ただの散歩もデートのような気がした。

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ただの散歩もデートのような気がした。

 もやもやしていても、季節が梅雨に突入して汗ばんでいても、わたしの日常が変わることはない。  失くしたらしい記憶も戻ってくる気配がなく、もう忘れちゃったことも日常にすっかりと溶け込んでしまっている。  わたしがレンくんに思わず話しかけてしまい、周りから生ぬるい目で、ときどき沙羅ちゃんから寂しそうな目で見られてしまうのにも、変だ変だと思いながらも、今ではすっかりと慣れてしまった。  それがいいことなのか悪いことなのか、わたしにはわからない。  レンくんは普段はどこにいるのかもわからないけれど、確実にいるってわかるときがあることにも気が付いた。  図書委員の当番をしているときと、美術の授業をしているときだ。  美術で皆で絵の鑑賞をしているとき、レンくんのサインが入っている絵を見つけることがあり、わたしはそれをいつも食い入るように見ていた。すごく上手い絵でも、すごく個性的な構図でもないけれど、ここにレンくんがいるのかと思うと、妙に安心してしまう。  図書委員をしているときは、わたしが台がないときに高いところにある本が取れないでもたもたおろおろしていると、どうやってかわからないけれど取ってくれたり、逆に「この本ってどこに片付ければいい?」と聞かれたりする。そのことにほっとする。  学校の制服も夏服に替わったけれど、梅雨の中途半端な肌寒さと、図書館の冷房のせいで、未だにカーディガンが欠かせない。  今日も雨のせいだろう。家にさっさと帰ってしまったらしく、放課後の図書館は閑散としてしまっている。司書さんたちは新しい本にバーコードを付ける作業をしていてカウンターの中。わたしは返却処理を済ませた本をカートに載せて運んで、それぞれの本棚に片付けていた。  図書館は雨の中でも、たくさん本が詰まっているせいか湿気が溜まらずにからっとしている。今日は誰にも使われることのなかった台に乘って本を片付けていると、「なあ、間宮」と声をかけられる。  慣れって怖い。前は変人に見られてしまうと躊躇していたのに、見えないレンくんの声に、「はあい?」と返事できるようになってしまったのだから。 「間宮さあ、今度の土曜日って暇?」 「ええ? 暇だけれど」  高校生だからといって、毎週予定が詰まっている訳じゃない。遊びに行きたくっても定期が使える場所じゃなかったら高くて出かけられないし、少ないお小遣いからスマホ代を差っ引いてやりくりしないといけないんだから、使えるお金は限られている。  レンくんはいっつもわたしの近くにいる訳じゃなく、確実にいるってはっきりしているとき以外はどこかに行っているし、黙っていられるとわたしもどこにいるのかがわからないから、彼が普段なにをして過ごしているのかは慣れてしまった今でも知らない。  レンくんの言葉の意図がわからないまま、わたしがきょとんとしていると、レンくんがあっさりと言う。 「ちょっと付き合って欲しいんだけど。散歩」 「……散歩?」 「そう」  そう言われてしまうと、ついついまごついてしまう。  だって、今までは学校のクラスメイトたちの前でしか、レンくんとしゃべってはいなかったんだから。記憶喪失のことまでは言っていなくても、入院していたことまでは知っているはずだから、わたしが退院してから挙動不審になっていても見て見ぬふりをしてくれていたけれど、学校の外で会うとなったら話は大きく変わってくる。  病院では、わたしがひとりで挙動不審だとしても患者さん以外には見られないからいいけど、街中ではどうなんだろう。  挙動不審のまま歩き回っていたら、本当に変人になってしまう。そもそもレンくんがいるって確実にわかっているのは声だけなのだ。