「あなたが失くしてしまったのは『最初の三分間』? それとも『最後の三分間』?」

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「あなたが失くしてしまったのは『最初の三分間』? それとも『最後の三分間』?」

 ホテルのプールサイド。僕はロッキングチェアーに背中を預けていた。  久しぶりに大学時代の仲良しグループで遊びに来たオフシーズンのリゾート。僕らの他に客は居なくて、ホテルのプールは専有状態だ。 『俺たち、ちょっと、買い出し行ってくるからさ。留守番よろしく』 『すぐ戻ってくるから、幸哉ゆきやくんはゆっくりしててね』  そう言って、仲睦まじいカップルは、僕をプールサイドに置き去りにしていった。多分、気を遣ったのだろう。  昨日の夜は、みんなで昔話に花を咲かせた。大学生時代のサークル活動の思い出とか、淡い恋愛の思い出とかが、頭の中を駆け巡って、何だか胸が締め付けられた。  憧れ。始まり。独占欲。告白。穏やかな日々。羨望。すれ違い。別れ。  そんな不安定な青春時代。  プールを眺めながら、「彼女はどう思っていたのかな?」なんて考えてしまう。    ――ちゃぽん  そんなことを考えていると、プールの水面に波紋が広がり、僕はロッキングチェアーから体を起こした。  気付けばプールの中に、白いパレオを身にまとった、美しい女性が立っていた。白い肌は水滴を弾き、明るい色の長い髪は濡れて艷やかに流れる。 「私は、水の女神。――お困りごとはありませんか?」  自らを女神と名乗った女性は、僕へと悪戯っぽい微笑みを浮かべた。  少し驚きながらも、何を言ったものかと、僕は思案する。 「――何だか大切なものを失くしてしまったみたいなんです」  困った風に声を出す僕に、女神様は小首を傾げた。 「それはどういったものでしょう? 品物? 出来事? あるいは人?」 「きっと、それは『時間』なんだと思います。とても大切な時間」  僕にとってのかけがえのない時間。未来へ続くはずだった時間。  すると女神様は、一度、水中へと沈んでいった。  ――ごぼごぼ  しばらくして、また、水中から女神様が現れる。両手のひらを上に向けて。手のひらの上に何かを乗せているようだ。イソップ寓話できこりに「金の斧」と「銀の斧」を差し出して見せる女神様みたいに。目には見えないけれど。 「あなたが失くしてしまったのは『最初の三分間』? それとも『最後の三分間』?」  そう言って、女神様は、僕の顔を覗き込んだ。  とても蠱惑的な瞳で。  きっと、右手に乗っているのが「最初の三分間」で、左手に乗っているのが「最後の三分間」なんだろう。  僕は失くしてしまった時間に、思いを馳せた。  ― ― ― ―  大学生時代の恋人――北川きたがわ紗弥加さやかと出会ったのは、サークルの新歓イベントだった。ボランティア活動に取り組むサークルで、僕も彼女も新入生だった。  彼女と話したことは無かったけれど、遠目に見て「可愛い子だなぁ」と、気にはなっていた。一目惚れだったのかもしれない。 『では、これから、三分ずつ相手を替えての自己紹介タイムに入りま~す!』  先輩のそんな掛け声で、まるでお見合いイベントのようなコミュニケーションゲームが始まった。いわゆるアイスブレーク。前で回されるカウントダウンタイマーに従って、三分毎に相手を替えて、自己紹介をするのだ。  十連続。三十分間ぶっ通し。  知らない者同士が打ち解けるには、一対一の会話を沢山するのが効果的って理屈だったのだけれど、なかなかハードなゲームだった。  そして、八人目で、僕は北川紗弥加とペアになった。 「はじめまして」 「どうも」 「私、北川紗弥加。――さすがに、八回目ともなると、何だか変な感じするね」 「僕は里井さとい幸哉ゆきや。ホントだね。正直、疲れてきたよ」  初めて彼女と話せて嬉しかったし、気になっていた女の子だったから緊張してもいた。でも、なんだか、彼女と言葉を交わした瞬間に、とても自然に、穏やかな空気を感じてもいたのだ。なんだか落ち着く。 「じゃあ、この時間。休憩時間にしちゃう?」  そう言って、彼女は悪戯っぽく笑った。 「良いね。先輩方が聞いたら怒りそうだけど。まぁ、あと二人分も残っているしね。一つくらい休んでもバチは当たらないでしょ」  僕がそんな不真面目なことを言うと、北川紗弥加はクスリと笑った。 「里井くんって、真面目かと思っていたけど、意外と面白い人なのかもね」 「お褒めに預かり光栄です」 「じゃあ、今は、休憩時間にして、……また、後でお話しましょうか?」 「うん。それはウェルカムだよ。大歓迎」  机の上で頬杖を突く僕に、「じゃ、そういうことで」と彼女が、両手で頬杖を突いて返すので、僕らは顔を寄せあって笑った。  そして、そのままただ時間が過ぎるのを、何となく待った。  ――かーん、かーん  三分間終了の合図が鳴る。 「じゃ、また、後で」 「うん、またね」  僕らは九人目の相手と話すために移動した。  これが、僕らの「最初の三分間」だった。  ― ― ― ―  僕と北川紗弥加は、一年生の秋頃に、恋人として付き合いだした。  サークルに入ってすぐに仲の良い友達にはなったのだけれど、恋人関係に至るには、それなりの出来事を要した。