うみ

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うみ

うみと俺は、それから瞬く間に仲良くなっていった。 と言っても追い込み時期の俺にあまり自由な時間はなく、ふたりが会えるのは、俺が下校してから予備校に向かうまでの1時間ほど。予備校から帰ってからとも思ったが、母親に見つかると面倒だ。 土日は休日ではない。1日中予備校に詰め込まれていた。それでも顔を合わせれば、俺はうみに何でも話した。べらべらと、こんなにしゃべるのかって自分でも驚くほどに。 うみはおとなしく、ときどき頷いて、あとは猫のように黙って聞いてるだけだ。もしかしたらふつうより少しだけ言葉がわからないのかな?と感じることもあったけど、とにかく俺はうみに話した、いろんなことを。 何でそんなに話したのかっていうと、うみは同じ学校にいるわけでも予備校に通ってるわけでもない、俺の知っている限りの人間の誰とも付き合いがないからだ。何を話したって、誰かに漏れることは決してない。うみは俺だけの人間日記帳のようなものだった。失礼な扱いだが、それは俺の人生で最も尊い関係だ。 それと俺は、俺のことを誰かに知ってほしかったのだろう。誰も俺のことなんか気にしない。みんなが知りたいのは俺の成績と、学年で何番目かと、日比野に行ける見込み、ただそれだけ。それすらも、いざ進学しちまえば関係ない。みんなの中から特進コースの俺はあっという間に消えて、この埋め立てられたうすっぺらい土台のニセモノの町ごと葬り去られて終わるのだと、ずっと思っていた。今となっちゃあそれでいいじゃねえかと思えるけど、やっぱりまだそこらへんはガキだから、なんだか寂しかったのだ。 会う約束、というのはできなかった。うみは毎日俺を待ってるわけじゃない。何日か姿を見ないときもある。ただ俺はひとつだけ、うみに対して悪いなと後ろめたくなることをしていた。待ち合わせは、人通りのほとんどない1丁目の最果てのさびれた神社の境内。 ………だって、うちの前で話し込むことはできなかったから。うちに招くことも同様。 わかるだろ?関わっちゃダメだって、くだらない刷り込みにすっかり洗脳されてたもんだから、誰かに見られたくなかったんだ、外でうみとふたりきりでいるところ。けどうみの家に上がり込むこともなかった。なぜなら案の定というか……うみの家にはいつだって、働かないでぐーたらしてる親がいたんだ。収入はゼロ。だから市から手当てを受けて生きてるような奴だった。それも今となって分かったことだが、当時はとにかくいつも家にいるぐーたらの親、そして怒ると怖い、ということだけがあって、だからあんまり家自体に近づくこともしなかった。 そういう親がいて、しょっちゅう軒先でうずくまってるうみ。学校にも行ってない、だーれもうみのことを知らない。あっち側はあっち側。でもあっち側でも、所詮はみんな我関せずで生きている。……誰かがうみを救わなくてはいけない状況だと分かっていながら、俺はしばらくうみとのんきな時間を過ごしていた。 驚いたのは、うみは俺と年齢がたった1つしか違わなかったことだ。小学生だと思ってたのに、学校に行ってれば、当時で中学2年生。華奢で小柄、語彙力もやや危うくて、本来の自分のあるべき姿や環境を知らない、うみ。 けれどこんなにめちゃくちゃな境遇にあるにもかかわらず、グレたりタチの悪い遊びをすることは全く無く、もしかしたらお母さんはものすごくまともな人だったのか?と思えるほど、うみの性格は穏やかで素直で、切なくなるほどけなげだった。 小学校は、たぶんそれなりに通えたのだろう。日常で使う計算、読み書きはさほど問題なかったとは思うが、週間発売の漫画を貸しても、絵だけを追ってセリフはよく理解していないらしかった。どこで笑うのか分からない、といった具合だ。それからゲームもやり方がわからない。でも教えればすぐに覚えるから、簡単なものから一緒にやっていくようになった。幼い子に教えているような感覚だったが、それはそれで楽しかった。ひとつしか違わないけれど、年の離れた弟ができた感覚。でも俺は年上らしいことはほとんどしてやれず、嫌なことやつらいことを吐き出しては甘ったれる、変な兄貴だった。兄弟がいたらこんな感じだったかな?いや、きっとうみだから良かったんだ。
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