百官の王

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「そなたは男である。父が認めた男である。今さら何を戸惑う。これまでを振り返られよ。陸奥国府を与えられたのだぞ。これまで武士が治めた東北を、公家のそんなが治めたのだぞ。お上がそなたを認めたのだぞ」  父は刀を抜いた。切っ先を顕家の喉元へ。顕家は目を閉じた。覚悟の証である。それは父が望んだ姿ではない。父は刀を床板へ突き刺した。 「誰か、誰かおらぬか。弓と矢を用意致せ」  父の呼びかけに足音が鳴り響く。駆け付けた家臣が襖を開けた。庭園から吹き込む冬の風が顕家の股を通り過ぎ、鼻へ染み込む香りが呼吸を乱す。  父は息を止めた。顕家の襟元を掴むと、家臣から弓と矢を受け取り、顕家をそのまま目の前の庭園へ引きずり下す。  土と苔と岩。土地の自然を生かした庭園の中心は、水を張った浅い池。そこへ顕家と共に踏み入れた。 「弓を持て、構えてみよ。その目で己を見定めよ」  父は顕家の弓を構える姿が誇りであった。人が金や官位になびくように、顕家の構えた姿は人の心を魅了するのである。 「伊勢まで来たそなたの軍勢は、数十万に膨れ上がったのだぞ。それだけの人の心がそなたを認めたのだ」  顕家は構えようとはしなかった。手渡された弓はかろうじて指先に引っ掛かっているだけ、矢はすでに水の底に沈んでいる。水面は波紋が打ち合い、顕家を映してはいない。 「なぜ構えぬ。何があったのじゃ。何がそなたを変えたのじゃ」  鎌倉幕府を滅ぼしたのは後醍醐天皇。その最大の功労者は足利尊氏。北条一族に支配された都を戦で破り、天皇に上洛の機会を与えた。  だが、その天皇を都から退けたのも、また尊氏であった。後醍醐天皇の掲げた建武の新政。それは公家一統であって、功労者である武士を日陰へと追いやった。  その大きな一手となるのが、顕家の陸奥守であった。かねてより東の土地を治めてきたのは武士の務め。尊氏にとっても先祖より受け継ぐ己の土地。それを都生まれの公家に奪われたのである。 「父上。尊氏殿の離反は予期できた。それ故、初めに断りを申し上げたのです。陸奥守などは務まりませぬと。それでもお受けしたのは忠義ゆえ」  後醍醐天皇以前の天皇は、譲位する相手すら決める権限のない傀儡であった。武士が支配する鎌倉幕府に強い反感を抱いていた。だからこその公家一統であり、陸奥守に顕家であった。
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