人が多い場所で、彼の声をはっきりと聞き取れるかが、自信がなかった。  わたしが押し黙ってしまったのをせかしたのか、レンくんが言葉を重ねてくる。 「駄目? やっぱり予定入ってた?」 「予定は、ないけど……」 「んー……やっぱ俺と散歩は駄目、かあ……じゃああれだ。デートと言えばいいのか」 「で、えと?」  その言葉に、わたしは固まる。  ……はっきり言って、レンくんとは見えない男の子だからしゃべれているようなものだ。普段のわたしは、世間話ですらまごついて男の子とそんなに長いことしゃべれない。滝くんは要件しかしゃべらないから会話が成立するようなもので、レンくんほど話が弾むようなことはまずない。  そんなわけだから、わたしは男の子と付き合ったことなんてないし、ましてや、デートなんてしたことは、人生で一度もない。  それなのにレンくんに「デート」と言われてしまい、みるみる顔に熱が溜まっていくのを、わたしは必死で抑え込もうと顔を手で必死で仰いだ。 「間宮? なんだ、そんな怒るほど嫌か?」 「そ、うじゃなくって……! で、デートとかいう言葉を使うのは、やめたほうがいいんじゃないかな。誤解する子も、いると思うよ」 「んー……そうかあ……」  レンくんは一瞬間延びした声を上げたあと「なら」と言葉を付け加える。 「ウィンドウショッピングだったらどうだ? 散歩だし、これだったらデートじゃないし」  それって、ただの言葉遊びで、意味は変わってないような気がするけれど……。  わたしはどうにか火照った顔を鎮めると、ぽつんと言う。 「それだったら、別に……」 「いいんだな? じゃあどこで待ち合わせしよう!」 「ええっと……声の聞こえるところがいい」 「ん?」 「……レンくんの声が聞こえる場所。そうじゃなかったら、わたしはレンくんがどこにいるのか、わからないから」  ごにょごにょとする縮こまった声を誤魔化すように作業をしていたいけれど、人気の少ない図書館で、誰にも邪魔されない返却作業はスピーディーだ。もうカートの積んだ返却本は一冊になってしまっていた。  その一冊をわたしは掴んで、どうにか視線で指定の場所を探していると、レンくんが「声かあ」と唸っているのが耳に入った。  ……やっぱり変人って思われたのかもしれない。他の人にすっかり変人扱いされてしまうのは仕方ないのかもしれないけれど、レンくんにまで変人扱いされてしまったら辛いなあとぼんやりと思う。  そう思っていたら、レンくんは「あ、そうだ」と声を上げる。 「ええっと?」 「なら矢下公園で待ち合わせだったらよくないか? 紫陽花咲いてるから、結構人通りも多いけれど静かだし」  矢下公園は、近所だと結構人通りの多い繁華街からちょっと住宅街に差し掛かった場所にあるから、比較的静かな場所だ。  ときどき学校で校外マラソンを行う際には、そこのグラウンドを使って走ることもあるけれど、たしかに植わっている紫陽花は綺麗だったと思う。最近は赤っぽい紫陽花ばかりが目立つけれど、あのあたりで咲いている紫陽花は皆白かったと思う。 「うん、それだったらいいよ」 「そっかあ。あー、よかったぁ」  そこで心底嬉しそうな声を上げるレンくんに、わたしも思わず釣られてにこにこと笑ってしまう。  ひとりで散歩していても、季節の花が咲いているんだったら、「花を見ている」と言い訳ができるかもしれない。  レンくんの言う通り「散歩」かも「デート」かもわからないけれど、ウィンドウショッピングだと誤魔化してしまえば、ひとりで歩いていても大丈夫だろう。  なによりも、病院以外でレンくんと出かけるなんていうのははじめてだ。  ……思えば入院中、わたしの入院着を見られていたんだよなあと思えば気恥ずかしい思いもするけれど、したくてした訳じゃないと開き直ってしまえばいい。 