04 - ビジャール王タトゥルス

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04 - ビジャール王タトゥルス

 ビジャール王タトゥルスへの面会要請がすんなり通ったのは、アドゥ王子にとって予想外だった。  少年の立場は非常に中途半端で、国としてのデニズリとビジャールの関係も良好とはいいがたい。  「ジェムアルート王はどうしておられるのか」  対面するなりタトゥルス王は形式的なあいさつもそこそこに、そんなことを尋ねた。  アドゥの母、デニズリ王ジェムアルートはいまだ病床にあり、予断を許さない状態が続いている。  王子は現状を伝えたうえで、政権をめぐる内紛の経緯と、アイディーンから聞いた事情とともに姉であるメユヴェ王女の死に言及した。  王の反応はいたって淡泊だった。  デニズリでおきたできごとのすべてを把握しているのはあきらかだ。  「暗黒(カラバー)期のさなか、人間同士で争えば魔属に利するだけだ。王子にはこれ以上、国が乱れぬよう集権を推し進めてもらいたい」  「もちろん早急に手をうちます。それと同等に、姉の死は我が国にとって大事なのです。大気のマラティヤが王族を弑するという大罪に関わっていることをどうお考えですか」  アドゥは憤りをおさえられず、無意識に声を大きくする。  他国の政に口出しするなど、いかに主国とはいえ不遜な行為だ。  それよりもこうしてタトゥルス王に面会を請うたのは、大気のマラティヤの後見役をビジャールが担っているからだ。  法術の制約により支配権がシヴァスへ移された事情をアドゥ王子は知らなかったが、カシュカイの実質的な身柄引受人がビジャール、ひいてはタトゥルス王にあるのは確かだった。  「まず第一に」  王は少年の興奮をよそに静かに言った。  「スィナンの一族といえど、正式にマラティヤと認められた者を独断で捕縛し監禁するなど、王族であろうと許されない。それはマラティヤの任務を妨害するのと同じ重罪とみなされる。  第二に、大気のマラティヤがスィナンであるのを理由に人間を殺害することは絶対にない。そのような危険を潰すために、国属の導師たちが法術の技術を極め拘束し、常に監視しているからだ。  さらにいえば、目撃者もないまま罪人を断定するのは、人であろうとスィナンであろうと愚かしく短慮といわねばならない」  「……スィナンの一族が神の御子であるはずがない。マラティヤの任を果たせるとは思えません」  アドゥにとっては姉を殺されたこと以上に、かの一族がマラティヤであるという事実のほうが重大なのかもしれない。  しかし、タトゥルス王は歳若いデニズリの王子に共感を示さなかった。  「大気のマラティヤは不足なく任務を遂行している。そして今期、ほかに大気のマラティヤと認定された者はいない。マラティヤが替えのきく存在でないのは、王子も重々承知しているだろう」  アドゥは反論するすべをもたず、沈黙するしかなかった。  スィナンの一族に対してこれほど本能的な拒絶感がわきあがるというのに、ビジャールの王にはそれがわからないのだろうか。  王はまったく合理的にスィナンをマラティヤとして扱っており、感情をもちこむ余地はわずかもない。  そういえば、大地のマラティヤだと言ったアイディーンも、誰よりスィナンに近い関係でありながらわだかまりはいっさいみられなかった。  それどころか一番の理解者であるかのようにふるまっていたのを思いかえし、しかし王子にとってとうてい許容できることではなかった。  「陛下は姉を手にかけたのが大気のマラティヤだという証拠がないと仰せになりましたが、大気のマラティヤではないという証拠もない以上、疑いは晴れません。かの者があくまでマラティヤとしての任を完遂するというなら、暗黒期が明けたあかつきには、身柄をデニズリへ預けていただきたいのです。その確約をいただきたい」  アドゥ王子の、ビジャール王への面会の本題はそこだった。  暗黒期にまつわるすべてが終われば、マラティヤとしての特権は解かれ唯人(ただびと)となる――いや、実際には神の紋章も守護もなくなりはしないし、英雄として輝かしい生涯を約束されているが、建前はそうなっている。  ましてやスィナンが英雄として人間社会に迎えいれられることはないだろう。  なんの利用価値もなくなったそのときには、デニズリへひきわたせとアドゥ王子は言ったのだ。  これはビジャールやシヴァスにとっても利のある提案のはずだ。  危険視され排除されるべきとみなされているスィナンの一族であり、栄誉と称賛を一身に受けるマラティヤであるという矛盾をかかえた存在を、主国が暗黒期ののち確実にもてあますだろう扱いについて、その悩みを解消できるからだ。  真なる救世主としてアイディーンは表舞台に立ち続け、大気のマラティヤは罪人として処され人知れず社会から抹消される。  それが誰にとっても損のない事後処理だろう。  「大気のマラティヤを王族殺しとして裁き死罪にすると?」  タトゥルス王の直截な質問に、少年は動じなかった。  「容疑が事実であれば当然そうなるでしょう。どこの国であれ、王族を弑した者は極刑をまぬがれません」  王は少しのあいだ沈黙し、それから口をひらいだ。  「いいだろう。大気のマラティヤが務めを果たし大地のマラティヤとともに帰還したなら、デニズリでの裁判をうけさせる」  これほどあっさりと同意を得られると思っていなかったアドゥは、内心の驚きをおし隠し慎重に確認する。  「各国にはからなくてもよいのですか。これは口約束だけですむ問題ではありません」  「もちろんおおやけにはできないが、正式な契約として書類を残したいならそうするがいい」  面会してから初めて、王は笑みをもらした。  それは多分に皮肉を含んでおり、これがデニズリへの配慮に満ちた密約ではないのだと察せられる。  しかし、タトゥルス王はそれ以上感情をあらわにすることも事情を説明することもなく、アドゥ王子もまた契約を撤回する気はなかった。
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