百官の王

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 白い池に紅い絹で縫われた蹴鞠が落ちた。そこは波紋の広がらない石の池。真珠のような白い小石を、池の水に見立てて敷き詰めた枯山水の庭園である。  ここは宮中からもっとも離れた都の屋敷。俗世間から結界を張るように、屋敷を越える背丈の竹林に囲われていた。  それは風を遮り、夏の湿りを淀ませ、陰鬱に浸すように庭園へ影を落とす。だからこその枯山水。わずかばかりの陽ざしで、栄えるように求めたのが白であった。  それを蝕むように覆い始めた緑翼の苔。あえて取り除かずに、その生育を眺める者がいた。この屋敷の主、北畠親房(きたばたけ ちかふさ)である。村上天皇の血筋で、代々天皇家に固い忠義を果たしてきた公家の家柄。  親房は庭園に人の心を見ていた。白を忠義と見立てて、侵食してくる苔を時代によって変わりゆく正義とした。  今の時代を握るのは北条一族。同族本位な悪政で揺らぎ始めた鎌倉幕府の支配者。今はまさに変革の時である。親房はこの庭園に滅びゆく鎌倉幕府の人心を映していたのである。 「なに故、官位をお与えになりました」  耳を刺すように責め立てる声は親房へ向けてのもで、その当事者は妻であった。池に落ちた蹴鞠は、ふたりの間に生まれた子が遊んでいたもの。  駆け込んできた妻が憂いた眼差しを向けて、我が子を守るように抱きしめたことで、蹴られた蹴鞠を返すことが出来ずに転がり落ちたのであった。 「与えたのではない。与えられたのだ。お上(天皇)のご意向である」 「されど、この子は・・・」  我が子を抱く妻の手に、より一層こもる力。膝を着いても胸に届かない我が子の背丈。母と呼ぶようになったのが昨日のことように思い出される記憶。  歳は3つである。それが官位を与えられた。従五位下というお金で買うことが出来るもっとも高い位であった。 「案ずることなどなにもない。3つで官位など、むしろ遅い方である」  親房が同じ官位を与えられたのは、生まれてたった半年。それ故に当然の主張である。それにお金で買える官位と言っても、今回与えられたのはお上の意向によるもの。それに嘘偽りはない。  北畠家は代々天皇に仕え、忠義を貫き通してきた家柄。官位は信頼の証である。それにも関わらず、非を浴びせる妻の視線。それを親房は咎めない。妻の思いは正しいからである。本来、この官位を得る資格がないのだ。なぜなら、この子は家督を継ぐ権利のない娘であった。
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