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第二百五話 客来の予兆(2)
「そもそもですね、必要なのはお菓子だけであるはずがないんです。これからまだいろいろ言いつけられますよ」
諸々の手続きを経て城の外に出るとめずらしくシェイルの方から話しかけてくる。しかもちょっと愚痴っぽい口調なのが、なんとなくうれしい。
城の外に出るための諸々の手続きというのがわりと面倒だった。シェイルの捕虜という立場を痛感する。エリッツなどはちょっとした書類一枚で仕事上必要なところはどこにでも行けるし、急ぎなら事後報告でもさほど問題視されない。休暇中、休憩中の行動にいたっては常識の範囲内で自由と規定には書かれていた。「常識の範囲内」という曖昧な表現はやや引っかかるが、少なくともシェイルよりはずっと自由だといえる。
「それに何を選んでも陛下に変な言いがかりをつけられます。それでも殿下の立場を考えると真面目に探さないわけにはいかないんですよね。――ところで、エリッツはさっきから何をにこにこしてるんですか?」
シェイルとの距離が縮まったようでうれしくて、ついにこにこしてしまった。以前は愚痴っぽいことはあまり言わないように気を遣われていたような気がする。
前からゼインがマリルのことでぶつぶつと文句をいっているのがちょっと羨ましかったのだ。マリルがあれこれとゼインに無茶振りをするのは信頼しているからに違いない。まだまだ時間はかかるかもしれないが、エリッツもシェイルに苦情を申し立てたくなるくらいに頼られたい。これは一歩前進といってもいいのではないか。
「いいえ、何でもないです」
それにはエリッツが実力をつけ、自然に頼られるのを待つべきであって、わざわざ当人にお願いするようなことではない。エリッツは心の中で密かに拳を固める。
「そうですか……」
シェイルはしばらく不思議そうにエリッツを見ていたが、気を取り直したように口を開く。
「外出の手続きが煩雑過ぎて、もうお昼になってしまいますね。少し早いですけど、昼食をとってから行きましょうか」
そんな! 本当にデートみたいな。
エリッツはうれしくて言葉を失ってしまう。昼食を食べてからお菓子を見に行くなんてデートでしかない。息が荒くなり、そわそわとあたりを見渡した。
「――あの、だから何故そんなににこにこしているんです?」
「いいえ、何でもないです」
まじめな顔をつくろうとしても、うれし過ぎて口角がひくひくと動いてしまう。そんなエリッツをシェイルはやはり不思議そうな顔で見ていた。
「何がいいですか? どうせ経費なので何かいいのものを食べに行きましょう」
経費ということはシェイルの少ないお小遣いを減らす心配はないらしい。そういえば、シェイルはいつもどこで昼食をとっているのだろう。食堂などで見かけたことはないので中の間に戻っているのだろうか。
「あまり外食をしたことがないので思いつかないのですが」
以前アルマにイゴルデにつれて行ってもらったことがあったが、他にレジス城下で食事をとったことがあっただろうか。風見舞いのときは騒動に巻き込まれてほとんど食べられなかったし……思い出せない。そういえば、先日の交流会では会食があった。いや、あれは外食とは少し違うか。
「イゴルデが楽でいいのですが、用事のある区画からはだいぶ離れてしまいますね」
シェイルは立ち止まって辺りを見渡す。
城を出てまださほど歩いていない。辺りはいわゆる一等地で道が広くとられた閑静な一角である。確かに王室御用達のお菓子となるとこの辺りに店を構えているような高級店に絞られるだろう。一度アルヴィンと走り回った記憶があるが、どんな店があるかまではわからない。
エリッツもシェイルと一緒に辺りを見渡す。
暦上は夏も終わりに近いはずだが、まだまだ日差しはきつく、人通りもさほど多くなかった。昼食にはまだ少し早い時間であるため店を探している様子の人々も見当たらない。
「暑いので何かさっぱりしたものがいいですね」
「賛成です」
そういえば、シェイルは中の間に閉じ込められていたはずなのにレジス城下には詳しいようだった。ここまでの道のりでもまったく迷いがない。イゴルデの常連でもあったので間違いないだろう。
以前アルヴィンが「警備が厳しくなってロイでも北の王には会えなくなった」と言っていた気がする。つまり前はシェイルもそこまで厳しく監視されていたわけではなかったのだろう。例のローズガーデンのさいにロイの町内会が蜂起して戦場になだれこんでくるという騒動もあった。あれもさらなる締め付けの原因になったのだと思われる。
「エリッツ、こっちですよ」
シェイルがぼんやりしているエリッツの手を引いてくれる。すかさずその手を握りしめた。シェイルは苦笑したが、そこまで嫌そうではない。ここは調子に乗ってよさそうだ。
「また、にこにこしてますね。外出が楽しいんですか?」
「すみません、すごく楽しいです」
シェイルが愚痴を言っていたので、楽しいとは言いにくかったのだが、楽しいものは楽しいので仕方ない。
「そうですか。それなら仕事を受けたかいがありました」
シェイルは一瞬驚いた顔をしたが微笑んでくれる。業務時間にデートできるなんて最高ではないか。
「さて、着きましたよ」
にこにこして歩いている間に目的地に到着していたらしい。見ると随分間口のせまいお店である。何となくロイの保護区の建物を思い出した。煉瓦で赤っぽい印象の建物だが、その赤がやや黒みを帯びていてなんとなく高級感がある。この区画にあるだけあって高そうなお店だ。
「ロイの料理を出してくれる店です」
「この香り、保護区でかいだような気がします」
「エリッツは本当に鼻がいいですね。殿下の嫌いなロイの煮込み料理にたっぷりと入っているハーブの香りです。おいしいんですけどね」
「ロイにもさっぱりした食べ物があるんですか?」
寒い地方なので体を温める料理が多いようなイメージだ。殿下の嫌いなやわらかくなるまでよく煮込んだ肉や野菜の料理は保護区でも出てきた。味はよくわからないが、エリッツは別に嫌いではない。
「ロイにも夏はあります。ここよりもずっと短いんですけどね」
言いながらためらいなく店に入ってゆく。なじみの店なのかもしれない。外食しなれていないエリッツは少し緊張する。
「指揮官殿!」
入ってすぐに店主と思われる男が大声で走り寄ってくる。
「もうずいぶん前から指揮官ではありませんよ」
シェイルは苦笑しながらそばの席につく。エリッツもそれにならった。
「今日はどうされたんです。めずらしいですね」
まるで熊のような男はどこからどうみても生粋のレジス人だ。とび色のちぢれ毛にとび色の大きな目。周りにいる店員らしき人々もみなレジス人のようだ。ロイの料理を出す店と聞いたが……。
「食事をしに来ました」
「そりゃあ、そうですよね」
大声はどうやら地声のようだ。笑い声も店中に響く。それからエリッツの方を見て大きな目をさらに見開らいた。動きがいちいち大袈裟な人だ。何となくだが兄の屋敷の料理人を思い出す。この好奇心の強そうな感じに通じるものがあった。
「部下のエリッツ・グーデンバルドといいます」
視線を受けてエリッツはあわてて立ち上がる。テーブルにひざをぶつけて大きな音を出してしまった。早い時間で他に客がいなくてよかった。
「ずいぶんとお行儀のいい部下ですね」
別に嫌味ではなく本当に感心したようにエリッツを眺めている。
「ええ、とても優秀です。エリッツ、ロイ料理の第一人者、プロイマさんです」
ロイ料理の第一人者がレジス人なのか。エリッツは目をしばたたかせた。
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