百段階段

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 「あのう」 戸惑いを含んだ声がした。さやさやと風が通る。すぐ近くのうっそうとした木々も、今日は降り注ぐ日差しに緑が輝いて見えた。誰もいない空間。照らす陽の光の音すら聞こえてきそうな静寂。  「あのう、本当にここで待っていたらいいんですか」  おずおずとした声に、ややあって、声をかけられた相手が動いた。  「そうだよ」 拝殿の階段に腰掛けた女が、その声と共に振り返った。  長い黒髪。無造作に下ろされたそれには、なんだかよくわからない八重の花びらの花飾りがつけられ、和服なんだか洋服なんだかわからない、独特の衣装に身をつつんでいる。色は淡い紫と青。紫陽花のような色あいが、五月の今日に溶けている。街中では見かけない外見。纏ったのは、周囲を見渡しているような、涼しげな空気。一挙手一投足に鈴の音でも聞こえてきそうな風合い。その格好と雰囲気だけで、女が人でないことを感じさせるには十分だった。  「そう、ですか」  声をかけたのは、少年だった。こちらはいたって普通の格好。おそらく十歳くらいだろうとわかる幼さ。グレーのハーフパンツに青いパーカーといういでたちだった。どこの街中にでもいそうな少年だった。  「暇かい?」 女が少年に問いかけた。控えめに少年はうなずく。そうすると、女は少年を手招きした。隣に座りな、とその唇がつむぐ。  「あなたは暇じゃないんですか、誰もいないし」 女の顔色をうかがうように、ゆっくりと近づいて腰を下ろすと、少年は切り出した。  視線の先には古びた鳥居と、階段。坂の上に建つこの社から、道に下りるための階段だった。人通りのある道を逸れて坂道を上り、さらに階段を上った先がこの社だった。 「キミがいるから」 「ぼくだけです」  ぼくだって、人じゃないし、と少年が口の中でつぶやく。  ザワッと木々が揺れ、再び静寂が訪れた。ややあって、鳥居の方を見ていた少年が口をひらいた。 「あなたは、ぼくの願いを叶えてくれるんですよね」 「そうだね」 さらりと女は同意する。  「死んだはずなのに死にきれない、キミみたいな子の願いを叶えて、この世から切り離してやるのが、あたしの仕事だからね」  女は人ではなかった。いわゆる「神」に近いもので、「死者をこの世から切り離す」という仕事があった。  「だったら、どうして何も訊かないんですか」  初めまして。人の姿を得た少年に、女が涼やかにそう挨拶したのは昨日のことだった。  最初に言っておこう、キミはすでに生きていない。けれど何か未練があって、この世から去ることができていない。けれど、死んだらきちんとこの世から去ってもらわないといけない。だから、あたしはキミの願いを叶える。  淡々とそう告げたくせに、女は一夜明けて今日になっても、少年の「未練」を訊き出そうとはしなかった。  「聞かずともわかるから」 女が隣の少年を見た。 「え?」  戸惑いの表情をうかべた少年に、ふふん、と女は笑みをうかべた。少年はますます困惑する。 「本当に?」 「さあ?」 語尾は上がっていたが、その声は笑っていた。
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