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 社長室に入ったのは、入社時のあいさつ以来だった。  そこそこの規模の会社であれば、平社員が社長と話す機会はめったにない。入社したころは、忘年会で「社長にお酌をしろ」と指示されたものだけど。 「きみには、新しい百科事典の編纂に携わってもらおうと思っている」  戸惑いしかなかった。  辞書編集部に配属されて以来、まだ改訂作業に携わっただけで一から辞書を立ち上げた経験もない。そんな新米編集者がいきなり百科事典の編纂? 「あの……自分では力不足ではないでしょうか」 「今回は特殊な話でね。項目ができ次第、逐一webで公開をしていくつもりなんだ。だから一通りの業務を経験していて、若くて吸収力のあるきみに白羽の矢が立ったというわけだ」 「はあ。そういうことですか」  web上のオープンソースの百科事典によって、百科事典の在り方が問われて久しい。何万円もする紙の分厚い本など持たなくても、スマホやパソコンでいつでも百科事典が手元にある状態だからだ。  だからといって今さらwebで百科事典を立ち上げたところで、先行者に追いつけるはずがない。 「まあそんな表情をするのも無理はない。本来であれば細かに事業の説明をしてあげたいところなんだが……」  テーブルを上にひと綴りのA4用紙が滑らされた。誓約書だった。
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