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そんな感慨に浸る中、目の前に小さなおむすびと、5円玉だろうか。
私の首に巻かれたよだれかけを新しいよだれかけと入れ替えて、拝むその姿。
合わせる両手は皺を重ね、頭は白髪を覗かせるように頭巾を巻いている。
それだけでこの者の想いが伝わる。
「孫が無事でありますように」
元来、地蔵に巻かれる赤のよだれかけには子供の厄祓いの願いが込められている。
それを綺麗なよだれかけに巻き変えてくれているが、どこか汚れている。
きっとこれを使っていた子供の物なのだろう。
今の時代も、こうした昔の風習を大事にしてくれる人々がいる。
「きっと大丈夫。貴方の想いがその子の気力になりましょう」
そんな言葉を投げかけたいが、それはできない。
ただただ眺めて、一礼して立ち去るお年寄りの曲がった背中を人影の中に消えるまで見つめる。
お地蔵さん、そう呼ばれて、親しまれて、敬われた時代から遠のいたが、今もこうして私を慕う者もいる。
全く見てもらえないが、いつか目の前の行列に並ぶ人々も、何処かの地蔵に願いを馳せるかもしれない。
私はただ、それを願うのみなのだ。
『願われる者』は、想いに尊重されるからをあり続けられる。
人々の心が向いてくれているうちは存在として、認知される。
まだ私がこの都会に佇んでいられるのは、やはりこの都会の人々によって、生かされている。
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