02 - 四大陸のひとつカプラン大陸

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02 - 四大陸のひとつカプラン大陸

 四大陸のひとつカプラン大陸は、ビジャールやデニズリを有するオルルッサ大陸の北に位置し、その距離は他の大陸間と比べて著しく近い。  当然交易は活発で、人も物資も一年を通して多く行き来していた。  カプラン大陸の窓口としての機能を、大陸の半分以上を領土にもつヨルク国がほぼ独占している。  その最南端アイナール港に降り立ったアイディーンは、船旅の疲れもよそににぎやかな大通りの奥の役所へ足早に向かった。  もともと主国からの要請でカプラン大陸を目指していたマラティヤの二人だったが、こうしてアイディーンひとりがヨルクへ来ることになったのは、ビジャールから新たな情報を受けとったからだ。  かねてよりデニズリにはビジャールの間者が入りこんでおり、山中やバシュカでアイディーンも何度か会ったが、他にも各地に間者がおり首都バハールも例外ではなかった。  アイディーンが王宮を訪れアドゥ王子に面会したのも把握しており、それより以前、魔族の男が宮からスィナンの青年を連れ去ったのも当然目撃していたのである。  王子と別れたアイディーンに接触した間者は、魔族の男が北の大陸へ向かったと告げたのだった。  アイナール港はヨルクの重要な商業拠点のため大きな官庁があるはずだが、首都タトゥーリヤからはかなり隔たっているので、どの程度国としての体裁を保っているかはわからない。  ビジャールもそうだが、領土が広大だと国の権威や規律を隅々までいきわたらせるのは難しく、首都から遠くなるほど領主貴族の支配力が強まり、そうでなければ辺境と呼ばれ豪族が跋扈するようにもなる。  アイディーンは近海でとれる高価な二枚貝を惜しげなく使った純白の漆喰壁がまぶしい建物の前へ立って、色硝子と金春石がはめられた役所とは思えない豪奢な扉を押しひらいた。  ここには転移法術陣が設置されている。  役人たちのなかで上役らしい男をつかまえ、マラティヤの証を示して転移陣の使用許可を求めると、男は驚いて応接の間へアイディーンを通し、一度退出してから身分の高そうな男を先導して戻ってきた。  「これは珍しい客人だ。お初にお目にかかる。わたしはアイナールの統治を任じられているセルトゥ・クシュル子爵と申す」  四十歳ほどだろうか、はつらつという形容が似合う、貴族らしからぬよく日に焼けた相貌の男は、簡潔に自己紹介してアイディーンに着座をすすめると、自分も遠慮なくどっかりとソファに腰をおろす。  「大地のマラティヤ、アイディーン・シャルキスラと申します。お会いできて光栄です」  青年は型通りの挨拶をしたが、クシュル子爵は「ほう」と声を漏らして大きく膝をたたいた。  「いや、さすが主国シヴァスはシャルキスラ公爵のご子息、実に物腰が優雅でいらっしゃる。わたしなど十年近くもこの地で海の荒くれどもを相手にしてきたせいか、口も所作も粗野になるばかりだ」  がははと歯をみせて笑う男は、たしかに都のとりすました貴族たちとはだいぶ趣が異なるが、人格卑しからぬふうで、アイディーンの出自を正確に知っているところをみると、筋の確かな情報網をもっており、積極的に市勢を把握しているのがうかがえる。  人がつどい交易が盛んな場所では情報もまた多く集まり、それは商品にも武器にもなり得るのだ。  子爵はアイディーンがなにを求めているのかもわかっているようだった。  「大地のマラティヤがカプラン大陸へ渡ってきたということは、いよいよこの地でも魔属の暴虐が行われる予兆でも?」  「隣国サリプールから魔獣の発生の対処を依頼されていますが、先に解決しなければならない問題があります」  「それは妙な二人連れの魔族のことではないかな」  クシュルの言で、アイディーンはビジャールの間者の情報が確かだったと知った。  やはりあの魔族の男はカシュカイをともなってカプラン大陸に上陸しているのだ。  「目撃者がいるのですか」  「何件か通報があったのでな。基本的に単独で行動するはずの魔族が二人でいるというのも奇妙だが、目撃者の複数の証言から、わたしには二人連れのひとりは大気のマラティヤではないかという疑いがあった。アイディーン殿が訪ねてきたことで確信に変わったがね」  「……なぜ大気のマラティヤだと?」  「ビジャールふうの衣を身につけていたのと、奴隷のように髪を短くしていながら首の後ろに焼き印がなかったという話があったからだ。大気のマラティヤがスィナンの一族で、一時期ビジャールにいたのは、知る者なら誰でも知っている。そして奴隷の身分でもないのに、屈辱的な短髪でいさせているというのも。あとはまあ、勘だ。スィナンの知りあいがいるからな」  クシュルのもつ情報の正確さに感心するより、最後の言葉にアイディーンは反応せざるを得なかった。  研究機関にある検体や封印の地ならばスィナンとはいえ珍しくないが、知りあいという意味合いからはほど遠い。  青年の表情から疑問を察したクシュルは笑って言った。  「首都ほど人の多い場所ではないが、街で普通に暮らしている」  にわかには信じられない話だ。  シヴァスにもスィナンがいるという噂はあるが、市井で生活しているなど聞いたことがない。  「そのスィナンはひとりで暮らしているのですか」  「歳はどれくらいだと言っていたか、なんでもスィナンの一族封印以前から生きているらしい。ずいぶん可愛がっている人間の子供がいるとかで、なんの特例か知らないが、その子供のそばにいるのを許可されているんだとさ」  〈終の契約〉という言葉がすぐにアイディーンの脳裏をよぎった。  あの契約はスィナンの一族の秘事だ。  クシュルが知らないのも無理なかったが、子供とともに過ごす許可を与えられる立場の人間のなかに事情を知る者がいたのかもしれない。  「会ってみるか」  子爵は話ついでといったふうに提案した。  マラティヤの伴侶がスィナンだからという軽い理由だっただろう、その勧めはアイディーンにとって願ってもなかったが、いまは一刻も早くカシュカイを捜さなければならない。  他人の命に塵ほどの重みも感じない魔族の男の手のなかに彼がゆだねられている現状は、あまりにも危険だった。  断りをいれようとしたアイディーンに、子爵は続けて言った。  「そのスィナンはえらく長命で魔属についても詳しい。アイディーン殿に力を貸してくれるだろう」  「それが本当ならありがたい話ですが、神の紋章をもつカシュカイを同胞がうけいれるかわかりません」  青年は慎重な態度を崩さなかった。  魔族に目をつけられデニズリから罪人の烙印を押されたうえ、スィナンの同胞からも狙われるようになっては収拾がつかなくなる。  クシュルは少し考えるそぶりをみせたものの「まあ大丈夫じゃないか」と頼りになるのかならないのかわからない口調で言った。  「スィナン同士の事情は知らないが、なんというか世俗の下世話な喧騒からはかけ離れた人物だからな。それよりも自分の精神が捕らわれないよう気をつけたほうがいい。彼女に会って心奪われなかった者をわたしは見たことがない。魔女のような女だからな」  クシュル子爵はそう言って実に楽しげに笑ったのだった。
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