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欠落した思い出
俺が監禁されていたのは約3週間。
俺の体感としては「意外と短い」といったところか。もっと長い間監禁されていたような気がする。
手のひらを見つめ、次に周りを見回す。変わりのない、自分の部屋。蓮矢のところから逃げ出したあとの数日間は、また連れ戻されるんじゃないか、とか、実は今見ているのは都合のいい夢なんじゃないのか、とか、考えていたけど、1週間経っても何も変わりはない。むしろ、監禁されていたことが夢か幻だったかのように普段の生活を送れている。
ただ…何となくぽっかりと胸に空洞が空いたように感じている。逃げることができて嬉しいはずなのに、どうしてなんだろう。
ふるふると頭を振り、おもむろに立ち上がって冷蔵庫を開ける。
「…。何か買わないとな…」
冷蔵庫の中身はほぼ空だ。元々食にこだわっていなかったということもあるけど、3週間も家に帰ってこなかったせいで、賞味期限やら何やらが切れてしまっていて、「これはもう食べられないよな…」と捨てたものが多かった。面倒だけど、腹の虫もおさまらないし、近くのスーパーに行くことにした。
「…こんなもんか」
あたためるだけのご飯に、レトルト、冷凍食品、炒めるだけの味付き肉、洗わなくていい野菜に、調理済みの惣菜。一人暮らしの食生活なんてこんなものだ。むしろ、俺はほっとくと何週間もガスの元栓を開けない。普段はコンビニ弁当で済ますことも多いし。財布の中身と相談し、とりあえずレジに行こうと歩を進めたとき、ふ、と目の前に影が落ちた。
「………稔?」
「え」
「お前、稔だろ? 露原 稔」
「え、と…?」
俺の目の前に現れたのは、くすんだ金髪の青年だった。ピアスをつけていて、格好もチャラい。こんな知り合いは覚えがない。
「あ、ひでぇな、俺のこと忘れてんのかよ」
青年は落胆したように肩をすくめた。
そして、にこりと微笑んで腕を組む。
「俺は、城戸だ。城戸 貴光。小学校同じだったろ。中学も一緒だったけど。ま、お前は中1の途中で転校したんだったよな」
「城戸、くん…」
「くんづけとかやめろよ、何かくすぐってぇ」
「ごめん、えっと、…城戸。俺、あんまり小学校の記憶なくて」
「10年近く前だもんな。俺もあん時より見た目も変わってるし。稔はぜんっぜん変わってねーな!」
青年…城戸のことをじっと見る。
小学校の時の同級生?全く覚えがない。でも、俺が中学1年で転校したことを知っている。それに、俺に嘘をついてまで近付くような奴はいないだろう。だから、城戸の言っていることは本当のことのはずだ。
「なぁ、スマホ持ってる?」
「いや、俺ガラケーだけど…」
「マジかよ。じゃあメアドでいいや。交換しよ 」
「え」
「せっかく久々に会えたんだし。同窓会っつっても、小学校の同窓会はなかったし、中学のは稔、来ないだろ?」
「…まぁ」
「んじゃ、決まり」
覚えてないことに負い目を感じてるから、無下には断れない。携帯を出すと、城戸は素早い動きで俺の携帯と自分のスマホを操作し始めた。そして、すぐに携帯を返される。
「暇なとき遊ぼうぜ。連絡する」
「…お、おう。分かった」
半ば強引な行為に引っ張られながらも、昔の同級生と会うことなんてほとんどない俺は、社交辞令だろうけど、「連絡する」という言葉が少し嬉しくて、むず痒かった。城戸はというと、腕時計を見てから、「じゃーな」と言って去っていった。
「…」
蓮矢といい、城戸といい、俺はどうして思い出せない人が多いんだろう。決して記憶力が悪いわけではない。でも、特に小学校の記憶はほぼ無いに等しい。覚えているエピソードがまるでない。
少しの頭痛を感じながら、俺はカゴを握り直し、レジへと向かった。
**
「小学校の時の記憶?」
「ああ。河瀬はあるか?」
「んー、そうだなぁ…」
更衣室で着替えながら、河瀬は難しい顔をして考え込んだ。そんなに悩まなくてもいいんだけどな。
「そんなには覚えてないな。高学年くらいにあったことはある程度覚えてるけど、さすがに入学したての頃は…」
「い、いや、そんな遡らなくてもいい。ただ、例えば、同窓会したときとか、みんなの顔分かるか?」
「今でも連絡とってる奴は分かるけど…ま、全員は無理だな。成人式の時に同窓会あった時は、すっげー変わってて『誰だこいつ?』って奴いたし。中には変わんない奴もいるけどさー」
河瀬の言葉に、少しだけホッとする自分がいた。そうだよな、全員覚えているわけない。うちの小学校は、確か4クラスあったし…中には同じクラスになったことがない奴もいる。
俺は他人に興味がないわけじゃないけど、人間関係が希薄になりやすい。というか、俺が壁を作ってしまっていることも多い。
だから、向こうが仲が良いと思っていても、俺の記憶に残らない可能性がありそうだ。
我ながら最低だとは思うけど、あまり人と関わりたくないんだから仕方ない。
「…へへ」
「?何だよ、河瀬」
「いや、嬉しいなぁって思ってさ」
「…何が?」
「いや、露原が俺に話題振ってくれたの初めてだし、こう、俺と仲良くしてもいいって思ってくれたのかなーと」
「…。俺、今まで嫌な態度とってた?」
「いや!そういうことじゃなくて!俺としては仲良くしたくて話しかけてたけど、迷惑だったら申し訳ないよなぁって思ってたんだ」
ぽりぽりと頬をかきながら、河瀬は困ったように笑っている。まぁ、確かに俺はとっつきにくい部分があるよな。
「迷惑なんて思ってないけど…」
「じゃあさ!仲良くなろう!俺、露原のことも知りたい!」
「分かった。俺も自分のこと話すようにする」
「おう!」
河瀬とは少しずつ話せているし、いい奴だから少しくらい自分のことを話してもいいような気がした。ただ、あんまり話すことはないんだけど。
「ん?露原、携帯鳴ってる」
「携帯…、ああ、メールだ」
「彼女?」
「いや、小学校の時の同級生」
城戸だ。
メールを開くと、『次の土曜に会わないか?』という旨のメールだった。社交辞令かと思ってたのに。
「仲いいんだな」
「……どうだろう」
「なんだそりゃ」
河瀬はからからと笑った。
でも、覚えてないんだから仲がいいか悪いか判断できない。
少し悩んだ末、ひとまず俺は今週末に城戸と会う約束をした。
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