第一章

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 アーケードの方から午前八時の時報が聴こえたのと同時にトレーラーの天井スピーカーからサーフィンミュージックが大音量で流された。キッチンカーの存在を知らせる為にそうしているのだろうが、それ以外に、これ以上深入りするなという警告のような気もした。僕があれこれと訊きたそうな顔をしていたからだ。結局、僕は駐車場を出て行くアロハブリーズのトレーラーを黙って見送ることになった。  アーケード前に戻ってみると、警官の姿もTシャツの清掃軍団の姿も無かった。ラジオ体操の音楽と高圧洗浄機の轟音に代って、あちらこちらからシャッターを上げる音や挨拶を交わす店主たちの声が聴こえてくる。  僕は立ち止まって八階のユズルの部屋を見上げた。女性の入居者限定のマンションで勿論オートロックだからユズルがエントランスのドアを開けてくれないと僕はマンションの中に入れない。祈るような思いで八〇三の部屋番号をプッシュしたが反応はなかった。何度試みても結果は同じだ。或る程度は覚悟していたとは言え、体温が一気に五度くらい下がったような忌まわしい悪寒が走る。  管理人の男とは何度か話をしたことがあって相手も僕のことを憶えてくれていたらしく怪訝そうに眺めながらエントランスのドアを開けてくれた。管理人は下半身の自由が利かないので電動車椅子が下半身代わりになっている。驚くほど卓越した運転技術で少しくらいの段差ならタイヤを斜めにして上がり降り出来るし片方のタイヤを固定してその場で一回転するという曲芸も軽々とやってしまう。 「八〇三の上月さんのお兄さんでしたよね?」  僕はユズルの兄ということになっている。配偶者と肉親以外の男性は緊急事態のときを除いて入れない規則だからだ。しかし、管理人は二人の関係に勘付いているような気もしている。 「はい。ユズル、いえ、妹と連絡が取れなくて、それで、心配になって来てみたんですが、やっぱり部屋には居ないみたいで・・・・」  管理人は車椅子を目一杯僕の身体に寄せて真下から僕の顔を見上げた。 「大きな声では言えないんですがね。昨日、亀田神社主催の夏祭りがあったんですが、どうやら集団食中毒が出たらしいんですよ。朝っぱらから警察が屯しているの、見ました? その件で訊き込みとかしているんでしょうね」 「ユズルもその食中毒で病院に行った、とか?」  管理人は僕の身体のすぐ近くで車椅子を高速で一回転させ僕の顔を見上げてツッツッと舌を鳴らした。 「ユズルさんは昨夜遅くに帰ってこられて早朝に出て行かれましたよ。ちょっと小耳に挟んだんだけども。食中毒にやられた人は昨夜のうちに症状が出て、救急を呼ぶ間もなく逝っちまったらしいんですよ」  僕は絶句した。ユズルのスープが原因ではないかという忌まわしい想像をして身体が凍り付いてしまった。
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