ひったくりの金

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ひったくりの金

 あの阿呆め、女を狙うより簡単じゃねえか。なんにも無いのにニヤニヤしながら突っ立ってやがった。隙だらけだがやめておこうかと思ったくらいに気味が悪かったね。  結局手を出してしまったが、奪った瞬間にまあまあ重量を感じた。あの挙動不審な感じだと、かなり重要な何かが入っているのではないか。  今はバッグは右腕に掛けているが、両手でハンドルを握っているので中身が分からない。それだけに、余計中身が気になる。  俺の予想では、獲物は財布なんてもんじゃないと思っている。ビジネスマン風だったので、もしかしたら何処かの会社との裏の取引の材料かも知れない。何にせよ、これは大物の予感がする。俺の勘がそう言っているのだ。  良いタイミングで赤信号になった。俺は中身を確認しようとバッグを開けた。ところが、中身はノートが数冊入っているだけだった。しかも何も書いていない新品だ。  意味わかんねえ。金目の物どころか、仕事に使うような物も何一つ無いじゃねえか。俺の頭の中では、数々の疑問が飛び交っていた。  このノートには何の意味があるのか。あいつは何をしに来ているのだろうか。そもそもあいつは何者だったのか。ただの変質者だったのだろうか。  俺はますます気味が悪くなった。幽霊や化物よりも、得体の知れないヤバい人間の方がよっぽど恐ろしい。  歩行者用の信号が点滅し始めた。俺は鞄を再び腕に掛けようとして思い留まった。そのヤバい奴が持っていた鞄を、今俺が持っている。それが何となく本能的に拒まれるのだ。  信号が青に変わる。俺はバイクを発進させると、交差点を右折した。その先には、小さな川にかかる大見橋という橋がある。   俺は鞄をしっかり右手に持ち直すと、片手運転の状態になった。そして出来るだけ歩道側に近寄ると、鞄を思い切り川に放り投げた。  しかしその瞬間、鞄をしめ忘れていた事に気が付いた。それと同時に俺は驚いた。鞄からノートと一緒に、一万円札二枚が空中にひらひらと舞っていたのだ。  底の方に落ちていたのだろうか。俺は数秒前の行動をひどく悔やんだ。自分がバイクの運転中だと言うことも忘れて。  がしゃん、という音が聞こえる。一万円札に目を奪われていた俺は、慌てて前方を見ようとした。だがその時にはバイクは横転し、俺は歩道に投げ出されていた。  前の車にぶつけちまったのか。そう思う間もなく、後続車が次々と走り去る。俺のバイクを踏みつけ、蹴り飛ばしながら・・・。  目の前で、愛車が悲鳴を上げながら壊れていく。ヘルメットがなければ、俺の顔は醜く歪んで見えただろう。クラクションが鳴り響き、車がどんどん巻き込まれていく。金属同士が激しく衝突する音が耳に飛び込んでくる。  混沌とした橋の上で、俺は呆然としていた。ああ、俺は一体、どこで間違えたというんだ。いや、俺が悪いんじゃねえ、あの変質者が悪いんだ。  しかし何を言おうとも、もはや取り返しがつかない。俺はその場でがっくりとうなだれた。  
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