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冷や水を浴びせられる。リアルに経験したことがある人間が、何人いるだろう。
ぽたぽたと髪の毛から雫が滴り落ちるのを、他人事のように勝弘は眺めながら思った。
ひと昔前のドラマでしか拝めないシチュエーション。まさか、自分が主役になって、学生食堂の中心で再現されるなんて、思ってもみなかった。
勝弘を水浸しにしたコップが、机の上に叩きつけられる。プラスチックだから割れずに、間抜けな音を立てるだけだ。
座ったまま、勝弘は、今この瞬間に「元カノ」になってしまった彼女を見る。頬が上気していて、目がギラギラしている。
ベッドにいるときだって、この子はこんな風に情熱的な視線を向けてくれることはなかったのに。いつだって、恥じらっているフリで、勝弘には本心を見せないようにしていた。
(きれいだな)
勝弘は彼女に対して、そんな感想を抱いた。
負の感情であっても、顔に出る人間は、無表情な人形よりも美しい。
人工知能がいくら「心」を学んだとしても、非言語で周囲にわかるように表現することができるようになるには、まだ時間がかかるだろう。
「最低」
言い訳ひとつせずに、ぼんやりしている勝弘に静かに告げて、彼女は背を向け、食堂から出て行った。
広い室内に満ちた緊迫した空気が、徐々に外側から緩んでいく。
勝弘も、いつまでも濡れたままでいるわけにはいかない。溜息をついて、鞄の中を漁っていると、タイミングよくタオルが目の前に差し出された。
「水も滴るイイ男ってか?」
「岩田」
軽く眉間に皺を寄せてにらみつけると、「冗談冗談」と彼はタオルを、勝弘の頭にばさりと載せた。
慌ててタオルを頭から取り去り、勝弘はくんくんと臭いを嗅いだ。
雑巾臭くない。よし。
遠慮なく、勝弘は髪の毛を、わしわしと乱雑に拭いた。
「おい。俺はバイキンかよ」
「冗談だよ」
勝弘は笑ってやり返した。
正直、手持ちのハンドタオルでは間に合わないほど、もろに水を被ってしまったので、彼の助けはありがたかった。
「サンキュ。洗って返すよ」
勝弘が自分の鞄に使用済みのタオルをしまうと、岩田は隣の席に腰を下ろし、大きく首を横に振った。
「いやいや。そんなの別にいいんだよ」
にやにやと笑っている岩田に、勝弘はすぐにピンと来た。伊達にこの男とは、短い付き合いではない。
学部一年生のときのオリエンテーションで話して以来、岩田とはつかず離れず、つるんできた。代返をしてやったことも、一度や二度ではない。
「で、そんな二ヶ月で振られちゃった井岡くんに、お願いがあるんだけどぉ」
「裏声キモイ」
ぴしゃりと言ってから、勝弘は話を聞く態勢を作った。
逆に勝弘が彼にしてもらったことといえば、特筆すべきことは何もない。
けれど、勝弘の研究目的を、笑うことも引くこともなく、普通に付き合ってくれるだけで、岩田は貴重な存在である。
そんな友人の頼みであるから、まずは話だけは聞いてやろうと思った。
快諾するかどうかは、それからでも遅くない。
まじまじとこちらを見ていた岩田は、溜息をついた。
「どうせいつもの理由で振られたんだろうけどさ……それにしても、あっさりしすぎじゃない? 水までぶっかけられてさあ」
「薄情者で悪かったな」
勝弘は肩を竦める。
浅い付き合いの友人たちに、合コンに呼ばれることが、勝弘はとても多かった。
女性側の幹事の力が強く、「いい男連れてきなさいよ!」と命令されたとき、困った男側の幹事から、声がかかる。
身長一八〇センチのすらっとした長身に、そこそこ整った顔。「読モみたい」という誉め言葉なのかなんなのかわからない形容をされることが多い。
だから合コンでは、同じく「読モっぽい」女に声をかけられ、交際に発展することもしょっちゅうだった。
でも、いつも長続きはしない。
長い付き合いの岩田は、告白されては振られている勝弘の姿を見ている。
「本当の薄情モンなら俺のことなんか、とっくに見限ってんだろ」
岩田の慰めに、勝弘は笑った。適当な性格の男だが、こういうところがあるから、勝弘は彼を切ろうとは思わない。
「で? 頼み事ってなんだよ」
話を促すと、岩田はパン、と両手を合わせて、「夏休みなんだけど、暇?」と、勝弘を拝んだ。
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