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息を呑んだ。魔法に掛けられたかのように、僕は逃げ出すことも、目を逸らすことさえもできない。漆黒の長い髪を風に揺らしながら、その間から金色の瞳が睨むように覗き込んでいた。
男は立ち上がり、僕を見下ろした。イェルクよりも頭一つくらい大きいのではないか。重々しい威圧感を感じさせる。
「お前は何者だ」
何十年、何百年という時を経てきたような重厚感のある声に、身体にびりびりと電気が走った。男の口の端から、鋭い牙が覗く。良く見ると耳の先も尖っていた。
――人ではない。
そう気付くと同時に、満月を背負うように立つ彼の姿を――美しいと思った。怖い、という感情が一瞬で掻き消されてしまうほどに。
「……ニコデムス――ニコデムス・アレクサンテリ・ユリハルシラ。この国の王の、弟だ」
声は震えていなかった。恐ろしくは無かった。ただ、彼を仰ぎ見ながら、高鳴る鼓動を感じていた。何か、運命の歯車が動き出したと、理由もない確信だけがあった。
目を細めて、一歩一歩近づいてくる。僕はその異形の者を真っ直ぐに見詰めていた。
「我が名はアシュレイ。仕えるべき主を求め、彼方西の海上の国よりこの地に参った。……そのため、喉が渇いている」
真っ黒のシルエットの中で、金の眼と白い牙が浮かんでいる。――ああ、彼は、南東の国に生まれたという吸血鬼なのか。
そう気付いた時には彼は勢いよく僕に覆い被さってきていた。でも、逃げることも払うこともせずに抱き留めた。ここで血を吸われて死ぬのだとしても、それが僕の運命であったのだと受け入れるだけの覚悟が、その瞬間にあったから。
しかし、彼はそのままぴくりとも動かず、そればかりか全体重を掛けられて、そのまま地面に押し倒されてしまう。彼の両肩を押し返して顔を覗き込むと、目を瞑っていて意識を失っているようだった。
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