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音楽室から戻り、ホームルームが始まる。担任は今日の時間割と男子生徒のにやけ顔を比べ見て、それから納得したようにミノを見た。
「音楽の授業、テストだったんだってね」
その言葉に、いつも賑やかな生徒が進んで話し出す。
「いやあ、今日もミノ先輩がやってくれましたよ」
途端に教室を笑いが覆う。その中で俺だけが、まるで水面に垂らされた油のように弾かれている。視線を窓の外に逸らした。前の席に座ってヘラヘラと笑うミノを見ていられなかったから。
「まあ、その様子だといつもの感じだった訳か。で、他はどうだったの?」
担任は手元の配布資料を数えながら、俺たちに問うた。とても軽い口調で。
「満点の人は居た?」
瞬く間に、ブレザー姿が並ぶ教室が小学二年の冬に戻った。誰も手を上げなかったあの時に。二人で歩いた帰り道に。そして、彼の歌声が響かなかった、あの音楽の授業に。
雪で湿ったランドセル、乾いたままのミノの頬。泣く事さえ出来ずに打ちひしがれていた、友達の横顔…。
「はい」
俺は立ち上がっていた。ミノの右手を掴んだまま。
「ミノが、ミノが満点です」
周囲の目線が、一斉にこちらに注がれる。
まるで心臓が回転しているようだった。目頭が熱くて、視界が潤んだ。慌てたように下げられたミノの手を、俺はもう一度引っ張り上げる。
「本当はこいつ、歌えるんです。誰よりも歌が上手いんです。ちゃんと習ってるし、幼稚園の頃からずっと…」
振り返ったミノと目が合った。首まで真っ赤で、唇がワナワナと震えている。
ああ、今日はちゃんとこっちを見てくれたんだな。それが嬉しくて、自然と手を握る力が増した。
「こいつの親がマジで理解無くて、音大とかも受けないんですけど、絶対にプロになれるんです、天才なんです、ミノは…」
俺はもう、涙が止まらなくて息も難しい。でも、ちゃんと言わなきゃいけない事を、それだけは。
「満点なのは、俺じゃない。ミノです」
ああ、やっと言えた。九年もかかってしまったけど、言えて良かった。どうしてもみんなの前で、教室で言いたかったんだ。馬鹿みたいな意地だけど。
ミノはもう、無表情でも無言でもなかった。「なんで」だの何のと言いながら、俺と同じくらい泣いていた。透明な線が引かれていく頬を見て、俺は漸く終えられたのだと悟った。
「じゃあ…聴きたいな」
担任が、まるで小さい子どもに語り掛けるように言った。いや、もしかしたら今、俺たちは小学二年生に戻っているのかもしれない。
ミノは持ち込んでいたボックスティッシュで鼻をかむと、俺の机にポイと捨てた。それを笑いながら横に捌けて、俺は涙を袖で拭う。
「出席番号二、アイダミノルが歌います」
彼が呼吸を整え、姿勢を正している僅かな間に、「ああ、ここで言わなきゃミノの歌を独り占めしていられたなあ」なんて事を思ってしまったけれど、彼が空気を震わせた瞬間に、幽かな寂しさも消え去った。
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