「何時に待ち合わせしようか」 「ええっと、十時は早過ぎるか?」 「これくらいだったら大したことないよ」  その日は曇りだけれど、服はどうしよう。靴は綺麗なやつがあったっけと、わたしはぼんやりと持っているものを頭に思い浮かべていた。  土曜日は、天気予報でも梅雨の中休みだと説明され、じめっと湿気は溜まっていたけれど、雨だけは降りそうもなかった。  久しぶりにいい天気な中、わたしはどうにかして可愛い服を探し出していた。  デニム地のワンピースは、季節が中途半端だったために真夏に着るには暑すぎて、でも春先だと寒すぎてしまい込んでいたけれど、今日だったら着られそうと引っ張り出してきたものだ。靴は可愛いスニーカーを引っ張り出してきて、それを履いた。  わたしは全然見えないのに、レンくんが声をかけてくれるような格好じゃなかったらどうしようと、そう気を揉みながら矢下公園を目指した。約束の時間までまだ三十分はあったけれど、人を待たせるよりも待つほうがマシだと思って早めに移動を済ませてしまう。  紫陽花が植えられて、それを眺めながらベンチに座る。じめっとした空気だけれど、晴れていたせいかベンチに水は溜まっていなかった。そしてグラウンドのほうを眺めて「しまったなあ……」とぼんやりと思った。  グラウンドのほうでは、見慣れたユニフォームが走り回っているのが見えたからだ。うちの学校の名前が入ったサッカーユニフォームで、今は紅白試合をしているらしく、ビブスの色で組み分けして激しいボールの奪い合いを繰り広げている。  ここは普段学校の授業で使うことはあっても、休みの日まで足を伸ばすことはなかったから、部活でまで使っていることは知らなかった。ましてやサッカー部なんて情報規制がかかっているせいで、休みの日はどこで練習しているのかさえ知らなかった。これって学校の人たちにわたしが挙動不審になっているのを目撃されるんじゃあ。  どうしよう、ここでひとりで待ってていいのかなと、わたしはきょろきょろと辺りを見回そうとしたとき、タイミング悪くボールが転がってきた。距離が遠かったせいで、ボールの勢いは弱まり、わたしの足元まで転がったときには運動神経が鈍いわたしでも取れる程度の勢いになってくれていた。  それで慌ててこちらまで走って来る人がいた。滝くんだ。 「ああ、間宮。悪い」 「え、うん。はい」  滝くんはいつもの不愛想な表情のまま、わたしが持ち上げたボールを受け取ると、わたしの格好をちらっと見る。  休みの日だったらTシャツとジーンズでうろうろしていると思う。一日制服を着てくたびれているのに、出かける日でもないとわざわざ可愛い服なんて着ない。男の子はそれがわかるんだろうか。わかったらわかったで気まずいんだけれど。  わたしは表情の読めない滝くんの視線に縮こまっていたら、彼はいつものぼそぼそとした口調で言葉を紡ぐ。 「デートか?」  その言葉に、わたしは思わずベンチから飛び上がりそうになり、ぶんぶんと必死で首を振る。 「さ、んぽです!!」  自分でも、あまりにもひどい言い訳だとは思うけれど、他に言いようがないから困る。わたしが必死で取り繕う様に、滝くんは「ふうん」とだけ言ってから、ちらっとグラウンドのほうを見た。  そしてボソリと言う。 「頑張れ」  なにを頑張るんですか、とはわたしは言えず、「滝くんも部活頑張って」とだけ言ってお茶を濁そうとしたら、意外と生真面目な口調で「今日は監督の用事があるから、昼まで」とだけ言い残して、そのままグラウンドのほうまで走っていってしまった。  はあ……。思わずわたしは肩を落とす。滝くんは顔がいいだけでなく、言葉数が少ないだけで、そこまで悪い人ではないのかもしれない。変人扱いされているわたしにも態度を変えないんだから。  それにしても。わたしは紅白試合を観戦しながらぼんやりと思う。  