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片腕が無い筈なのにアサクラはバランスよく瓦礫の上を歩いていく。
このあたりはまだ無理矢理な改築が施されていない。
制服で来るんじゃなかった。歩きにくくて仕方がない。
けれど、ここでの訓練のおかげだろうか。息は上がるもののそれほど辛くはない。
どこに向っているのかは聞いていない。この後碌でもないことになったとしても、元々碌でもないことの繰り返しだったのだ。
ここに来て最初に話しをしたのがアサクラだった。
ただそれだけなのに、アサクラがこれからもし私に酷いことをしようとしていたとしても仕方がないと思えてしまう。
パートナーの話しだって彼にとっていいことなのかさえもよく分からない。
「着いたよ。」
アサクラに連れてこられたのは、壁一面に蔦が一面に生えていて、雨水だろうかが滝の様に流れている場所だった。
蔦の所為で薄暗い筈のその場所は、どういう仕組みか分からないけれど日差しが淡く入っていてとても綺麗だ。
苔が水辺から広がっていて光を反射している様で、この廃墟の街にこんな場所があったなんて驚きだ。
小鳥が二羽飛んでいる。
家族と呼べるか分からない人たちと暮らしていた時でさえ、こんな穏やかで美しい場所に来たことは無かった。
「中々いい場所だろ?」
アサクラは苔の中にポツンとある瓦礫に腰を下ろしながら言う。
「はい。本当にいい場所ですね。」
アサクラが気に入ってるというのが分かる。ここにまた来ることを許されるのであれば、私にとってもお気に入りの場所になりそうだった。
けれど、なぜアサクラが私をここに連れてきたのか分からなかった。
パートナーの挨拶としてなのだろうか。
けれど、吸血鬼使いのパートナーはそんな仲の良いものでは無い。
私たちにとって最良のパートナーであり、そして武器は、結局は吸血鬼である死体なのだ。
「ほら、受け取れよ。」
今日は吸血鬼を連れてきてはいない。それなのにも関わらずアサクラはそれなりのサイズのカバンを持っていた。
そこに入っていたのであろうサイダーを私に投げてよこした。
こういうメーカー品はこの島では貴重というほどではないが、購入するのは色々面倒だ。
「何故、こんなに良くしてくれるんですか?」
私が聞くとアサクラは笑った。
「それはどの話だよ。」
とぼけているというより確認する様にアサクラが聞き返す。
全部だ。最初から全部アサクラはこの街のルールに比べて優しすぎるのだ。
「何故今日ここへ。」
連れて来たんですか?という言葉は飲み込む。
「ああ、ここを知っているのは多分俺だけだから。
なんか勿体ないだろ。」
俺が死んだときに誰もこんないい場所を知らないのはなんか嫌だなと思ったんだ。
軽い口調でアサクラは言った。
けれど、失ってしまったであろう腕がその内容に嫌な意味での現実感をたしてしまっていた。
『アサクラさんなら大丈夫ですよ。』と言うのが正解だったのだろうか。それとも『そん縁起でもないこと言っちゃいけませんよ。』が正解だったのだろうか。
けれどこの街では、どちらも何か違うと思った。
「じゃあ責任をもって私がここに来ます。
あと、もしもアサウラさんに何かがあったら、ここをお墓代わりにしますね。」
私がそういうと「ああ、それがいいね。」とアサクラは笑みを深めた。
「ちなみに、それまで私もたまにここに来ていいですか?」
「ああ。でも人には言わない事。」
アサクラに言われ頷く。
口をつけたサイダーはすでにもう少しぬるくなっていたけれど、とても楽しい気分になった。
鼻歌でも歌いたい気分でサイダーを飲みながら、二人だけの秘密の場所を眺めた。
了
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