその場を立ち去ろうとすることもあるだろう。でも、私は違う。それ相応の見目と強靭な下半身も持ち主で、私の美しさを認めて、丁寧に愛してくれる男ならば――初見でもなんでも関係ない。なんせ、私も最初からそのつもりでこの場に来ているのだから。
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