恐怖の館

1/1
前へ
/6ページ
次へ

恐怖の館

 未央は成長するに従って、自分の特異な性質を悟らせないことが出来るようになっていた。面倒を避けるため、恐怖を感じた振り、他人の気持ちが分かった振りをするのだ。  だが痛みは誤魔化せなかった。  痛みと恐怖は繋がっている。痛みの予知が恐怖となって現れる。だから多くの人は高所恐怖、暗所恐怖、先端恐怖などを感じているのだ。未央にはその予知がないため、火傷や落下など怪我が多かった。  深夜の公園に対する恐怖心があれば、男に包丁で太腿を刺されることもなかったかもしれない。  だが包丁を太ももに突き刺されることにもよい面があった。それを使って逆襲できたからだ。  目から包丁を生やしている男は包丁を抜くことを諦め、呻き声を上げながら未央に掴みかかって来た。  未央は後退ろうとしたが、膝の後ろに椅子があたり、下がれなかった。左足も痛み、両手を広げて正面から掴みかかってくる男を左右にかわすこともできなかった。  咄嗟に両手を前に付き出し、男と距離を取ろうとした。  その手のひらが包丁の柄に当たり包丁を目のさらに奥へ押し込んだ。 「グフェッ」  男の目か喉のどちらかから、くぐもった音がした。  男はその場に崩れ落ち、未央の足元で痙攣を始めた。バタバタと全身をくねらせてのたうちまわっていた。仰向けになり体を弓なりにしたり、両手両足をばたつかせたりしていた。  暴れる男が邪魔で避けて通ることが出来ないため、未央はまた椅子に腰を下ろした。  未央は椅子に座ったまま腕組みをし、激しく痙攣している男をずっと眺めていた。  いつになったら動かなくなるだろうと、半ばイライラしながら待っていた。たっぷり一分以上ほど掛かって、男の動きが止まった。  未央はそっと立ち上がり、男に触れないように用心して横をすり抜けた。夏の終わりにアスファルトでひっくり返っている蝉や、ネジが切れたブリキのオモチャのように、刺激を受けて動きを再開しないとも限らなかった。  未央は作業台に近寄り、落ちていた財布やポイントカード、定期券を一つずつ拾っていった。全てバッグに入れると肩にかけ、男が出入りしていた扉に向かった。  扉のノブに手を掛けたまま、一瞬、振り返り忘れ物がないかを確認した。何も残していないことを確かめると扉をあけた。  車庫の扉のすぐ外側に、母屋に入るための扉がもう一枚あった。それも鍵がかかっておらず、家の中にすんなりと入ることができた。  事務所でも倉庫でもなく、居住用の一軒家のようだった。  血は完全には止まっていないようだったが、滴り落ちることはなかった。痛みは変わらず続いていた。  廊下に出ると真っ直ぐに玄関が見えた。少し足を引きずりながら廊下を進んだ。廊下の両端に扉が二つずつ並んでいた。  途中、一つだけ開け放された右手のドアの前を通り過ぎた。その時、視界の隅に派手な黄色が見えた。  早く外に出たかったが、首を回して正体を確認することに決めた。  それはスニーカーだった。蛍光色のスニーカーで有名なブランドものだった。最初、スニーカーに目がいったが、そのスニーカーから足首、脹脛、膝に視線が移った。そのスニーカーは仰向けで床に倒れている男が履いていた。廊下からは顔は見えなかったが、死んでいることは明らかだった。黒い染みが男の胸からわき腹を経て床に広がっていたからだ。  未央にとって実際に死体を見たのは初めてのことだった。さっきの男を含めると二度目だが、改めて自分が誘拐や殺人や死体と無関係な生活を送っていることに気づかされた。こんなことは忘れて普段の生活に早く戻りたいと思った。そのためには、やらなければならないことがあった。  左足がうずいたので、その死体は放っておくことにした。そのまま左右の扉を通り過ぎ、玄関を開けて外に出た。その瞬間、新鮮な風に体を包まれた。深呼吸し、濁った空気を体から追い出した。  誘拐事件に関してだけ言えば、解決したも同然だった。