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「いや~、井岡くん、背が高くて助かるよ。僕一人だと、小さすぎて見つけてもらえないんだよね」
午後三時の待ち合わせ時間。その四十分前から、勝弘はサマースーツを着た橋本という男と、プラボードを持って立つ。
(なんで岩田、こんな楽なバイトを俺に譲ったんだろ)
軽井沢のコテージで、二泊三日に渡って行われるイベントスタッフを、勝弘は岩田に押しつけられた。
蒸し暑い都内を脱出して、カラリと爽やかな空気と緑の鮮やかな軽井沢で涼みつつ、給料までもらえるなんて、最高じゃないか。
泊まりがけのバイトということで、どんな激務だろうかと不安だったが、説明を聞いてそれもなくなった。
清掃と食事の準備が主な仕事で、普通の接客業と、ほぼ変わらない。自由時間には、観光をしてもいい。
『申し込んで採用されたのはいいんだけどさ、働く資格がなくなっちゃったんだよねえ』
勝弘の持つプラボードには、「失恋百物語」と書いてある。
本家百物語になぞらえて、暗くした部屋で、各人がろうそくを灯す。そして一人ずつ、失恋話をして、火を吹き消していく。
それによって、新しい恋に向き合う気力を取り戻そう……と、アルバイト資料には書いてあった。
恋人のいない男女という参加資格は、スタッフにも適用される。当然、隣で汗を拭きつつ名簿と参加者の照合を行っている、イベント会社の社員である橋本も、フリーだ。
岩田は、スタッフとして採用されてから、彼女ができてしまったのだ。意外と、というか、彼は恋多き男である。彼女が変わるスピードは、勝弘には劣るが。
そして困り果てて、勝弘に代理を依頼してきた。
(しっかし、彼女できてこれから金かかるんだし、嘘ついてでも来ればよかったのになあ)
勝弘のそんな考えは、参加者が集まってくるにつれて、打ち砕かれた。
「失恋」と「百物語」という言葉の印象は、どちらも暗い。勝弘は勝手に、どんよりとしたオーラを背負った人々が参加するのだろうというイメージを抱いていた。
だが、集まってくる参加者たち、特に女性陣は、夏の軽井沢旅行を目いっぱい楽しもうとしていた。東京よりも涼しいのだから、そんなに露出しなくても、と思わず閉口してしまうような装いの人間もいる。
スタッフである勝弘をちらちらと窺うその視線に、ようやく自分の思い違いを知る。
(これじゃ、まるで……)
「合コンじゃん」
そう、合コン。
勝弘の思考を読んだのかと思うほど、同じタイミングで言葉を発した青年が、最後の参加者だった。
顔を上げて、「受付はこちらです」と爽やかな笑顔を浮かべる。が、すぐにその口元は、ひくりと痙攣した。
プラボードで顔を隠し、橋本の持つ参加者名簿を確認する。
よく似た他人の空似かもしれない。そう、淡く期待をした。
白坂直樹。
……ああ、見間違いじゃなかった。
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