9人が本棚に入れています
本棚に追加
その試合の翌日、改源は足にメスを入れた。骨折した箇所にボルトを入れ、骨のつながりを早くする手術だ。埋め込んだボルトが浮き出した不格好な足の甲になってしまったが気にはしなかった。
あとはひたすら骨がくっつくのを待ちながら、上半身のトレーニングに励んだ。また自分が呼んでもらえることをかたくなに信じて。
六月末、サッカー協会から二つの知らせが届いた。一つは当然、オリンピックが行われるアテネに行けるのかという確認である。
靭帯などと違いに骨折はつながりさえすれば完治する。X線を取ったところ骨と骨の間にあったマジックを引いたような骨折の線はボルトの下でボールペンほどの太さになっていた。本大会までにはそれもなくなる、と診断書も出た。
もう一つは、イベント出演の依頼である。
きっかけはあの試合の翌日、スポーツ新聞の一面に「女も五輪」の見出しが踊ったことである。確かにそれで間違いではないのだがどうもしっくりこなかった。
女性がサッカーをするという現象に、何か名前をつけたいという試みが提案された。オーストラリア女子代表のマチルダス、中国女子代表の鋼鉄の薔薇のような、それを聞いて女子サッカーを連想できる愛称を公募した。その発表会見に出て欲しいと言うのだ。
それは断った。自分のように苦労に苦労を重ねた人間ではなく、これからの若い選手の方がそういった晴れがましい舞台には相応しいという理由からである。
最初のコメントを投稿しよう!