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100日目、今日だ。
朝から隕石が衝突してしまった地域があるらしい。テレビに隕石が落ちてきて家が潰れてしまったニュースが流れていた。他人事じゃないから胸が痛んだ。
「行ってきます」
僕の家には誰もいない。両親は政府が用意したシェルターに避難してしまった。それでも声をかけて家を出る。
どこの家からも音がしない。皆、シェルターに行ったのかな?効果は見込めないって言ってるのに気休めでも皆行くらしい。
僕は両親の強い誘いを断って、今日も通学路を歩く。
学校に行くためじゃない。
家を出てすぐの曲がり角で、髪が背中ほどまで伸びた女の子が僕を待っていた。
「おはよう」
「おはよう、颯太くん」
地球最後の日、陽菜ちゃんはいつも通り僕を待っていてくれた。
「シェルターに行かなくていいの?」
「意味ないってわかってて行く気起きなくて」
「そうだよね」
僕らは学校への道をゆっくり歩き始める。
僕らの最後の登校日だ。もったいなくてゆっくり歩く。陽菜ちゃんもそれに合わせてくれる。
「最後の日は、陽菜ちゃんと一緒に学校に行きたいって言ったらすごく怒られた」
「私?」
「うん。家族なのに最後の日を一緒にすごさないなんてって、泣かせちゃった」
「…颯太くんの家族は本当に仲がいいよね」
「陽菜ちゃんは?」
「うちは全然ダメ。お父さんは浮気相手の元へ、お母さんは実家へ帰りました」
「最後の日なのに?」
「最後の日だから、本当に好きな人と一緒に居たいって」
僕は何と言っていいかわからず口をつぐんだ。
「あと彼氏がね、昨日電話してきて、『やっぱり元カノが世界で一番好きだから最後の日は元カノと過ごしたい』って言ってきて」
「ええ…」
彼氏さん!僕に「陽菜に近づくやつはぶっ飛ばすから」とか言ってきたじゃないですか!僕は心の中で彼氏さんを罵倒しまくった。
「地球最後の前日にフラれるとか、ある?」
「…どんまいです」
「学校ももうやってないし、もうなにもかもめんどくさくって…」
陽菜ちゃんの髪を風が大きく揺らして陽菜ちゃんは自分の髪を抑えた。その顔は疲れ切っていたが晴れ晴れとしている。
「今日は行かないでいいかなあって思ったんだけど、そうしたら颯太くんが私を待っちゃうでしょ?」
「うん、今日はずっと待ってたと思う」
「じゃあ、来る。私を待ってくれるの、もう颯太くんだけだし」
僕らは、誰もいない住宅街を通り、静かな商店街の前を過ぎ、整備されなくなったグラウンドの傍を通ればもう学校だ。
僕たちは今日で最後だ。
「陽菜ちゃん」
僕は校門に着く手前で立ち止まった。
数歩先で陽菜ちゃんが振り向く。
「僕、陽菜ちゃんが好きだ。ずっと前から」
陽菜ちゃんが少しだけ、悲しそうに目を見開いた。
「…お姉ちゃんとして?」
「女の人として」
陽菜ちゃんは目をつぶるとゆっくり息を吐いた。そして笑顔で僕に言う。
「颯太くん、後ろを向いて」
何かあるんだろうか?僕は言われたとおり後ろを向く。
そして陽菜ちゃんが僕の背中を鞄で思いっきり叩いた。
「痛い!え?何!?なに??」
驚いて振り向くと陽菜ちゃんは真っ赤な顔をして目に涙をためて震えていた。
「は…」
陽菜ちゃんがはくはく口を開閉しながら息を吸い直す。次に出た声は今まで聞いたことないくらい大きな声だった。
「早く言ってよ!」
あまりの大声に近くにいた鳥たちが飛んでいった。でも陽菜ちゃんの怒りは収まらない。
「100日もあったじゃん!なんで言ってくれなかったの!?」
「だ、だって彼氏さんがいたから悪いなと思って、言ったら迷惑だなって」
「なら今なんで言うの!?」
「だって自分は独りぼっちみたいなことを言うから…!そうじゃないよって言いたくて!」
「もっと早く言ってよ!!颯太くんなんか知らない!」
そう言って陽菜ちゃんは学校の中に走って行ってしまった。
「待ってよ!陽菜ちゃん!!」
僕は慌てて追いかけた。
陽菜ちゃんは玄関を駆け抜けていく。
「待ってよ!上履きに履き替えないの?!」
「どーでもいい!」
陽菜ちゃんは階段を駆け上っていく。
「階段を飛ばしながら上ったら危ないよ!」
「怪我してもいいの!」
「駄目だよ!?」
陽菜ちゃんは廊下を走る。
「廊下は走ったら駄目だよ!」
「うるさい!それ聞き飽きた!」
陽菜ちゃんはもうお姉ちゃんじゃないから、僕のことを待っててくれない。逃げ続け、屋上へ飛び込んだ。僕もそれに続く。
「追い詰めたぞ!」
フェンスの内側に立っている陽菜ちゃんに僕は声をかける。
「追い詰められてなんかないわよ、ばーか!こんなフェンス………よじ登ってやるんだから!」
「いや…そのフェンス2メートルくらいあるしやめておいたほうが…ええ?!」
陽菜ちゃんは本当に上り始めてしまった。
「やめときなよ、危ない…………よ?!」
ひ、ひらめくスカートの中に見える白いアレは?!