昼練で終わりということは、ちょうどわたしがレンくんと散歩の約束をしている時間に終了なのかな。  サッカー部の人たちに、わたしがひとりで挙動不審な行動を取っているのを見られるのかと思うと、少し気恥ずかしいと思うけれど。滝くんは私が退院してから、謎のフォローをしてくれているから、大丈夫なのかな。わたしは気を取り直して待っていたら、ちょうど紅白試合は終わったみたいだ。  それぞれが解散していくのを見計らっていたら、「間宮!」と息を切らした声が耳に飛び込んできて、わたしは視線をそろそろとさまよわせる。  見えないはずだけれど、レンくんの声だからだ。 「レンくん?」 「ごめん、待たせて! まさかこんなに早く待ってるとは思ってなかった」 「いや、気にしないで? 今日は本当に暇だったから」 「あー……よかったあ。じゃあどこ行く? 牛丼屋? ファミレス?」 「ええっと……」  ご飯屋さんばっかりだけれど、そもそもセルフサービスの店じゃなかったら、不審者扱いされるような気がする。  この辺りの店で、セルフサービスの店で、そこまで人の混んでない店……。さんざん考えて、「あ」とひらめいた。 「あの、行きたい店があるんだけど」 「え、どこどこ?」 ****  ひとりで入っても差し障りがなくて、セルフサービスで、見えないけれど男の子が入っても問題なさそうな、できるだけ静かでレンくんの言葉が聞き取れる店。  今日は土曜日だし、なかなか難しいと思ったけれど、ひらめいた店は落ち着いていて、ゆったりとした洋楽が流れていても問題ない店だった。  創作アメリカ料理の店で、お小遣いでも行ける程度にはリーズナブルな店だった。お客のターゲットは大学生で、普段は男子大学生で混雑している店だけれど、今日は土曜のせいか空いている。  わたしはカウンターで「ハンバーガーセットひとつください。ドリンクは烏龍茶で」と言うと、「はいよ」と店長が頷いて、会計をしてくれた。どう見ても純日本人にも関わらず、肩を出した筋肉隆々な腕といい、店内のあちこちに貼られた地図や写真といい、アメリカかぶれしてしまっている店長が早速調理に取り掛かっているのを眺めていたら、レンくんは興味ありそうに「へえ」と声を上げた。 「こんな店があったんだ。よく知ってたなあ」 「うん、よくこの店の前を通るし、試しに入ったこともあるから。普段は大学生の人ばっかりで、あんまり入れないから、今日だったら入れるかなと思ったの」 「へえ!」  カウンター越しに見えるキッチンからは、ソースの焦げる匂いやポテトの揚がる音が響いて、自然とお腹を減らしてくれる。  それにレンくんは「すっげえ!」と声を上げているのを見ながら、わたしは「そういえば」と気が付いた。 「ええっと……レンくんは食べられるんだよね?」 「え? 食うよ」 「そうなの?」 「おう」  どうやって食べるんだろうと思ったけれど、よくよく考えたら図書館でもどうやってか本を取ったり片付けたりしてくれているから、わたしがわからないだけで食べられるのかもしれない。  そう判断していたら、店長がわたしたちのほうに「できたよ」と声をかけてくれたので、取りに行く。  ボリュームのあるハンバーガーは、ときどきだけれど食べたくなる。それをはむりと食べていたら、向かいから「うめえ」と声が届いた。わたしは思わずハンバーガーを見てしまう。  ……本当にどうやって食べているんだろう? わたしが思わず声の聞こえるほうをまじまじと見てしまうけれど、やっぱりなにも映らない。  わたしが困っているのに気付いたのか、レンくんはふっと笑う。 「そんな顔すんなって。ほら食べろ食べろ。美味いのに冷めたらもったいないって」 「ええっと……うん」  気を取り直してはむはむとハンバーガーを食べる。店内は今日は人が閑散としていて、来ているのは繁華街まで遊びに行く女の子たちがなにやらしゃべっているのが目に留まるくらいだ。