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ひとつのきっかけ
瞬間、監禁されていた時のことを思い出し、体が強ばる。蓮矢はまるで俺を逃がすまいと、殊更強く抱きしめてくる。散々城戸たちに痛め付けられた体では、引き剥がすこともままならない。
でも…不思議と蓮矢に抱きしめられていると安心もした。この間まで手酷い扱いを受けていたというのに、おかしい。城戸たちに物のように扱われるよりマシだということだろうか。
自嘲気味に笑うと、突然第三者の手によって俺と蓮矢は引き剥がされた。
「朝野…お前、そういうところだからな」
恐る恐る顔を上げると、色素の薄い茶系の髪が目に入った。顔立ちは上品な感じだけど、ピアスやらネックレスをつけていて、なんというか、チャラい。周りにはいない人種だ。どちらかというと、城戸たちに雰囲気が似ている。
「はじめまして。…って、自己紹介もいいけどさ、こいつらがのびてる間にとっとと出ていかねーか? 俺らのこと信用できねーかもしれないけど、少なくともここにいるよりは随分いいと思うけど」
「…」
どうしようかと悩んでいると、蓮矢が自分のジャケットを俺に羽織らせた。そこで俺は二人にとんでもない姿を見せていることに気づき、カッと赤くなった。
「車だから、人目に触れることはないよ。ねぇ、稔。酷いことはしないって約束するから、俺たちと一緒に来てほしい」
「…、…分かった…」
ここよりはマシ…ということもあったけど、俺はもう心身共に疲れていて、物事を考えることを放棄してしまっていた。
もうどうなってもいい。
**
それから、蓮矢の運転する車に乗せられて、やたらに階数がありそうなマンションに連れてこられた。
「…ここは」
「稔がついこの間まで居たところだよ」
「…」
まさか、またここに戻ってくることになるとは思わなかった。逃げ出した時は気づかなかったけど、エントランスはとても広くて、ゴミひとつ落ちてないくらい綺麗だ。家賃高そう。
「まずはお風呂かな…そのあと傷の手当てをして、それからご飯を…」
ぶつぶつと呟きながら、蓮矢がオートロックの鍵を開ける。
「稔、行こう」
「…」
扉をくぐり、エレベーターに乗せられる。
エレベーターは55階で止まった。
「この階は俺しか住んでないから静かだよ」
「そうなんだ…」
促されるまま、俺は蓮矢の家へと足を踏み入れた。広くて、清潔な空間が広がっている。照明もあたたかみのある色だ。
通された部屋は、質素ながらにセンスの良さが伺える造りのリビングだった。
「…稔」
「…?」
ソファーに座ると、蓮矢は膝をつき、俺の手を握りながら見上げてきた。まじまじと見つめ、やっぱり整った容姿だなと思った。
「大丈夫だから」
「何が…」
「俺は稔に酷いことはしないよ」
「……知ってるけど」
蓮矢は優しい。知ってる。俺に酷いことなんてしない。痛め付けたり、蔑んだり、罵倒したり…そんなこと、監禁されていた時にされたことがない。
「とにかく風呂に入らせた方がいいんじゃねーかな。なぁ、一人で平気か?」
腕を組みながら、青年が風呂を促す。
確かに体中よく分からない液体で汚れているし、何より城戸たちの触れたところは入念に洗いたかった。
「…平気です」
「分かった。着替えはこいつに用意させるから」
「ああ。もちろんだよ。脱衣所に置いておくから」
にこりと微笑まれ、それを無感情に受け止めながら俺は風呂場へと案内され、中に入った。
蛇口をひねり、シャワーの温度があたたかくなるまで待つ。俺は何をしてるんだろう、という気持ちを抱えながら、体中を洗う。なるべく無心になりながら、頭も体も、そして後ろの穴にも手を添える。中から出てくるものにぞわぞわとした感覚になったけど、何とか耐えながら洗い終わった。
「…、これから、どうなるのかな…」
ぼんやりとそんなことを考えながら、タオルで水気をとる。蓮矢がこのまま大人しく俺を帰すとは思えない。隣にいた青年もどんな人か分からないし。
また手酷く抱かれるのだろうか。
用意された服を着て、蓮矢たちのいる部屋の前まで来る。扉を開けようとすると、中から会話する声が聞こえてきた。咄嗟に手を引っ込め、話の内容に耳を傾ける。