男が人違いという言葉に反応した理由は未だ分からなかったが、とにかく未央は自由になったのだ。もう男に危害を加えられることもない。連続殺人については未央が解決したといってもいいだろう。犯人に誘拐された被害者女性が犯人の隙を突いて反撃したのだ。  月明りに照らされ、周りの木々が見渡せた。林の中の一軒屋だった。別荘地だろうということ以外、場所も住所も分からなかった。  タクシーが拾える可能性はなく肩を落とした。仕方なく、玄関先で立ったままバッグから携帯電話を取り出し、救急に電話した。 「事件ですか? 事故ですか?」  発音のはっきりとした男性の声がした。焦りを誘うような切迫した語調だったが、未央は事件と事故の違いが分からなかったので、しばらく黙ったままでいた。 「大丈夫ですか? しゃべれますか?」 「男に足を刺されました。救急車を呼んでください」 「場所はどこですか?」 「分かりません。帰宅中に襲われて連れて来られたから。携帯電話の電波を追うとかできない?」 「できません。住所を知らせてくれなければ救急車は派遣できません」  未央は電話をきった。救急でも携帯電話を探してくれないことが分かった。  すぐに折り返し着信があったが出ずに携帯電話を鞄にもどし地面に置いた。  建物の中に戻り、スニーカーを履いた死体のある部屋に入った。  そこは寝室だった。床の死体の他に、壁際と、ベッドの上にも死体があった。狭い一部屋に三体の死体があり、どれも頭と足は同じ方向を向いていた。どこかで殺してここに運んできたようだった。死体はどれも男だった。  未央を拉致した犯人は女だけでなく男も誘拐して殺しているようだった。奇妙にも思えたが、殺人鬼の嗜好を詮索している場合ではなかった。  未央は腐臭に耐えかねて素早く辺りを見回した。だが目当てのものは見つからなかった。  廊下に出て扉を閉め隣の部屋のドアをあけた。そこも寝室だった。シングルベッドが二つ置かれ、手前のベッドに雑誌や新聞の記事が広げられていた。近づいて見ると若い女性の死体発見を告げる記事の切り抜きだった。  ベッドサイドのテーブルの上に資料ファイルとともに黒い皮のパスケースがあった。手に取るとそれは警察手帳だった。POLICEと刻印されたバッジと、顔写真があった。未央を誘拐した男の顔だった。  たぶん本物だろう。未央を殺そうとした誘拐犯は警官だった。だが部屋にあったのは若い女ではなく男の死体だった。  警官が犯人だったことは意外だったが、その動機にも興味がなく、未央は部屋をでた。この部屋にも、目当てのものはなかった。男は防犯カメラの映像を今、見たと言っていた。この家のどこかにあるはずだった。  ゆっくりと廊下に出て、向かいの部屋に入り電気をつけた。  そこは物置として使われているだだっ広い部屋で、段ボールが数個、雑然と置かれていた。突き当りの壁に面して机が置かれており、そこにノートパソコンがあった。未央は奥に進み机の椅子を引いて座った。  パソコンの画面は開かれたままでスクリーンロックも掛かってなかった。動画が一時停止状態になっており、歩いている女性を正面から斜めに見下ろした画像だった。  未央はタッチパッドを操作し画像を巻き戻してから再生した。  夜道を女性が手前から向こう、画面の下から上に向かって歩いていた。後ろ姿しか見えない。反対側から別の若い女性が現れ、手前に向かって歩いてくる。二人の女性がすれ違う直前、向こうから来た女がバッグから刃物を取り出し、相手の体に突き刺した。それから狂ったように何度も相手女性の顔を切りつけた。  パソコンから音声は聞こえてこなかったが、実際の現場では女性は悲鳴を上げているはずだった。  犯人の女性は包丁をその場に捨てて、手前側に歩き去ろうとしていた。顔が見える位置で動画を停止させた。  画像は小さく顔はぼやけていたが、そこに映っていたのは未央が知っている顔だった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加