そして、引退まで、僕らはサークルの公認カップルみたいな存在だった。  でも、若い僕らには変化がつきもの。サークルを引退した後、就職活動や卒業研究をきっかけに、僕と紗弥加の間にはすれ違いが生まれていった。  それは、結局のところ、第一希望の会社に就職できなくて、将来設計が妥協の産物になってしまった僕が、第一希望の会社に合格し、夢を叶えようと東京に旅立つ紗弥加に抱いた劣等感が原因だったのかもしれない。  二人それぞれの未来が、二人を少し遠ざけていた。  でも、好きだった。僕は、紗弥加のことが好きだった。  女性として。人間として。  だから苦しかった。だからこそ、衝突してしまったんだと思う。  卒業式も終わり、彼女の東京への旅立ちが近付いた頃、僕らは大きな喧嘩をした。  理由はもう、よく覚えていない。  結局のところ、売り言葉に買い言葉だ。  そんな下らない喧嘩の中で、「じゃあ、もう別れようか?」「いいわよ、幸哉がそう言うなら、別れましょう」だなんて、どうしようもない言葉を交わして、僕らは連絡を断ってしまった。  「別れよう」なんて本気じゃなかった。  でも、謝るきっかけも話すきっかけも無くて、時間ばかりが過ぎていったのだ。 『今日昼の新幹線で、紗弥加、東京に行くらしいわよ! このままでいいの?』  お節介な友人からのメッセージで、僕はベッドから飛び起きた。「でも、ちょっと教えてくれるのが遅いよ!」と心優しい友人に、心の中で不平を漏らしながら。  急いで路線検索をすると、今から準備して在来線に乗れば、その新幹線にぎりぎり間に合いそうだった。ただ、在来線の到着時間から、新幹線の発車時間までは、たったの三分間。ぎりぎり過ぎるし、間に合わないかもしれない。  でも、彼女を永遠に失ってしまうことを考えたら、どうするかなんて迷う暇は無かった。答えは出ているんだ。僕は財布と携帯を手にとって、スニーカーに足を突っ込んで、家を飛び出した。  逸る気持ちを抑えながら、駅に到着した車両から勢い良く駆け出す。  駅構内は走っちゃ駄目だけれど、今日だけは許してほしいと、エスカレータを駆け上がり、新幹線乗り場に向かって走った。  ――どかっ  僕は何かにぶつかったことに気付いて、立ち止まる。「痛い」と、足元から声がした。視線を落とすと、荷物が散らばらせた、お婆さんが床に倒れ込んでいた。  自分の頭からすっと血の気が引くのを感じる。 「大丈夫ですか……?」 「……お兄ちゃん。駅の中を走るのは……危ないよ」  お婆さんは、膝を痛そうにさすりながらも、僕のことを怒るのではなく、諭すように言った。  駅構内での衝突事故。ひざまずく僕と倒れるお婆さんを取り囲むように、人だかりが出来ていった。とてもじゃないけれど、僕はそこを抜けだせる状況ではなかったのだ。幸いお婆さんにも目立った怪我はなく、しばらくすると人いきれも引いていったけれど、一人になって、時計を見たときには、当然のように時間は過ぎていた。  とっくの昔に、新幹線は出発していたのだ。  僕は空を仰ぐ。  それから結局、僕は紗弥加と会って話すきっかけすら掴めず、連絡は途絶えたままで、自然消滅するように、僕らの別れは実質的なものになっていってしまった。  これが、僕らの「最後の三分間」だった。  ― ― ― ―  両手のひらを上に向けた女神様は悪戯っぽい微笑みで、僕を見つめる。  僕はそんな女神さまの姿に、思わず頬を緩ませた。 「覚えていてくれたんだね。『最初の三分間』のこと」 「それは、もちろん。女神様にとっても大切な思い出ですから」 「知っていたんだね。『最後の三分間』のこと」 「ええ。もちろん。女神様には色んなことを教えてくれる友人が居ますから」  女神様はプールの中で、悪戯っぽい微笑みを浮かべる。  僕はロッキングチェアーから立ち上がり、空色のプールサイドに立った。 「僕が失くして、やり直したいのは『最初の三分間』でも『最後の三分間』でもないんだよ」 「じゃあ、何かしら?」  とぼけるように首を傾げる女神様の前、プールの中へと僕は飛び込んだ。  ――どぼん   「僕が失くしたのは始まりや終わりの三分間じゃなくて、普通の三分間。僕がずっと大好きだった北川紗弥加と過ごす普通の三分間。もし、女神様が、僕の失くした三分間を与えることが出来るなら。僕は普通の――何気ない三分間を望むよ」 「――あなたは正直な人なんですね」  そう言って、女神様は目を細めた。そして、左右に広げた両手を下ろす。 「僕はやっぱり、今でも北川紗弥加が大好きで、それがたったひとつの答えなんだ」 「わかりました。では、里井幸哉さんの正直さを讃えて、女神の力で、北川紗弥加さんとの普通の三分間――これからずっと何度も繰り返し、続く時間を差し上げましょう」 「ありがとうございます。女神様」  僕はそう言って、女神様の約束に、微笑みを返した。 「これからはずっと、失くさないように、大切にするのですよ」 「約束するよ。もう失くさない。大好きだから」  僕はプールの中で、女神様を演じていた女の子に近づくと、その濡れた体をそっと抱きしめた。  大好きな彼女――北川紗弥加のことを、ぎゅっと。  
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