◆お鍋とお酒と甘いキス

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金曜日の夜。 ユリさんのマンションはさすがにセキュリティーの行き届いたところで、入り口のドアのところで、部屋番号と暗証番号を押して、インターホンでやりとりしないと開けてもらえないシステムだった。 インターホンの前に立って、メモしてあった部屋番号と暗証番号を確認する。 今日、またユリさんに会える・・・また、キスしてくれるかな・・・ うわ、私ってなんて恥ずかしいことを考えているんだろう?でも、でも、キスしたいし・・・抱きしめてほしい・・・ しばらくそんなことを考えてどきどきして、インターホンのボタンを押そうと思った矢先に後ろから声をかけられた。 「あら?小林さん?沙耶さんよね?」 「えっ!・・・あ、あの・・・はい・・・?」 びっくりして振り向くと、そこには見知らぬ女性が立っていた。 少しウェーブのかかった髪が肩口を覆い、きりっとした顔立ち、シルバーのふちのメガネをかけて、服装はしゃれたOLのようなハイネックのニットの上にベージュのコートを羽織り、手には近所のスーパーのものと思しき袋を提げていた。 「あ、あの、どちら様でしょうか?」 「あ、分からなかったのね?無理もないわ。面接のときに一度会ったっきりだものね?私、マネージャーの北崎(きたざき)早緒莉(さおり)です。」 あ、そうか、ユリさんってマネージャーさんとシェアハウスだって言ってた。今日はマネージャーさんも一緒なんだ・・・そうよね・・・そうだよね・・・あーあ・・・ 私は見事に足元をすくわれた感覚に陥って、自己嫌悪と落胆で崩れ落ちそうになるのを必死でこらえながら、「いつもお世話になってます」とお辞儀をした。 「ユーリから聞いてるわよ。さ、入って?」 カードキーを入り口のドアにかざし、暗証番号を入れて、ドアをあけて中に入っていった。 「ありがとうございます・・・」 ああ、二人っきりじゃないのかぁ・・・はぁ・・・でも、ユリさんに会えるのは嬉しいし、気を取り直して・・・ と思いながらエレベーターに一緒に乗ると、早緒莉さんが聞いてきた。 「レッスンは順調?」 「はい、最初は大変でしたけど、もう慣れてきて、うまくできるようになってると思います」 「それは良かったわ。最初を乗り越えられなくてあきらめる人が多いのよね」 「誰か、そういう人がいらっしゃったんですか?」 「え?いえ、一般論よ」 そう言って黙ってしまった。 うーん、なんだか変。もう誰かがやめるって言ったんだと思うなぁ・・・そんな分析をしてしまう自分が時々いやになるけど、生まれ持った性格だからしょうがないとあきらめる。 それはそれとして。 「さ、着いたわよ。ただいまー」 「おかえりー、沙耶ちゃんまだ来てないよー」 奥からよく響く声が返事してきた。 「ロビーのところにいたから連れて来たわよ」 「お邪魔しますー」 「え?え・・?あー!沙耶ちゃーん!いらっしゃーい!!」 奥からあわてて飛び出してきたユリさんは、外で見るような派手やかな恰好ではなく、ピンクのスエットのボトムに首元のゆるい赤のトレーナーを着ていた。こんなフツーの部屋着を着ているユリさん・・・すっぴんなのか、ひどく幼い印象で、私と年齢が変わらないんじゃないかと思った。そんな顔で満面の笑みを浮かべて出てきたものだから、私はつい見とれてしまっていた。 「ほら、そんなところに立ってないで、入って?」 「あ・・・はい」 言われるままにリビングに通された。 「ユーリ、私着替えてくるから、買ってきたもの片付けておいて」 そう言って早緒莉さんはパタパタと奥の部屋に入っていった。 「えー、せっかく沙耶ちゃん来てるのにー」 そう言って不満げにユリさんはカウンターキッチンの向こうでごそごそ始めた。 「あ、そこ座ってて。飲み物なにがいい?」 「え、ああ、お構いなく。それより何かお手伝いできることがあればやります」 「良いのよー、今日はお客様なんだから。紅茶でいいかな?リプトンしかないけど」 「あ、はい。それでお願いします」 広めのリビングは、ソファーセットが一角を占め、その横に同じくらいの広さでカーペットが敷いてあり、真ん中にインテリアこたつのようなテーブルが置いてあった。 とりあえずそのテーブルの横にちょこんと座る。 ぐるっと見回すと、ソファーセットの後ろにある飾り棚にいろんな置物が所せましと置いてあった。