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野田理髪店はガランとしていた。スキンヘッドに淡い色の付いた眼鏡の男が初老の男性客の散髪ケープを取り去り、入れ替わりに四角く刈り上げた頭の女が洗髪の準備を始める。スキンヘッドも刈り上げも両腕にカラースプレーで吹き付けたように鮮やかな色の龍の刺青が彫り込まれている。
最初にこの店を訪れた理由は、勢力地図に於いて此処が特殊な位置付けだからだ。野田家は興和寺の檀家だが、娘の嫁いだ先が豆田神社の氏子で、息子夫婦はカソリック信者で馬酔木教会に通っている。野田理髪店は此処で長く商いを続けてきたから商店会に在る三つの派閥の全てに顔が利き、更にスキンヘッドがベジタリアンでアロハブリーズのオーガニック信者たちと親交があり、その関係で起業フォーラムとも繋がっている。この複雑な構図のせいもあって野田理髪店には色々な勢力から客がやって来て世間話をしていくから左田教授も時々此処で情報収集するそうだ。
「どうぞ」
スキンヘッドは僕の方を全く見ないで素っ気なく言った。
「昨日は夏祭りだったんでしょう? 歴史のある神輿なんかが出て盛り上がったらしいですね? 実は知り合いがこの辺に住んでいて・・・・」
僕は鏡の前に座るなり、切り出した。するとスキンヘッドがあからさまに手を止めた。
「知り合い? 名前は?」
普通、こういう質問は返ってこないものだから僕は言葉に詰まってしまった。
「ここらじゃ顔、広い方だからさ。馬酔木に住んでいるんなら知ってると思うよ」
「上月ユズル」僕は正直に答えた。「こっちに引っ越してきて、まだ間がないんですけど。昨日の夏祭りで豆田神社に屋台が出ていたでしょう? ユズルもスープの店を出していたんです」
鏡に映ったスキンヘッドの男が、いまにも剃刀で僕の喉をかっ切りそうな表情に見えたので、僕は思わず散髪ケープの下で拳を握り締めてしまった。
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