『金』のある場所

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しばらくして私はあらためて会場を後にした。 会場を離れた後も、展示会で見た金の事を考えていた。 ああいう純金で出来たもの…一つでいいから手に入れてみたいなぁ… 金の事に関心を持つというのは誰にでもあると思う。 それは『金銭的な理由』が基本的な理由であれば、それとは別に『綺麗だから』といった『美的な理由』で関心を向ける人だっている。 目的は人それぞれだろうけど、少なくとも言えるのは『誰もが必ず関心を向ける』という事だと私は思う。 金というのは、万人が自然と関心を向ける『本当の価値』というのが込められているものなのかもしれない。 そう考えながら、私は歩き続けた。 その時、私はふと何かを察した。 私はその察した方を向いた。 その向いた方にあったのは、窓から見える外の風景だった。 窓の向こうには、街の風景が広がっていた。 こういった風景って、何かと開放感があるんだよね… 建物が密集している環境でも、こうやって高いところから見ると、そこから一気に解放されたかのような別世界が広がるっていうか… この時、私はふと不思議な気持ちを抱いていた。 …正確には、『察した時』からだろうか… その時と、今私がその風景を目の当たりにしてる時、私はそこに『金があるような感覚』を覚えたのである。 その察したところにあったのは、金とは一切関係のないものだった。 今見ている風景も、その窓の周囲にあるものの中にも、金に関するものは色を含め何一つなかった。 それでも、『その時に感じた事』はまさしく『実際の金を目の当たりにした時に抱いた事』と同じだったのだ。 あの会場にいた時みたいに『実際の金』を見たわけでもないのに、なぜそう思えたのだろう… 今そのように思えた事は、金そのものですらないどころか、色さえも金とはほど遠いものしかない完全に別のものだった。 それでも、『金を目の当たりにした時に抱いた時と同じ気持ち』を抱いたのは確かだった。 特にする事もなかったので、ひとまず店内を散策する事にした。 ここは小さい頃からひそかな楽しみとして通っていた場所で、その時の心境は今でも続いている。 何年経っても変わる事なく続いていくのは、金の価値や魅力に限った事じゃないというわけで… 店内は色んなコーナーがあった。 服を基本に、かばんや靴、調理器具や家電製品、江戸切子や備前焼、輪島塗などの工芸品… ほお…こりゃまた金とは関係なくても、それとは別に、何よりそれ以上にすごくいいものがあるなぁ… こういう印象って、手に入れるどころか、手に取らなくても何かとただそれを 目の当たりにしているだけでそれに相当する感じを覚えるものだよね… あ、向こうの絵画の展示コーナーにもすごくいいのがある。 これもまた金とは関係ないものが基本の絵画だったが、それさえも『実際の金を目の当たりにしている時に抱いた気持ち』と同じ気持ちを抱かせた。 金そのものではなくても、ここに展示されている絵画はそれに負けない魅力を実感させてくれるなぁ… 自然とよぎる感覚のみわかる。 これが芸術ってものか… 一旦店内を出た私は、街中を散策する事にした。 今日は休日という事もあってか、街中は多くの人でにぎわっていた。 千葉県にも千葉県なりのいいところがある。 ここにいる人達は、私と同じ千葉県民もいるけど、他のところから来てくれた人もいるのだろう。 東京へのベッドタウンだけでなく、こうして観光のために来てくれている人がいるのは千葉県民として身に余る光栄である。 そう思う私の中で、ひそかにまたあの気持ちがよぎっていた。 さっきと違って今気を向けているのはモノですらないはずなのになぜ…? それでも、その気持ちがよぎっているのだけは確かだった。 ふと私は空を見上げた。 今日はとてもいい天気だった。 そういえば最近、今まで降らなかった日が続いたのが一気に来たように連日雨の日が続いてたっけ… そういう事もあり、今日の晴れはまさしく久々の晴れ間だった。 晴れの日は普通にいいけど、曇りや雨の日が続いた中で晴れになると、いつも以上に晴れの日が神々しかったりするよね… 久々の晴れがこうして出かける日に合わせてくれたのは最高のタイミングである。 もちろん、雨の日だって、その日だからこそいつも以上に出来た事があるし、何より大規模な畑の水やりが出来た意味で最高にいい機会だったと実感出来るからね。 こういった事を考えている時も、私の中で『実際の金を目の当たりにしている時に抱いた気持ち』がよぎっていた。 目の当たりにした事だけでなく、ふと思い浮かべた事にさえも金に対して抱く気持ちを抱くとは… 金どころか、モノですらない事にもそこに実際金があるような感じを持つのはどうゆう事なんだろう… その後も、私はふと気を向けたものを目の当たりにする度に、それが金とは完全に離れたものであっても、まるで『実際の金を目の当たりにした時に抱いた 気持ち』と同じような感じを覚えた。 それは決して『気のせい』で終わるようなものではないと私には思えた。 実際そこに金はなく、明確な形でその事実を目の当たりにしているのもかかわらず、それでも私にはまるで実際金を目の当たりにしているように感じたのだ。 それはまるで、そこに実際金があるような感じで、時に一瞬だけそうなったかのように私には思えたのだった…
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