海外旅行のおみやげ物のようにも見えた。その横にテレビがあり、ローボードの中にはいくつものDVDが並んでいた。テーブルの横に、カウンターキッチンがあり、そのカウンターで食事ができるようにハイスツールが二脚。いかにもおしゃれな空間だけど、このインテリアこたつもどきのテーブルがハイソで固い雰囲気を和らげているようだった。 「おまたせー、あれ?ユーリ、まだ鍋出してなかったの?」 「あー、うん。どこにあるかわからなくって」 「もー、冷蔵庫の上の開きの一番上って昨日言ったよー」 「あれー?そうだったっけ?ごめんごめん」 「あ、沙耶ちゃん、何か飲む?」 早緒莉さんとユリさんがばたばたしてる感じが、なんだか仲のいい姉妹みたいで、ちょっとうらやましかった。 「あ、ユリさんが紅茶を淹れてくれるって・・・」 「あ、そうなの?ユーリ、ポットそっちにあるでしょ?カップはほら、お客様用のがあったじゃない?」 「わかってるー。いま出してますー」 「ほら、沙耶ちゃん待ってるよ。お客様待たせちゃ悪いでしょ?」 「うん、ちゃんとやってるから大丈夫―」 そう言って、ユリさんはカウンターの上に紅茶のカップと缶ビールとグラスを置いた。 「じゃあ、さおりん、あとお願いね?」 「りょうかいっ」 そう言ってカウンターから、私の座っているテーブルに飲み物を置いて、私のとなりにポンっと座った。 「改めて、いらっしゃい」 「お招きいただきありがとうございます」 「そんな堅苦しくしなくていいのよ?今日は見ての通り、私もすっかりくつろぎモードだから。足崩してね」 そう言うとユリさんは缶ビールをシュパっとあけて、グラスにそそいだ。 「お先にー」そう言ってグイっと一口飲んだ。「んーたまらないのよねー最初の一杯」 私は、そんな豪快なユリさんを、おそらくぼぉっと見つめていた。 「どうしたの?なんだか沙耶ちゃん、借りて来た猫みたいよ?」 「え、あ、あの、ユリさん、幸せそうだなって思って見てました」 「ええー?そんな風に見える?まあ、今日は特別だから、楽しいのは確かだけど?」 「特別って?」 「え、ああ、こっちの事。ところで、学校って今忙しいの?」 「いえ、特別忙しいってことは無いです。うちは2期制なので、下期の中間テストは先週終わりましたし。あとは来年の3月に期末テストがあるだけです」 「そうなんだ、テストかー、懐かしいなー、もう何年もやってないなーそんな勉強」 「でも、その代わりお仕事いっぱいしてらっしゃるじゃないですか?」 「それは、生活の為だからねー。でもたまにはこうやってゆっくり息抜きしたくなるのよねー」 「お仕事忙しいんですか?」 「うん、それなりにね・・・」 そう言って、カウンターキッチンにいる早緒莉さんの様子をうかがってから、素早くこちらを向いてささやいた。 「キスしよ」 ふっと、私の前に顔を近づけてきて、チュっとキスしてきた。 「!!!!!・・・・」 えー、早緒莉さんが居るのにーと思ったのもあとのまつり。確かに早緒莉さんがキッチンの奥でレンジに向かって何かを料理しているようだからこっちを向いてないですけどー・・・ きゃーきゃー、またキスしてもらっちゃった・・・♪♪はぁー、嬉しい、幸せー、私って単純ー。さっきまでの落ち込みと、あきらめの感情が思い出せないくらい、もうドキドキが止まらない。ああ、本当に恋するっていうのはこうなのかな?もう、顔が火照って、恥ずかしくてユリさんの顔を見れない・・・ユリさんは普通になにかしゃべってるけど、耳に入ってこない・・・ 「はーい、出来たわよー」 そういう早緒莉さんの声で、少し冷静になれた。 「今日はキムチ鍋でーす。沙耶ちゃん、辛いもの大丈夫だった?って今頃聞くのもなんだけど」 「あ、はい。大丈夫です」 「それは良かったわ。いっぱい食べてね?」 「さおりん、私には聞いてくれないの?辛い物大丈夫って?」 「え、だって、ユーリはビールが飲めれば食べ物はなんでもOKなんでしょ?」 「えー、ひっどぉーい。私だって好き嫌いはあるんですからねー」 「あはは・・・」 なんだか早緒莉さんとユリさんの掛け合いが、本当に仲がいいんだなーと思えて、ほほえましかった。 さっきキスしてもらったし、仲が良いのは付き合いが長いだけだと思えて、嫉妬のような感情は湧かなかった。
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