第2章「エリート崩れの叫び」ー早坂 杏理①ー

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 案の定、ショップスタッフの仕事は杏理の性に合わなかったが、不思議と居心地は悪くなかった。同期の佐山翔(さやま しょう)武山成実(たけやま なるみ)とは馬が合い、それなりに楽しいと思える日々を送っている。でも、どうしても仕事自体を好きになることはできない。お客さんにへこへこしたり、おべっかを使ったり、謝ったりすることは、プライドの高い杏理には苦痛以外の何ものでもないし、“アウトレット”という、プロパー店の売れ残りを安く売り捌く場所に身を置いていると、気持ちが萎える。特に“B品”という、少しの傷や汚れが付いているだけで、破格の値段で叩き売りされる商品を見ていると、まるで自分を見ているかのようで吐き気をもよおすくらいだ。自分はいったいどこまで堕ちていくのだろう、という得体の知れない不安に支配され、急降下していく自分の社会的・人間的価値に絶望し、眠れない夜が何日も続いている。  その夜、マユリが「cafe musica(カフェ・ムジカ)」に戻ってきたのは、時計の針が12時をまわった頃だった。どこで引っ掛けたのか、引っ掛けられたのかわからないが、イケメンと言えなくもない頭の悪そうなチャラ男と手を繋ぎながら店に入ってきたマユリは、上機嫌だった。 (私もあのくらい、頭の悪い女だったら、もっと人生を楽しむことができたのだろうか?)  マユリが席に忘れていったセッターメンソールを燻らせながら、杏理は、眠れぬ長い夜の過ごし方を考えていた。
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