(三)

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 私と青羽(あおば)とちーちゃん三人の、奇妙な生活は、こんな風に始まった。  青羽は、相変わらず母親の私とは一言も口をきかない。なのに、ちーちゃんとは本物の姉妹のようにどんどん仲よくなっていく。楽しそうなおしゃべり、笑顔。それらは全てチーちゃんに向けられている。 「ねえ、ちーちゃんはどんな番組が好きなの。やっぱりアニメとか?」 「うん、アニメ好きだよ」  テレビの前に二人仲良く並んで座り、青羽はリモコンを操作している。 「でも、見たいものをとっておいてあとで見ることができるなんて、今はすごいんだね。絵もきれいだし、魔法みたい!」 「あ、そっかー。昔は録画とかできなかったんだっけ。ビデオテープの時代より前だもんね」 「外で遊んでても、見たいテレビが始まる前にみんな帰るんだよ」 「遊んでる途中で帰るの? えらいね」 「だってそうしないと間に合わないもん」  みんな一斉に走って帰るんだよ。あはは、可愛い~。と肩を揺らしながら、会話の合間に互いに顔を見合わせて頬笑む。可愛らしく鈴を転がすような二人の声が狭い部屋の中いっぱいになり、私は思わず深呼吸した。なんだか息苦しかった。 「あ、そうだ。あたしの友達に小学生の妹がいる子がいるんだよね。今はどんなのが人気なのか、明日訊いてみる。それで、レンタルショップで借りてくるから、一緒に見ようね」 「うん!」   私は波に完全に乗り遅れていた。常に乗るタイミングを窺ってはいるものの、チャンスは一向に訪れない。    ちーちゃんの話すことが事実なら、私とちーちゃんは同じ美原(みはら)千夏(ちなつ)であって、生物学的にはどちらも青羽の母親なのに、(ただし一方は母親になる十九年前の姿だが)青羽が私に向けるのは仏頂面。(しかも視線すら合わせない)嫌になるほど態度は以前と変わらなかった。    青羽がちーちゃんに優しい笑顔を向けるたび、私に対する態度との落差にいちいち驚き、絶望してしまう。  なんとか二人の会話に割り込もうとしても無理なのだ。私の言葉に青羽が言葉を被せて、入り込む余地を無くしてしまう。そこまでして無視したいのかと感心するほどに。    私は、今まで以上に打ちのめされた気分で、仕事に向かわなければならなかった。    ――あーあ、何を支えにがんばればいいんだっけ……。    毎月やってくる生理周期のように、何をやってもやる気が出ないしうまくいかない。否定的な思考以外浮かばない。そんな負のループが私に絡みついた。  ちーちゃんの出現で、私と青羽の関係に変化があるかもしれないと、正直期待している自分がいた。だからこそ、脱力してしまっている。    けれど、とりあえず仕事中は忘れていられるのがありがたいと思った。慣れた仕事を機械的にこなすだけで、余計なことを考えずにすむ。  私が仕事を終え午後九時に帰宅するころには、青羽は夕食や入浴を済ませ自室に引っ込んでしまう。ちーちゃんが来てからも、それは以前と変わらない。  ただ、ちーちゃんがいれば青羽は一人ぼっちで食べずにすむから、そのことを想像すれば、少しだけ胸の奥が温かくなる気がする。ほんの少しだけ。 「おかえりなさい」    キッチンの灯りを点けると、ちーちゃんがダイニングテーブルに座っていた。 「ちょっと! ……びっくりするじゃないの! いるなら電気つけなさいよ、もう……」    ちーちゃんは首を傾げてクスッと笑った。 「そんなに驚かなくてもいいじゃない。でも、気がつかなかったわ。あたし、基本的に暗闇平気だから」    ちーちゃんの笑顔を初めて見た私は、ドキドキいってる胸を押さえつつ、つられて笑顔になった。わが家で笑ったのなんて、ずいぶん久しぶりだ。 「今後は気をつけてよ。一緒に暮らしていくなら……」    ついそんなセリフが口から出てしまい、いつまでいるのかわからないちーちゃんに、こんなことを言うのは変だろうかと考えていると「それもそうね。気をつけるわ」というあっさりした言葉が返ってきた。私はこっそり息を吐いた。
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