こちらに関して生温かい視線を向けてくることもなければ、変人を見るような怪訝な目を向けてくることもないのがありがたい。  わたしが手についた油をウェットティッシュで拭き取っているときに「あのさ、間宮」と声をかけられて、わたしは顔を上げる。 「なに?」 「ゲーセンって、お前苦手か?」 「ええっと……たまには行くけどさ、どうして?」 「うん、ちょっと入ってみたいなあと思ったんだけど。お前が苦手だったらいいけどさ」 「駄目じゃないけど……でもわたし、ゲームセンターに行ったらレンくんの声を聞き取れるか自信がないよ?」  ゲームセンターはいろんなゲーム音が充満しているから、ただでさえ声でしかレンくんの存在を把握できないわたしは、彼とはぐれてしまうような気がする。見えないっていうのは本当に厄介だ。  前は、どうにか声をかけないでほしい、いないことにしたいって思っていたはずなのに、今はいなくなってほしくないのほうが、強くなってしまっている気がする。  わたしが思わず脅えているのに、レンくんは「ふはっ」と笑った。 「そこまで怖がるなって。ダイジョブダイジョブ。ちょっと試したいことがあるだけだからさ」 「試したいことって……」 「あー、ごちそうさん。それじゃ行こっか」 「え? うん」  レンくんの意図が掴めないまま、わたしはカウンターにプレートを返却してから、ゲームセンターまで出かけることにした。 ****  繁華街が近付くにつれ、人通りがだんだん多くなってきたような気がする。  店から流れてくるアイドルソングが耳に障ると思ってしまうのは、多分音が大きいから。レンくんの声を聞き洩らしてしまいそうで、少しだけピリピリとしていたのかもしれない。 「間宮、すっげえ怖い顔。眉間に爪楊枝突き刺せそうだぞ」 「えっ!!」  レンくんから言われたことで、思わずわたしはぱっと眉間を手で隠す。たしかに顔が疲れているような気がするけれど、爪楊枝が刺せそうなほども皺がついてないもの。  わたしが「むむ……」と唇を尖らすと、レンくんが笑い声を上げる。 「そんなに神経質になるなって。大丈夫大丈夫。俺は間宮の隣にいるから」 「で、でも……見えないし……」  わたしがおどおどと言い募るけれど、レンくんの対応はあっさりとしたものだ。 「大丈夫だって、他の奴なんて誰も他を気にしないから。間宮は他人を気にしすぎなんだって」  そう言われて、思わずはっとする。  人通りが多いといいなと思ったのは、大概人の話なんて聞いてないこと。わたしのほうに視線を向けてくる人はいなくて、ときおり感じていた生ぬるい視線を浴びていたたまれなくなることがないということだ。  だから、わたしが見えない男の子としゃべっていても、誰も変な視線を向けてこないし、わたしを変人扱いしない。  そのことにわたしがほっと息を吐いたところで「どうしても気になるんならさあ」とレンくんが続ける。 「手でも繋ぐか?」 「え?」  そもそも見えないし、今までどんなにレンくんの声が近付いても、吐息のひとつも当たってないんだ。そんなこと、本当にできるの?  わたしが思わず目をぱしぱしとさせてしまったら、レンくんは「ほら、手ぇ出せよ」と言ってくるものだから、わたしはおずおずと左手を出す。  やっぱり手は空を掻くばかりで、なんの感触も掴んではくれないけれど、わたしの手は突然ぷらぷらと揺れはじめた。 「え?」 「ほら、今俺は間宮と手を繋いでいる」 「え、ええ? でも、わたしなんの感触もないよ?」 「ほーら、揺らすから」 「わっ!」  わたしが力を加えていないにも関わらず、手はぶんぶんと幼稚園児が手遊びをしているように揺れるのに驚く。  本当に、手を繋いでいるのと、ただただ目を見張ってしまった。  でもだんだんそれが子供じみ過ぎていて、おかしくなってきてしまって、とうとうわたしは「ふはっ」と息を吐き出してしまった。 