百まで数えて

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――百まで生きる!!  が爺ちゃんの口癖だった。 ――さすがに無理だろー  が僕の口癖だった。爺ちゃんは八十まで現役の大工だったけど、引退してからはすっかりうちにこもってテレビ番長だったから、それは僕の本心だったのだけど。 ――思ってれば叶う!! 言ってればそーなるんだ!!  と、爺ちゃんは頑なだった。 ――百まで生きてどーすんのさ  自分がもしそうならと想像する、ボケても寝たきりでも、家族が優しいならうんとぼんやり死に忘れるのも楽しいのかもなぁと、爺ちゃんに背中掻いてくれと言われてげんなりする時以外はそう思った。爺ちゃんの背中にはメンマのような脂肪の塊があって、僕はそれをみるのが嫌いだった。ゴキブリホイホイからはみ出た足をみるよりももっともっと。 ――わしが百まで生きたら、タカアキ、いいか、約束をしようじゃないか。男と男のがっぷりよっつの契りを  テレビ番長の爺ちゃんが一番熱心なのが大相撲で、その次が落語で、三番目が時代劇、よっつめが園芸番組、いつつめがクイズ番組だった。爺ちゃんらしいチョイスでそこは好感が持てた。 ――なに? 爺ちゃんが百まで生きたら僕、なんでもしてあげるよ  爺ちゃんの背中にあるメンマを食べること以外ね、と、のび太を思い出しながら心で呟く。どうしてお前はできもしない逆立ちで町内一周をいっつも賭けてしまうんだ。あのメンマを食べることは、目でピーナッツを食べるより難しいんだからな。 ――言うたな、タカアキ!! 後悔するなよ。マドロスのあれじゃないぞ  はいはい。突っ込むと調子に乗って連打してくるから僕はやれやれとアメリカのコメディアンのように肩をすくめる。爺ちゃんはハイカラとアメリカナイズを何より恐れて首を引っ込める。 ――わしが百まで生きたらなぁ。混浴温泉に連れてけ  ああ、爺ちゃんの好きなテレビ番組、むっつめが二時間サスペンスだ。かつて旅好きだった頃に行った方々が映るから、それが楽しいんだって言ってたくせに。ちゃっかり言い訳が上手だよ、もう。見習おう。 ――そしてなぁ、肩まで湯に浸かって百まで数えさせろ。タカアキ。お前は横で一緒に数えるんだ。  百歳まで生き抜くという人生をかけた大掛かりなゴールについてくる賞品がそれでいいのかよ、と、僕は肩透かしをくらったけれど、爺ちゃん、熱いよ、にじゅうが限界だよ、と、幼かった自分が言った言葉が、爺ちゃんの遠い目にリフレインされて、深刻を察した。 ――わかった。約束。爺ちゃんが百歳になったら、一緒に混浴露天風呂だ、殺人事件もオプションでどうだい? ――それは怖いからいらん  爺ちゃんと僕はがっぷりよっつに組み合って胸を合わせた。 ――逞しくなったなぁ  爺ちゃんはそう言った。ああ、百歳の爺ちゃんを混浴露天風呂に連れてく約束も大丈夫なぐらい、僕は逞しいのさ。爺ちゃんの設定温度四十五度も、今ならにじゅうで逃げやしない。    約束から時が流れた。 ――やっべぇよ、爺ちゃん今日で九十七? 約束まで後三年じゃない ――だははは。よもや、忘れてはおらんだろうな? ――勿論、だけど  爺ちゃんは特に健康に留意した食生活もせず、無節操に食べたいものを食べ、飲みたい酒を煽り、運動不足を年がら年中ぶら下げて、それでも元気すぎるほど元気だった。 ――爺ちゃんホントに約束あれでいいんかい? 現実味が出てきて、変更したいとかない? 百歳のご褒美にあれはちょっと、どうかって僕の方がくすぐったいよ  爺ちゃんはホールケーキの苺が酸っぱいと憎まれ口を叩きながら、また瞳に幼い僕をリフレインさせる遠い目をするのだ。 ――タカアキ。お前と一緒に風呂に入ってた頃がわしは一番良かったんだよ  そんなことを言われちゃ、僕が計画しようか迷っていた「爺ちゃん暗殺計画」もうやむやに消さざるをえないなぁ。  正月の餅に細工するつもりだったんだが。  爺ちゃんは百まで生きた。 ――お湯加減はどう?  爺ちゃんは特別、旅館の人に許してもらって、桶にお燗した徳利と杯を入れていた。そこに、うっすらお湯を張ると。 ――みろ、満月と同席祝杯だ。参列者、おつきさん!!  爺ちゃんは風流に酔っぱらい、上機嫌だった。しかし、混浴露天風呂には僕と爺ちゃんの二人しかお客はおらずで。 ――木の実ナナは? ――由美かおるは?  と、ビロビロに伸びた百歳の肌に月光を編みこみながら、爺ちゃんは嬉しそうに言った。 ――木の実ナナはドラマに出てたけどヌードにはなっとらんだろ ――なー、オッパイ出すのは端役の涙仕事じゃな ――なー  百歳の爺ちゃんの言葉は綺麗だ。なんだか、涙が出た。仕事でもないのに。 ――じゃーまー、色気はないが、いくとする ――うん  爺ちゃんが遠い目をする。  瞳に、何がリフレインするだろう。 ――ひとーつ、ふたーつ、二つの時、わしは野良犬にかぶられたらしい、ほれ、今でもここに傷があるだろう  爺ちゃんは湯の中できっと膝の裏を指でつついている。うんうん。僕はもうこの話は馴染みだ。頷いて、心で言う。野良犬!! 二歳児の膝の裏噛んであげるな!! ――みーっつ、よーーーーっつ。四歳、なんでか記憶にあるのは親父のちんちんなんだ。あんな真っ黒で汚いものがぶら下がってる親父はそりゃぁ、偉そうで怖いわけだと思ったよ  爺ちゃんの目に、爺ちゃんの人生がリフレインする。なんだか思い出のチョイスにロマンがないけど、それが百歳のど根性なんだと、僕はやっぱり泣きそうだった。 ――いつーつ、むっつ、ななーつ。七歳、小学校は楽しかったよ。わしはクラスのボスだった。喧嘩が強かったんじゃない。ちょっと要領が良かったんだ。初恋もあの頃かなぁ。学校の先生が若くて美人だったんだ。タカアキ~。混浴の意味がな~い  爺ちゃんの百歳が温泉に咲いていく。それは美しく、僕も横で繰り返すのだけど。そろそろヤバイんだよな。 ――爺ちゃん。百まで数えるんだから、思い出話もいいけど、ペース考えて、お医者さんにどんなに長湯でも二十分までって言われているんだよ  爺ちゃんは、はっは、はーっと笑った。 ――やっつ、ここのーーーーつ、九歳のわしには夢があったなー  爺ちゃーん、このペースじゃ百までもたねーよー。  
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