「ひ、陽菜ちゃんパンツが見えてるよ!」
「え?!」
慌てて陽菜ちゃんが片手でスカートを抑える。その時に足が滑ったらしい。
「あ」
陽菜ちゃんが落ちてくる。
僕はとっさに手を伸ばした。
ずしりとした重さを全身に受け止めて、僕らは屋上の床に倒れた。
「いたたた…」
背中を打ってしまった。しかも僕の上に乗っている陽菜ちゃんは僕の胸元をぽかぽか殴ってわんわん泣き出す。
「早く言ってくれたら……そしたら…あんな元カレなんてすぐ捨てて颯太くんとスカイツリーとか観光にいけたのに!!」
「スカイツリー、100日前からずっと混んでたよ…」
「知ってる!一緒に喫茶店でご飯食べたり!そこらへんの道を手を繋いで歩いたり!キスしたりとかできたのに!!」
僕の胸元を精一杯の力で叩く。いつの間にか僕の方が背が高くなったので、殴られても全然痛くなかった。僕も泣いているけどこれは叩かれている痛みじゃない。
「…もっとやりたいことがあったのに…」
「…そうだね……僕も、やりたいことが一個だけなんてウソだ」
陽菜ちゃんと喫茶店でご飯を食べたり、手をつないで歩いたり、キスしてみたり。陽菜ちゃんをぎゅっと抱きしめることだってしたかった。
「…ごめんね、陽菜ちゃん」
僕を叩くのはやめて陽菜ちゃんは自分の涙を拭った。
「颯太くん、ホントは先週の雨の日も待ってたでしょ?」
「………うん」
陽菜ちゃんが先輩の家に行った日、僕はずっと曲がり角で待っていた。
朝から豪雨で、道が1センチくらいの深さの川になっても立っていた。
「………あの日、彼氏の家に行く前に颯太くんを見かけたの。ても、声かけられなかった」
嘘がバレてたのが恥ずかしくて僕は少し拗ねた気持ちになってしまった。
「声をかけてくれれば良かったのに」
「かけられないよ。彼氏のとこだもん…だから回り道して行ったの」
「変なところで突っ立っててごめんね…」
僕の謝罪に陽菜ちゃんは慌てて手を振る。
「違うの!そうじゃなくて、お礼を言いたいことがあって……あの日、彼氏に襲われかけて」
「え?」
「急に抱きついてきて…慌てて逃げたの、私」
僕は頭が沸騰しそうだった。世界が終わるまでもう少しって時になんでそんなことができるんだ。
「抱きつかれたときにね、頭に浮かんできたのが雨の中で立ってた颯太くんだったの」
「僕?」
「うん。『颯太くんが待ってるんだから帰らなきゃ』って思ったから、逃げれたの」
僕はあの雨の日ひどくみじめな気持ちだった。
彼氏でもないのに、学校なんてもうとっくに行かなくてもいいのに、なんでこんなことをしているんだろうって、でもどうしたらいいのかわからなくて立ちすくんでいた。
無駄じゃなかったんだと胸がいっぱいになって、あの日のみじめな気持ちはどこかへいってしまった。
「ありがとう、颯太くん。私のことを待っていてくれて」
「ううん。僕たちにとっては…いつものことだから」
陽菜ちゃんは赤くなった目元のまま笑う。
「そうだね、私たちにとっていつものことだったね」
その時、遠くの青空に一筋の赤い線が上から斜め下へ走り、僕たちはそろって同じ空を見た。
「…隕石、降って来たね」
陽菜ちゃんがそう呟く間にも空に赤い線が一本増えた。
「隕石ももっと待ってくれればいいのに。…のろのろしてた僕が悪いけどさ」
僕は精一杯の後悔を一言に詰めた。陽菜ちゃんが僕の口の前で人差し指を立てる。ちょうど「静かに」のジェスチャーのように。
「もうしょうがないし、今からできることだけ考えよう?」
あと1日もない世界で何ができるんだろうか。すがるような気持ちで僕は陽菜ちゃんに問いかける。
「僕に何ができるかな?」
「キスして。私を抱きしめて」
雷が落ちたように僕には衝撃的な言葉だった。
女の子の手も握ったことの無い僕にはあまりに現実離れしていた。その間にずっと僕を下敷きにしていた陽菜ちゃんは僕からどいて、僕の前に座り目を閉じる。
陽菜ちゃんが僕を待っている。
また空に赤い線が一本増えた。隕石は待ってくれない。この世界で僕を待ってくれるのは陽菜ちゃんだけだぞ、僕!
意を決して陽菜ちゃんに近づく。
陽菜ちゃんの顔が見えないくらい近くなる。
僕の唇に柔らかい感触が触れる。ふわふわして温かいマシュマロみたいで、でもちょっと動くのにびっくりして、すぐに僕は離れてしまった。
陽菜ちゃんの顔を見るとちょっと照れたような潤んだ瞳で僕を見ていた。
僕は手を取った。小さくて傷つきやすそうな手だ。そして僕は陽菜ちゃんをゆっくり僕の方へ引き寄せる。
陽菜ちゃんは僕の腕の中におさまってしまった。こんなに小さい子だったっけ、そう思いながら僕は手を背中に回して抱きしめる。
僕の腕の中にいる陽菜ちゃんは温かい。呼吸をしていて、心臓がドクドクいって、僕も陽菜ちゃんも生きているんだって思う。
「離さないで…ずっとここにいて…」
陽菜ちゃんのか細い声が聞こえて僕は涙をこらえて、空を見上げた。
空に赤い線でできた流星群が見える。
いつかあれは僕らの元にもやってくるだろう。
それまで、僕は絶対にこの人を離さない。
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