解放

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解放

それからまた数日後。 あのうさんくさい男…奏太が診察にやって来た。 「蓮矢が喜んでたよ」 「…何を?」 「『稔がたくさん話しかけてくれるんだ』って」 確かに無言でいるのに耐えられなくなって話しかけることは多いかもしれない。でも別に好き好んで話しかけてるわけじゃないんだけど。 「で、どうすることにした?」 「?」 「このままここで飼い殺される?それとも逃げる?」 「………あんた、逃がす気ないだろ」 「いやいや、稔くんが望めば逃がしてあげるよ?」 笑いを含んだ声で言っている時点で信憑性がない。この男は信用してはいけないと、頭の中の何かが言っている。 「嘘だ。だって蓮矢に俺のことを閉じ込めておけばいいって言ったの、あんたなんだろ」 「おっと、いつの間に蓮矢のことを呼び捨てに…まぁいいや、そう言ったのは確かに俺だ。でも、それは稔くんにとってもその方がいいかと思ったからだよ。視力がないまま普通に生活なんてできないだろう?その点、蓮矢はたくさんお世話をしてくれるから、楽なはずだよ」 「…それは」 確かに一人で生活するのは無理だ。 でも、その代わりにあんな…いかがわしいことをされるっていうのは納得できない。 「ま、とりあえず耐えられなくなったら言ってよ。用意はしておいてあげるからさ」 そう言うと奏多は立ち上がり、部屋から出ていった。そこで静かになるかと思ったけど、奏太が「診察終わったよ」と話すのが聞こえてきた。どうやら蓮矢がいるらしい。少しの会話をしてから、一人が俺のもとへ近づいてきた。 柔らかく頭を撫でられる。 蓮矢だ。 「外傷はもうほとんどないらしい」 「ふーん…」 だったら早く見えるようになってほしい。 どうして何も見えないんだろう。一向に回復の兆しがない。 「良かった…稔に傷が残ったらどうしようかと思っていたよ」 「…あのさ」 「何?」 ふと、疑問に思っていたことを聞いてみたくなった。 「急に話すようになったのは、何で?」 「その方が不安に思わないんじゃないかって、奏太が言ってたから」 「あ、そう…」 「俺はなかなか一人で決められなくて…いつも奏太が背を押してくれるんだ。稔のために何ができるのか考えていたときも、色々と相談に乗ってくれた」 「…」 「将来医者になる予定らしいから、稔も安心して診察を受けてほしい」 「…友だち?」 「そうだ。高校からの友人」 「信用してるんだな」 「ああ。奏太はいい奴だ」 「…」 奏太、奏太奏太… 何だか腹が立ってきた。俺が監禁されてるのはそいつの余計な一言のせいだ。それに、蓮矢が奏太のことを楽しそうに話すのも何となく気に入らない。俺のことが好きなくせに、なんて言葉が頭に浮かぶ。 でも断じて他の男のことを嬉しそうに話すからイライラするんじゃない。俺のことを理不尽に閉じ込めているんだから、俺のことだけ考えておけよ、と思っただけだ。そうじゃないと割りに合わないじゃないか。 「…蓮矢は奏太さんのことが好きなんだな」 「そうだな。でも、稔への好きとは違う。俺が世界で一番大切にしたいのは稔だ」 「…」 即答されて言葉に詰まってしまう。 俺の言葉は断じて嫉妬心からじゃないが、もしかしたら蓮矢はそう受け取ったのかもしれない。 「俺はそんな風に言われるような奴じゃないと思うけど」 「…稔」 ぎゅ、と抱きしめられる。 苦しい。 「稔は自分への評価が低すぎる」 「……そんなことは」 ない、と思う。 俺は自分のことはよく分かってるつもりだ。 容姿は並。運動神経も並。特に秀でた特技もない。趣味もない。友だち…というか、話せる知り合いもほとんどいない。 そんな男のどこが蓮矢の琴線に触れたんだろうか。 「稔は魅力的だ」 「………嘘だ」 「この髪も、綺麗な瞳も、肌も、指先も、声も仕草も、何もかもが俺を魅了してやまない」 そう言いながら、蓮矢は唇でそれぞれを辿る。 俺よりも綺麗な人は世の中には溢れるほどいるというのに、俺のことを賛美する言葉が止まらない。 「意地を張るところも、限界まで頑張りすぎるところも、全部好きだ」 「…」 俺の何を知っているんだ!と言いたくなったが、その懐かしむような口調に、何故か反論できなかった。 俺はやっぱり、過去に蓮矢と会っているんだろうか。どうして、覚えていないんだろうか。 そっと蓮矢の声がする方に手を伸ばす。 あたたかい皮膚に触れる。ゆっくりと辿り、頬だろうと当たりをつける。ぺたりと蓮矢の頬に手を置くと、その上から優しく手が重なった。 輪郭を確かめるように、両手で蓮矢の顔をなでる。でも、触っただけじゃ分からない。 監禁生活が長くなりすぎて、少しずつ恐怖心は消えつつある。蓮矢は言葉通り、俺に酷いことは…あのいかがわしいことを酷いことと言わないなら、しない。 俺のことをこんなにも愛しいと言う相手の顔が、少し知りたくなった。 でも… 解放の時は、何の前触れもなくやって来た。 ** 蓮矢のことを少しだけ知りたいと思った日の夜。 体を求められることはなかった。ただ、優しく頭を撫でられながら、うつらうつらと昔の記憶を辿っていたのを覚えている。 そして、いつの間にか朝になっていて、起き上がり、周りを見回したんだ。誰もいない。 誰もいない、とわかった。 その部屋は、ベッドと、本棚と、一般的なデスクが置いてあった。余計なものがない、簡素な部屋だ。部屋が大きいから、それぞれが所在なさげにぽつんと置かれている印象を受けた。 大きめの窓にはクリーム色のカーテンがついていて、そよそよと入ってくる風が心地よい。 おそるおそる、立ち上がる。 少しふらつく。でも、自分の足で立てる。 見回すと、見慣れた自分の服がハンガーにかかっているのが見えた。シャツと、ジーパンと下着が、折り目正しく整頓されて置かれていた。 「変なところで几帳面な奴だよなぁ」なんてぼんやりと考えながら着る。 そしてゆっくりと扉の前に行き、深呼吸をひとつしてから、取っ手に手をかける。 「…っ、開い、てる…」 扉はすんなりと開いた。 そこから先は、あまり覚えていない。 いつの間にか俺は自分の家の前にいて、どこからどうやって、ここまで辿り着いたのか思い出せなかった。自分の部屋は、以前見た時のまま目の前に広がっていた。 そして俺は… 涙をこぼして、玄関にうずくまった。
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