プロローグ

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 ユズルの新居は新築マンション最上階の角部屋。2LDKで家賃が三万円という最恵国待遇の理由は丹沢市の移住者向け助成金制度にある。三年以内に丹沢市内での起業を計画している移住者には各種の助成金が支給されるのだ。  ユズルは起業目的で丹沢市への引っ越しを考えていたのではなく助成金制度の存在を知ってから起業を考え始めたのだが、申請書類に虚偽記載をしたわけではない。ユズルは実家近くの料理店で修業しながら、いずれは独立して「老若男女に愛されるスープ」の店を開くという目標を前々から持っていた。助成金制度のおかげで計画が大きく前倒しになったということだ。  三年以内の起業など不可能だと僕はユズルに意見したがユズルは聴く耳を持たなかった。幸か不幸か馬酔木通りにはユズルの起業をバックアップしてくれるお誂え向きの環境が準備されていたからだ。それは商店会とは別に丹沢市が主導して立ち上げた起業フォーラムで、ユズルのように助成金制度を活用した人に対し起業に向けて実質的な支援をしてくれる。  ユズルの起業プレゼンはとても好評でフォーラムが積極的に関与して三年以内などという悠長な計画ではなく一年後の起業を目指すことになった。  僕が心配だったのはユズルの力量やフォーラムの支援体制のことよりも昔から馬酔木通りで商売している人々の視線だった。何処の馬の骨とも分からない若造がふらっとやって来て一年も経たないうちに門前で商売を始めるというのは、丹沢市としては望ましい姿なのかもしれないが、商店街の古株たちからすると面白くないだろう。ぎくしゃくするという程度で済めばよいが、きな臭いことへエスカレートするのではないかと危惧してしまう。 「考え過ぎ。そんなの単なる杞憂だよ」と、ユズルは全く取り合わなかった。
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