「…大体なぁ、あの子…露原くんだっけ? お前のこと覚えてないんだろ?」
「そうだね…思い出してくれるといいんだけれど」
「あのな、突然知らない野郎がゼロ距離で接したら普通ビビるっての」
「でも稔と俺は恋人なんだ」
「いや、待て待て。まぁ、その、この前もそれについては話しただろ? 100歩譲って、お前と露原くんが昔馴染みで…前は恋人?だったとするよ」
「恋人なんだよ」
「分かったよ。でもな、露原くんはその記憶がないんだろ」
「ああ」
「だから、蓮矢に恋人として求められても困るんだよ。むしろ怖ぇよ」
「…でも、稔は俺のことが好きって言ってくれたんだ。それで俺も稔が好きで…そりゃ、昔はセックスこそしてないけど、俺たちはもう大人だし、両思いならそういうことをしたって」
「だーっ、もう!分かんねぇやつだな!それは覚えてたら、の話だろ?記憶がなかったらなぁ、そんなん見知らぬ奴に強姦されてることになんだろーが!」
「…?」
「首を傾げるな。…つーか、お前は社会性をどこに捨ててきちまったんだよ…常識が無さすぎだろ」
「じゃあ、稔を怖がらせてたのか…どうしよう、滉。俺…稔に謝らないと」
「今さらか。いやまぁ、謝るのは当たり前だから絶対しろよ? 許してくれるかは分かんねぇけど…むしろ許さねーだろうけど」
そんな会話が聞こえてきて、入るに入れない。蓮矢と俺が恋人だった? いつ? 全く覚えがないし、今の会話だと子どもの頃に会っていたらしい…どういうことなんだろうか。
そんなことを考えていたら、急に扉が開かれた。
「…あ」
「おわ!ビックリした」
扉を開けたのは青年だった。
体が硬直し、震える。ぎゅ、とタオルを握りしめていると、目の前の青年は困ったように頬をかいた。
「そりゃそうだよな…とりあえず、俺は君に酷いことはしねぇよ。朝野にもキツく言ったから大丈夫だと思うけど…もしも手を出しそうになったら殴ってやるから」
「酷いよ、滉」
「うるせぇ。お前はそこで正座だ」
俺は導かれるまま、部屋においてあるソファーに腰かけた。蓮矢は俺から少し離れたところで正座している。その表情は暗い。
「稔…ごめん。俺は稔のことを守るって言ったのに、結局守れなかった。それと、この間のことは…恋人ということに甘えて酷いことをしてごめん」
「…恋人…」
「恋人っつー記憶がない奴にそれ言ってもな。露原くんは覚えてないんだろ?」
「…全然」
身に覚えがなくて、膝をぐっと握りしめる。
そもそも、子ども時代は父親に散々な目に遭わされていたからあまり思い出したくない。
せっかく忘れていたのに、今になって蓮矢には恋人だからという理由で体を好き勝手され、解放されたと思ったら城戸たちに手酷い目に遭わされて、またこの部屋に戻されて…
何か、悲しくなってきた。
「…なん、なんで、こんな目に…俺が何をしたっていうんだ…、みんな、勝手なこと、ばっかり」
「稔…」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
俺はどうすれば良かったんだろう。
周りと距離を置けば良かった?
警察に早く相談すれば良かった?
もっと何か努力をすれば良かった?
分からない。
でもどれもこれも、"今さら"だ。
ごしごしと涙を拭っていると、口元に何か固いものが押し当てられ、咥内に転がってきた。
「む、ぐっ」
「あ、こら!朝野!何して」
「……飴?」
「これ、あげるから…泣き止んで」
「こ…っ、こんなもんで泣き止むとか、」
口に入れられたのはフルーツの味がする飴だった。ムッとして顔を上げて蓮矢を睨むと、にこりと微笑まれた。
何故だかその笑みに懐かしさを感じる。
前にもこんなことがあった?
『俺の名前は朝野 蓮矢』
『はは、呼びやすい言い方でいいよ』
『泣かないで。これあげるからさ』
いくつかのフレーズが頭の中で木霊する。
「れんやく…、…れん…?」
「…稔?」
「…、…れんくん?」
「!」
その瞬間、霞みがかっていた記憶が、一気に晴れていった。
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