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「慧君のいないところで決めなきゃよかったかねえ。うちの店、恋愛禁止なのに」
「恋愛って、俺は別にシゲちゃんとどうこうする気は――」
「シゲ、ちゃん?」
目が線になるくらいの笑顔で店長が俺の顔を見つめる。こういう時は本気で怒っている時だ。まずいと思った俺はシゲが紅茶を淹れて竹田さんに出しているのを見届けて、控え室に店長を引っ張り込む。
「だ、だったら、何でまず女性客しか来ないうちの店にノーマル雇ったんですか……!」
お客様及び店員同士の恋愛を一切禁止しているこの店は、かつてある店員がお客様と不倫関係になって夫が乗り込んできたという大変な騒動になったことがある。それがきっかけで店長――既婚で奥さまと一人息子を溺愛している――の方針が決まり、ゲイである俺が新人でも雇ってもらえることとなった。その後は先日辞めたバイトの子、雪菜と連続で女の子を採用していて、今後もゲイでなければ女の子なのだろうという感覚で居ただけに、店長の決めたこととは言え納得がいかなかった。
「いやあ……だって、シングルファーザーだって言うから、大丈夫かなって」
「……シングル、ファーザー?」
言葉が一回頭の中に入ってきた後、拒絶反応で吐き出され、一瞬意味を理解したはずなのに、混乱して訳がわからないまま鸚鵡返しする。
「離婚した後、娘さんを一人で育てているんだってよ。手に職付けようって美容師資格取ったんだって。そんな人が恋愛禁止のルール破るとは思えないよ」
そうか、とどこか熱に浮かされていた自分が恥ずかしくなり、そして彼が普通に結婚していたということ、妻がいたということ、その人との間に子供をもうけていたことを一つずつ咀嚼していくうちに冷静になっていって、喉の奥に引っ掛かっていた痼が取れたような気分になる。
もう彼は、かつて俺が恋をしていた「シゲちゃん」ではないのだ。
「それなら、仕方ないです。俺のことは気にしないで大丈夫です。シゲの方もさして思うところもないでしょうから、店には迷惑かけません」
フロアからアラーム音が聞こえてきて、俺は店長に一礼し控え室から出た。竹田さんのデジタルパーマが終わったのだ。
「熱くなかったですか?」
「平気ですー」
笑顔で竹田さんの顔を鏡越しに見ながら聞くと、紅茶を飲みながら彼女の視線がシゲを追っているのに気付く。そうだろうな、と納得しながら、いつもなら「どうしたんですか」と突っ込むところをスルーしてロッドの一つを取って掛かり具合を確かめた。問題無さそうだったので、全てのロッドを取り外すと機械と道具を雪菜とシゲが奥の部屋に持っていく。
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