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そうして、私の新しい生活がはじまった。
まず家に帰るまでに五度絶頂を迎えた。
移動と殺戮の両方の性質を備え持つ鉄の塊 “車” のすぐ傍を歩くという異様な興奮体験で一度。
それから駆け寄ってきた犬の愛らしさ、はしゃぐ子供の姿、どこかのお店から漂ってくるこうばしく濃厚な香りで一度ずつ。
さらには老若男女問わず町をゆく人の姿に、“時間とは流れるものなんだ” と、そして今その一点に自分が立っているという神秘に感動して絶頂。
さすがに二回目以降は興奮のあまり気絶するということはそうそうなかったけれど、それでも毎度気を失いそうになるほどゾクゾク、ワクワクした。
そうして家まで帰りついて、そこにたどり着けたという奇跡に感動し、
ついに失神した。
そんな感じで、私は何を見ても、何を体験しても、感動できないものはなくなった。
これまでの無感動とは正反対。
喜んでいいのか、苦しんだ方がいいのか分からない時が多々あったけれど、心も体も素直だった。
それに、なぜかは知らないけれど、前よりもクラスメイトに話しかけられることが増えた。
それまでは話は合わないし、話しかけられても面倒だからとあえて冷たくあしらっていたのだけれど、
今では何を聞いても、どんな話をしても否が応でも感動してしまうから、きっとそのためなんだろう。
もちろん似たようなことには少しずつ慣れてくるから、登下校や人との接触だけで興奮するような機会は減っていった。
それでも、いやむしろ機会が減ったからこそ、私はその絶頂の余韻が忘れられず、新しい刺激を求めた。
無理やり探すまでもなかった。
心が疼く方に向かえば、ただそれだけでよかったのだ。
私は前向きだった。
これが呪い? むしろ感動する能力ではあるまいか。
ただし、注意しなければならないこともあった。
特に、人間関係において。
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