第二章

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 各店舗の包装紙を使ったのは勿論、偶々ではなく商店街を象徴するアイテムとして必須だったと考えるべきだろう。すると自動的にニカーブの人々は商店街に対して激しい憎悪を抱いているということになる。  ところがユズルは商店街での起業を目指していて、僕の知る限り準備は順調に進んでいて商店会との関係も良好だったようなのでユズルが憎悪を抱いていたとは考え難い。ニカーブの人々の行為を告発するためにあの場に潜入していたということなのだろうか。  しかし告発と言っても、藁人形に集団で刃物を突き刺しただけでは犯罪にはならないわけだから、やはり包装紙でグルグル巻きにされていたのは人形ではなく生身の人間ということなのか。  背骨を悪寒がゆっくりと降りていく。気が付くと、バスは「豊山高校」の停留所に既に到着していて降車側のドアが閉まり掛けていた。「降ります」と叫んで僕はタラップを駆け下りた。  地面に靴底が触れるか触れないかのタイミングで胸ポケットが再び振動した。僕の身体は一瞬、宙に浮いた。またしても動画ファイル付きの差出人不明のメールだ。恐る恐る開いてみると、昨日の夏祭りの様子を撮影した仄々とした動画が始まった。  豆田神社の飾り神輿について少しばかりの予備知識はあったが、実際の姿は予想を遥かに超える美しさだった。絢爛豪華な装飾が基本の神輿にわざわざ飾りという冠を与えているだけあって、軒面から蕨手にかけて精密に彫り込まれた黄金の龍は圧巻で観る者をひれ伏させるような威力がある。神事の伝統から逸脱した装飾に対して賛否両論あるが、僕のような神や仏にあまり興味のない人間からすると純粋な工芸品としてその素晴らしさに圧倒される。  メールの本文にはこの動画を撮影した人物、歴史学者で歴史探訪の旅人エッセイストでもある浪花大学の左田教授の書いたネット記事が転載されていた。豆田神社の飾り神輿が学術的資料としても美術工芸品としても非常に重要だということを説いた後、十六年振りに飾り神輿の実物を目にしたときの大きな違和感と疑問について説明している。  豆田神社の飾り神輿は二十年ほど前に左田教授の研究室が中心となって大掛かりな修復が行われている。それ以降は修復していない筈なのに昨日十六年振りに見た飾り神輿には最近施されたと思われる見慣れない修復の跡があったと言うのだ。    この記事がユズルにとってどんな意味を持つのか分からないが、ユズルの動物的勘や危機回避能力と思い付いたら考える前に丸投げする性格からすると、とにかく左田教授に直接会って記事の内容について話を聞けということだと僕は理解した。
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