百官の王

8/8

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
「私は敗北したのです。多賀城を追われて、霊山へ籠っていたのです」  東北の地は北条家の残党がひしめき、関東に下れば足利の軍勢。一度の戦に勝ったところで、あくる日には別の戦が行われる日々。勝ち続けることなど不可能であり、一度の負けで失われる代償が城である。積み上げてきた勝ち星は無価値である。  そのさなかで聞き及ぶ都の情勢。放火に強盗、殺人に偽綸旨。一度認めた恩賞を取り上げること数知れず、功を果たさぬ公家や僧侶、女官に至るまでに与えた官爵登用。その結末が建武の新政の崩壊。すべての元凶が後醍醐天皇による独裁政治。 「なに故、西府や東関に鎮府を置かぬのか。さすれば、尊氏殿を討つことが出来たはず。顕家ただ一人で何が治められようか。顕家の意見はなぜ届かぬのです」  都はこれまで二度、尊氏に奪われた。一度目は顕家によって退けたものの、尊氏は九州へ落ち延び、勢力を盛り返すと都を再度奪い返した。もしも、顕家の意見を後醍醐天皇が聞き入れていたのなら、阻むことが出来たかもしれなかったのだ。 「父上、忠義とは何なのでしょうか? お上の望むままに目を瞑ることなのでしょうか?」  顕家の問いは、北畠家において初期に終えたはずのもの。仕えるべき天皇は選ばないことが鉄則。理想に当てはめたところで人である。体が老いれば、好みが変わるように、ものの見方も在りようも変わるのが人の定め。  善悪や利害など、人の心を移ろう要因は無限。忠義とは、今まさに顕家のように見失うことを阻むための宣誓なのだ。 「顕家よ。そなたに何があった。いや、何をしたのだ」  池に浸かった顕家の足元から広がるのは、紅い血の波紋。 「人を殺させたのです。沢山、沢山・・・でも、私はひとりも殺してはいなのです」  挙兵してからの7か月。正義を掲げての行軍。刀を突き立てるのは人ではない、敵である。それがいつしか人に向けて刃を立てた。それを顕家自身が命じていた。  勝っても負けても腹が減る。勝てば勝つほど味方が増えて、より腹が減る。食わねば戦には勝てぬし、都へはたどり着かない。だから、村を襲わせた。  この行軍は正義である。お上の名を汚すわけにもいかないのだ。女も子供も皆殺し。火を放てと命じて焼き尽くした。 「とても恐ろしいことをだと思っていました。されど、繰り返す度に、それが薄れていくのです。今では仕方のないことだと心が穏やかなのです。武士は皆そうなのです。そのような者を相手に、筆ばかりを握るお上が勝てましょうか? 味方も敵も武士はお上を笑っておられまする。かくいう私も今ではお上をあざ笑っておりまする。その私も笑われておりまする。武士たちは私を陵王(りょうおう)と呼ぶのです」  陵王とは雅楽の演目の一つ。かつて中国の北斉における蘭陵王の話である。陵王は男でありながら、美しい声と麗しい顔の持ち主。それは戦の中で兵士たちが見惚れてしまうほどであった。指揮を執ることに苦慮した陵王は、獰猛な仮面を被って出陣し、劣勢のさなかなで大勝を得たという話。 「先ほどは命じたなどと申しましたが、その実情は哀れなものです。一言開戦を告げるだけ、後は各々が思うがままに突き進むのです。それを私は一番後ろで見ているだけ。武士が私に求めているのは、確かな褒美の選定なのです」  池の中でぺたりと正座のように座り込んだ顕家。けれど、両足はアヒルのように左右に開いている。顕家が戦の中で失ったもの忠義だけではなかった。父は「おなごのようだ」とたしなめることしか出ず、終焉を迎える戦場へ送り出す。享年21歳。敵兵の弓矢によって絶たれた命であった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加