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互いの仕事や、当たり障りのない近況について軽く話した後、靖美はウイスキーの水割りを、私はレモンサワーを注文した。
お酒が入った席なら許されるかもしれない。
私は冗談交じりにちーちゃんのことを靖美に打ち明けようと思っていた。ありのまま話せば、精神が不安定なのかと心配されそうだから、夢の設定にしてみる。
靖美は思いのほか興味を持ったようで、熱心に耳を傾けてくれた。
「夢ねえ……。最近見てないなあ。くり返し同じ女の子が出て来るわけ?」
「そう。過去から来た私だって言うんだけど、子供の頃の私のイメージとは違う部分が多いし、子供なのにやけに大人びた雰囲気で、言うこともいちいち上からなの。なんだか年上の女の人に説教されてるような妙な感じで」
「へえ……。なんだか不思議な夢ねえ」
靖美の、綺麗にネイルの施された指先が、グラスの中の氷を弄ぶ。
「すごくリアルだから、毎日会っているような変な感覚になってきてるのよ。私もほとんど毎日ヘトヘトで、頭が疲れてるからだろうけど」
氷がゆっくり回転する、カランカランという規則的な音が眠りを誘い、アルコールの浸みた脳には毒になっていく。つい、全てを話してしまいたい衝動に駆られる。
いろいろな問題を自分の中に抱え込んでいるせいで、私は解放されたいと思っている。でもだめだ。ここで話してしまったら、過去のことから全て、雪崩のように吐き出してしまいそうだ。
私は小さく深呼吸し、その衝動をぐっと堪えた。
「ちょっと大丈夫? それって、重症よ。相当疲れてるんじゃないの」
私は口元に薄く笑みを浮かべた。
「気力と体力両方持っていかれてるかも。毎日。……ただのパートなんだけどね、私」
「パートといっても、ちなっちゃんの場合フルタイムと変わらないでしょ。無理しないでよ。ほら、あたしたちもアラフォー過ぎて、そう若くないんだから」
靖美は持っていたジョッキをテーブルに置いて、私の顔をのぞき込んだ。
職場での労働も確かにきついのだ。契約は朝九時から夕方の六時までのはずなのに、仕事を上がれるのは夜八時から八時半の間が定番になっている。だが時給は実働八時間分しかつかないから、ほぼ毎日二時間はただ働きだ。
あきらかにブラックな職場だが、慣れた仕事だし体の疲れだけなら眠れば回復する。
けれど、帰宅すれば青羽の態度にイライラして気力が低下するから、ぐったりしてしまう。そんなことの繰り返しだ。
「あたしも昔は見たなあ、リアルな夢。入社したばかりの頃、教育係の先輩が毎晩出てきて、しばらくうなされたわよ」
靖美は遠い目をして高い天井を見上げた。マスカラに縁どられた瞼が、痙攣するように震える。
「……ねえ、ちなっちゃん。それって、亡くなった人の魂とか先祖からのメッセージかもしれないわよ。何か大切なことを、ちなっちゃんに伝えたいのかも。前に見たスピチュアル系の番組で、確かそんなこと言ってたわ」
靖美をはじめ、同性の同僚や昔の友人は私を「ちなっちゃん」とか「ちなつちゃん」と呼んでいた。なのに、ちーちゃんは、青羽に「ちーちゃん」と呼ばれて素直に受け入れている。
――私はあの頃、何て呼ばれていたんだっけ……。
とくに幼いころは、お友達は「ちなつ」正しく発音できなくて、みんな「ちなっちゃん」だったような。
「ちなっちゃん?」
「あ、ごめん。……メッセージだとしたら、ちゃんと受け止めないといけないってことよね」
靖美は少し考え込むような表情になった。
「ねえ、魂で思い出したんだけど……」
「ん、何?」
「谷丘さんが再婚したことは教えたわよね」
元夫の名前が出てきて、背筋がピッと強張った。
「わりと早くお子さんが生まれたんだけど、小学校に上がってすぐに亡くなったそうよ。喪中の葉書で知ったの」
「え……」
今、靖美は何と言った? 元夫の名前を出した後に何を言ったのか、私はすぐに理解できなかった。
「ショックでしょうね……それがどんなに辛く耐えがたいことなのかなんて、とてもじゃないけど子供の居ないあたしには想像できないわ。その後は年賀状も途絶えちゃった。だって、こっちから出しにくいじゃない?」
私は、ショックを受けたのだろうか。元夫に降りかかった、最悪の事態に。
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