「も、もう……やめてったら」  なにがおかしいのか、笑いまで込み上げてきた。わたしが声を上げて笑い出すのに、レンくんは嬉しそうな声を上げる。 「よーし、間宮。笑ったな?」 「え?」 「このままゲーセンへゴーだ」 「ええー?」  そのままわたしは、見えない手に引かれるがまま、とことこと繁華街を歩いて行った。  意外とレンくんは歩幅が大きいのか、わたしはほとんど引きずられている感じだ。温度も感じない、感触も匂いもないのに、なんで、どうしてとついつい思ってしまう。  でも。気になってしまう視線も、大きな音も怖くなくなってしまったんだから不思議だ。  ゲームセンターは定番のクレーンゲームやレースゲーム、ホッケーに加えて、アーケードゲームやらコインゲームやらがけたたましい音を上げている。  その中で、レンくんは「ほら、プリントシール撮ろうぜ」と言い出したのに、わたしは目を見開いてしまった。  そもそもレンくんは見えないはずなのに、プリントシールなんて撮れるんだろうか。それとも、心霊写真みたいになってしまうんだろうか。頭にもやもやとしたものが浮かぶのを感じながら、わたしは手を引っ張られて、プリントシールの幕を取る。  お金を入れて、音声に合わせる。 【はい、ポーズを取って】  音声の指示に従って、わたしはどうにか笑おうとして、出てきた画像を見て思わず目を見開いてしまった。  わたしの隣には、明らかに男の子がいるのだ。  身長はわたしよりも高いけれど、男の子としては低め。160cm台前半くらい。髪は脱色して金髪になっているけれど、不思議と不良って雰囲気はない。むしろ。サッカー部のジャージを着て、くるくるとした表情をカメラに向けているのに、目が離せなくなる。  わたしは思わず隣を見たけれど、やっぱり見えない。正面を見たら、男の子がいる。 「あ、の……」 「んー?」  画面の向こうの男の子がたしかにしゃべっている。その声はレンくんのものだった。  聞いてない。 「ほら、間宮。あんまり変な顔するなって。ほら、もうそろそろシャッター切れるから」 「う、うん」  聞いてない。レンくんが格好いいなんて、全然聞いてない。  わたしはどうにか笑顔をつくったけれど、口元がぴしぴしと強張って、上手く笑えたのか自信がない。  シャッターが切れたあと、太陽のように笑うレンくんと引きつった笑いのわたしの写真が撮れたので、わたしは恥ずかしくって恥ずかしくってしょうがなくなっていた。  わたしが顔を火照らせている中、レンくんは至ってマイペースだ。 「じゃあなに描く? ヒゲでも描いとくか?」  らくがきしようとするのに、わたしは「ス、スタンプでいいんじゃないかな! 顔に落書きはしないで!」と必死で止めて、きらきらするスタンプをポンポンと押してプリントすることにした。  出てきたシールを見た瞬間、わたしはどっと額に熱が噴き出るのを感じていた。 「間宮ー、プリントシールは駄目だったか?」 「そ、そうじゃなくって……なんで?」 「なんでって、なにが?」  レンくんが不思議そうな声を上げるので、わたしは心臓がバクバクするのを必死で圧しとどめようとする。  落ち着いて、全然言葉がまとまらないけど、ちゃんと言わないと。わたしはそう必死で冷静になろうと努めながら、言葉を探した。 「なんで、レンくんはサッカー部のジャージ着てるの?」  素っ頓狂過ぎる言葉が出てきて、我ながらなにを言っているんだと口元を抑えてしまう。レンくんは「あー」と声を上げたあと、本当にいつもの調子で言葉を返してくれた。 「サッカー部だから」 「ええっと……さっきのサッカー部の練習にも、いたの?」  滝くんが頑張ってるなーと思いながら、レンくんが来るまで見ていたけれど、もしこんなに格好いい人がいたら、わたしはずっと見ていたと思う。