今宵ひと晩、きみを

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 飛翠は様々な研究のために取り出していた書物を片づけ、通いの天女たちに留守を頼み、旅装を整えるなどして焔華の元へ戻った。  焔華はすでに腹ごしらえを済ませて宮の縁側に出ていた。  千切れ雲のひとつに乗り、いよいよ雲海の下の世界を覗き込んでいる。 「そうだ。あっちに渡る前にひとつだけ。  あちら側では数百年ごとにころころ国が変わるし、時代によって使われる言語も違うんだ。だからその時使われてる言語に応じて、てめーも名前を変えなきゃなんねえ」 「では君はその国では何と名乗っているんです?」 「トウエ。炎の花」 「トウエ……いい響きですね。その言語だと、私の飛翠という名はどうなりますか」 「飛翔……は、イシュ。 イシュ・ラ……イシュラ…かな」 「イシュラ。……何か自分の名ではないような、変な感じです」 「そう呼ばれるようになれば、すぐ慣れるって。ちなみに朱の皇子はいまは草原の王をやってて、こちらにいた時の記憶はないからてめーも合わせて初対面のフリしてくれよ」 「分かっていますよ。第一、皇子がこちらにいらした時だってさほど面識なかったですから、私達は初対面みたいなものです。ご心配には及びません」 「そうかい。それじゃ、行くとするか!」  焔華は腕をまくり上げる振りをした。袖のない、薄絹一枚だというのに。  飛翠はその様子にぷっと吹き出し、頷く。 「――ええ。どこへなりとも、参るとしましょう。……きみとなら、どこへなりとも」  そして二人は、雲の切れ間にその身を躍らせた。 《了》
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