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トトトトト、トトトトト。小人が走り回るような音をたてながら、屋根や窓に雨粒が当たっています。とても楽しそうです。 窓の外は灰色で、昼間なのに家の中は薄暗く、けれども私は電気をつけません。テレビもなにもつけていなかったので、家の中に響くのは小人の雨音だけ。 私はリビングのソファにぼんやり座ってその音に耳を傾けています。そして心から思いました。 寂しい、と。小人が楽しそうにおどれば踊るほど寂しさは募ります。 手紙を書こうという思いつきが頭をよぎったのはそんな日でした。誰かに言葉と便箋と私の文字を受け取ってもらいたい。誰かの言葉と便箋と文字のお返事が欲しい。そうすれば少しはこの寂しさが和らぐかもしれません。 けれども私の寂しさはたった一枚の手紙では埋めることができないほど大きく育っていました。だから私は決めたのです。手紙を100通書くことを。 私は早速玄関を出て傘を差し、封筒と便箋を買いに行きました。どれを買おうかしらと陳列棚に目を走らせていると、久しぶりにうきうきした心地になりました。 結局、私が選んだのは無地の便箋と封筒でした。季節の花があしらってあったり、可愛らしい動物のイラストが添えてあったり、素敵なレターセットはたくさんあったのですが結局私が惹かれたのはただ白い、何もない、そっけない無地の紙。でもそんな紙だからこそ、そこに文字が踊った時にとても美しく映えるのではないかと私は想像したのです。そして胸を高鳴らせたのでした。 私は10枚入りのそれを10セット購入し店を出たのでした。再び傘を開いた時、その拍子に雨粒が数滴右腕に降りかかりました。なぜだかその小さな感触、冷たさは腕に残り続けました。 私は100人に100通りの手紙を書くつもりでいました。間違ってもコピー&ペーストなんかでお茶を濁すつもりはありませんでした。 季節に混じる匂いのこと、動物園で虎の赤ちゃんが生まれたニュースのこと、おすすめのお菓子のこと、大好きな音楽のこと、宇宙の神秘のこと、私自身の人生のささやかな思い出話……書くことはつきません。その全てにこの胸に疼く寂しさを添えて、私は20歳の誕生日に父からもらった万年筆を走らせます。どんなによく晴れている日でも、万年筆を書く私の右腕にはあの雨粒の冷たさが感じられたものでした。 1日に3通または4通のペースで書くことを続け、1か月経つ頃には購入した封筒と便箋をほとんど使いきりました。 一通目の手紙は、挨拶しか交わしたことのないお隣の木村さんの郵便受けに入れました。2通目の手紙は10年以上会っていない高校時代の友達に。三通目の手紙はよく行くスーパーの店員さんに。 手紙を出したのは知り合いだけに限りませんでした。駅のベンチに手紙を置いてみました。街の掲示板に貼ってみました。いつか行ってみたい街の適当な住所を選んで送りました。風船につけて飛ばしました。瓶に詰めて海に流しました。 そうして手紙を出してしまうと、あとは返事を待つだけになりました。手紙の返事を待っている時間というのは、なんと楽しいものなのでしょう。私は少女の頃に戻ったかのように、朝昼晩わくわくしながら郵便受けを開く日々を過ごしました。 結論から申しまして、お返事をくれたのは37人だけでした。それはそうでしょう、紙に文字を書いて切手を貼ってポストに投函する、なんて面倒な手順を踏まなければならない手紙文化は廃れつつある時代ですし、見知らぬ人からの手紙なんて犯罪以外ではほとんどお目にかからない昨今ですし、風船や瓶に託した手紙はそもそも届いたかどうかすらわかりません。37通というのはかなり健闘した数字でしょう。 ただ、お隣の木村さんからお返事が来なかったのはちょっとショックでした。木村さんは私の手紙をチラシと一緒に捨ててしまったのでしょう。挨拶を交わすのもなんとなく気まずくなってしまいました。 それでも高校時代の友達とは10年ぶりに再会してささやかなティータイムを過ごすことができましたし、海沿いの街に1人きりで住むおじいさんと手紙将棋なるものを始めることができましたし、隣街の小学校の4年2組の子どもたちから元気なお手紙を貰えたりと、楽しいこともたくさんありました。 それなのに、私の寂しさは埋まらないまま。37通のお手紙を擦りきれるほど読み返しても、いやむしろ読み返すほどに、寂しさの穴は深く大きく広がっていくのです。食べれば食べるほどに空腹になるなんてこと、誰が予想したでしょうか?私は冷たい右腕をそっと押さえながら、リビングテーブルの引き出しを開け、最後の一枚の便箋に目を落としました。万年筆を持ち上げ、インク壺に浸します。100通目の手紙を書く私の右手は震えていました。 時間をかけてそれを書き終えた私は、手紙を出しに立ち上がりました。奇しくも今日も雨の日。部屋の中は昼なお暗く、雨音ばかりが響きます。けれども手紙を書こうと思い立ったあの日よりも雨の勢いは強く、大勢の小人が足を思い切り踏み鳴らしているかのようで、少し怖いくらいでした。 私は階段を上って右手に曲がり、突き当たりの部屋の前に立ちました。何者をも拒否するかのようにしっかり閉じられている木製のドア。でも鍵がかかっているわけではありません。私はドアノブに触れてゆっくりと押し開きました。 当たり前なのですが、部屋の中は無人です。カーテンがしっかり閉められているせいで真っ暗なその部屋を私は電気をつけることなく横切ります。そしてきちんと整頓された机の真ん中に手紙を置きました。机の辺と平行になるようにきっちりかっきり微調整してなるべく美しく置いてみます。別にそんなことをする必要はなかったのだけれど、私はなんとなくそうしたかったのです。 私は入った時と同じように静かに部屋を出て、扉を閉めました。そのようにして私は夫の部屋を後にしたのです。
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