百官の王

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 後醍醐天皇の即位以降、文官を本分とする公家の中にも顕家同様、戦で功を挙げるに者は現れていた。それでも戦の主役はやはり武士である。  戦局を左右するのは、いかに各地に散らばる武士を味方につけるかである。その武士たちが命を預けるとするならば、官位よりも実績を求める。つまり、都で文字ばかりを追ってきた公家の顕家よりも、刀ひとつで成り上がった武家の新田に付き従うのは、必然と言えた。その新田との合流は顕家の存在価値が浮き彫りにならざる負えないのである。 「顕家よ。人とはなんだ」 「人とは、駒であるまする」 「では、心とはなんだ」 「心とは、忠義でありまする」  これは幼少の頃より、父と繰り返してきた禅問答。本来、問いかけるのは弟子であり、答えるべきは師の務め。それを転じて父が問うのが北畠家の在り方であった。 「功とはなんだ」 「官位の指針でありまする」 「官位とはなんだ」 「席次を定めるものでありまする」 「では、顕家よ。此度の戦において、そなたが求めるものは上座であるのか」 「いいえ」 「では改めて問う。そなたはなぜ伊勢へ戻ったのだ」  我が子と別れてから約一年。都で生まれ育ち巣立った先が東北の陸奥国府。都のみならず、鎌倉をも占拠した足利方との戦に追われる日々に、勝ちと負けを繰り返す中で蹴鞠を蹴るほどの安息の時はありえない。  特に上洛を望むお上からの綸旨(りんじ)を受けてから挙兵の道。日が差せば喉が渇き、雨が降れば熱を奪われ、進むことを阻むように押し戻す風が吹く。森の闇は行軍を許さず、朝露が鎧を濡らすと足枷のように泥がまとわりつく。朝の陽ざしより先に立ち込める霧があり、お日様を拝めばその温もりに涙を流して感謝する。一日がまるで四季である。それが七ヵ月。人が変わるには十分な月日。  もしも、顕家の心に陰りがあるのならば、北畠家を継ぐものとして、父には果たすべき使命がある。  人は駒である。心は忠義である。その言葉はいかなる矛盾にも心を揺らさないための戒め。我が子であろうとも斬ねばならぬのである。  それを示すために出迎えることもせず、立ったままの束帯姿に太刀を帯びたのだ。だが、逆にそれは顕家の真の心がどうであろうと、忠義さえ示してくれれば咎めることなどしないという警鐘であり、親心による願いであった。本心は斬りたくないのである。
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