……レンくんは、サッカー部にはいなかったと思うんだけど。  わたしの言葉に、レンくんは「え、うん」とこれまたあっさりとした返事。  う、うええええ? だから、いなかったよね。それとも、わたしが見えてないだけなの?  わたしが頭がぷすぷすと焦げそうになるのを感じながら、レンくんがいるのかもわからない方向に視線を落とす。  やっぱりプリントシールの幕から出てきたのはわたしだけで、レンくんの姿は見えなかったんだけれど。 「やっぱり、間宮は俺と一緒に遊びに行くのは駄目だった?」 「え?」 「プリントシールに入った途端、お前変になったから」 「へ、変って……! わたし、別に好きで変になったわけでは……」 「んー、やっぱりお前、変」  あなたの、せいで、わたしは、変なんです……! とは、口が裂けても言えなかった。  わたしは口をフガフガさせながら、顔が火照って熱くなるのを感じながら、蒸発しそうな言葉を必死で繋ぎとめる。 「た、楽しいよ! 本当。ご飯食べて、シール撮っただけだけれど、本当に、楽しい」 「あー……よかったあ……」  またそう声を上げる。さっきの小柄な金髪の男の子が、本当にほっとした顔をしているのが脳裏にひらめいた。  シールは結局、ふたつに分けて、片方はレンくんにあげた。どうやって持って行っているのかはわからなかったけれど、レンくんはもらってくれたみたいだ。  残りは、ふたりで本当に店をぶらぶらと見て回っただけだったけれど、それだけでも不思議と楽しかった。  手を繋がれても感触がない。でもたしかに隣から声が聞こえるのに安心していた。  服屋はお小遣いだととてもじゃないけど買えない値段ばかりで、レンくんは「たっか!」と言うのでわたしは「レンくん!?」と注意していたら、当然ながら店員さんに睨まれた。  スポーツ用品店の前を通ったら、ボールの値段が思っているよりも値が張ることに驚いた。それにレンくんは「そうだよなあ、高いよなあ」と笑ってくれた。  本屋に行こうとしたら、レンくんに手を引っ張られて素通りしてしまった。「お前本屋に行ったら本を見て戻ってこないだろ」と指摘されてしまったんだ。……うん、そうだね。  ウィンドウショッピングって、こんなに楽しいものだったっけ。そう思うくらいに満たされて、ようやく繁華街を抜けた。 「楽しかった……!」  わたしが声を上げると、レンくんが笑う。 「おう、俺も楽しかった。それじゃ、そろそろ帰るわ」 「うん……えっと、レンくん?」 「なに?」  こちらに彼が振り返っているんだろうか。そう思ったけれど、わたしには彼を見つけることはできない。  だから、精一杯笑顔をつくって、目が合うといいなと思いながら訴えた。 「ありがとう。誘ってくれて」  そのひと言だけは伝えたかった。普段はすぐに返事が返ってくるのに、レンくんがいつまで経っても声が返ってこないのに、途端にわたしは不安になり、視線をさまよわせる。  もう、彼はいなくなったんだろうか。それともさっきまでのことは、わたしの都合のいい妄想だったんだろうか。  きょろきょろとしていたら、ふいにわたしの手はプランプランと揺れた。 「え?」 「あー、もう。間宮。絶対にその顔、他ではすんなよ!?」 「え?」 「可愛いから! じゃあな!」  そのひと言と同時に、手はプランと大きく揺れて、力が抜けた。  男の子から、面と向かってそんなことを言われたことは、今までなかった。わたしは両手で頬を覆うと、そのまま立ち尽くしてしまった。  なんでなんなに格好いい男の子が、わたしのことを気にかけてくれるんだろう。見えないのが申し訳ないくらいだ。  あのプリントシールは、見えないところに貼って、大事にしよう。そう心に決めた。
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