第二百六話 客来の予兆(3)

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第二百六話 客来の予兆(3)

 冷たいスープは瓜の塩漬けで作られているらしい。煮込み料理とは別のさわやかなハーブの香りがする。瓜はすり潰されたものと、形を保ちつつ熟れた果実のようにやわらかく煮たものが入っている。殿下もこのスープなら好きになるのではないか。 「さっぱりしてますね」 「実はロイでもこれは食べたことないんですけどね。ロイの南の方で食べられているスープらしいです」  スープには黒っぽいパンがそえられている。かたいが、ぷちぷちとした穀物の食感がいい。スープと一緒だとかたさも気にならなかった。  そこへプロイマさんが次の料理を持ってやってくる。 「こちらはもっとロイの内陸の方の料理です。新鮮な魚が獲れない地域なので、塩漬けにしてしっかり干したものを様々な料理に使います。戻してほぐした身を海藻を煮たスープで固めて冷やしてあるので塩気だけではない豊かな海の味を感じられますよ」  プロイマさんは魚の身らしきものと海藻、ナッツのようなものが丸くきれいに形成された料理をテーブルに並べてくれた。海藻も干してあったものを戻したのだろうか。彩りもきれいで乾物がメイン食材とは思えない。  客が増えてきたが、シェイルとエリッツの席にはプロイマさん自ら丁寧に説明に来てくれる。シェイルは「何かいいのものを食べに行く」とは言ってはいたが、これは業務中に食べるようなものではないような気もする。あまりに豪華すぎる。料理が次から次へとたくさん出てきて、すでにお腹がいっぱいになりつつあった。食べ終わったら昼寝してしまいそうだ。 「塩漬けの食材が多いですね」 「ロイはレジスのように農作物がたくさん穫れるわけではないですし、悪路が多いので流通もあまり発達してないんです。必然、保存食を工夫した料理が多くなるんですよ」  なるほど。レジスにいろんな種類の食材があるのは当たり前のように感じていたが、とても恵まれた土地だったということか。平野が多く農地の開拓や街道の開通もそこまで大変ではないだろう。 「でもロイの料理はすいぶんと豊かで豪華に見えます」  メニューは豊富で少ない食材を最大限いかしているように思う。 「ロイの料理というよりは、レジスの方が生み出したロイの料理ですね」  シェイルは少しだけ声を落とした。 「どういうことですか?」  エリッツは匙を置き、首を傾げる。 「プロイマさんは素晴らしい才能の持ち主ですよ。どの料理もちゃんと本格的なロイの味がします。レジスの方の口に合うようにと、レシピを大きく変更もしてもいないようです。でも本当はこんなにきれいでも豊かでもないんです」  わかったような、わからないような。エリッツは続きを聞きたくて小さく頷いた。 「ロイの南の方の料理と内陸の方の料理は本当は一緒に食べられたりしていません。食材ももっとシンプルなものですし、手に入らないときは別のものを使ったり、あきらめて使わなかったり……。要するにここで出される料理はロイ各地のレシピを精査し、食材を吟味し、メニューを組み合わせたりして、高級料理として出せるくらいに仕上げられたものなんですよ」  なるほど。エリッツは今度こそしっかりと頷いた。だからロイ料理の第一人者がレジス人のプロイマさんなのか。ちゃんとロイの料理でありつつも、必ずしもロイの人々が毎日食べていたものとは一致しないというわけだ。 「そういえば『レジス料理』というのはおれの知る限りないですね。毎日よく食べるものとそうじゃないものがあるという感じでしょうか? レジスは広いのでおれの知らないレジスの食べ物もいっぱいありそうです。こういうことは異国の人の視点じゃないとできないのかもしれませんね」  笑顔で聞いてくれていたシェイルが、ふとエリッツの背後に視線を向け一瞬だけ笑みを消した。 「どうしました?」 「いいえ。わたしの後をいつもついて来る方々です」と、苦笑する。  噂の間諜の方々のことだろうか。店に入ってきているのだろう。エリッツが実際に存在を感じたのは、アルメシエの騒動のときくらいだが、城の外となると監視も増えたりするのだろうか。こちらは陛下の指示で外出させられているというのに何だかもやもやする。 「大変なお仕事ですね。料理を頼むとすぐには席を立てなくなるので、昼時なのにお茶を飲んでいますよ。こういうお店でお茶だけ飲んでいる人がいたらあやしいでしょうに。まぁ、外にもいるんでしょうけどね」  シェイルは小さく笑って、魚を食べはじめる。  エリッツはお茶だけ飲んでいる人たちを確認したくなったが、振り返ったりしない方がいいのだろう。背中がもぞもぞしてくる。 「この料理は何度か故郷でも食べたことがあります。懐かしい味がしますね。作ってくれたのはオズバル様でしたけど」  監視に慣れているのかシェイルの方はくつろいだ様子である。  デザートにシロップを染み込ませた不思議な香りがする焼き菓子と、とても苦い香りがするお茶を出してもらい、何とか全部お腹におさめて席を立った。  店を出ると何故かシェイルは一瞬動きを止めた。 「――少し食べ過ぎてしまったようなので、散歩しましょうか」  エリッツは何となく変だなと思う。何がといわれるとよくわからないのだが、シェイルの様子が先ほどまでとは少し違うように思う。後をつけてくる人たちのことで何かあっただろうかと思ったが、それはいつものことのはずだ。気になったが、辺りを見渡して確認するのはよろしくないだろう。 「散歩は楽しそうなんで大賛成なんですが、先に用事を済ませなくて大丈夫ですか?」 「もう少し後でも問題ないでしょう」  あれ? 気のせいだったかな。シェイルは視線を前に向けたまま何でもないような感じで歩き出す。いや、気のせいではない。  場所柄人通りは少ないが、シェイルは店などが並ぶ通りから遠ざかるように高官たちの屋敷が多い区画へと入っていく。つまりさらにひと気の少ない方だ。  しばらく二人とも無言で歩く。そしてふっと背後の空気が動いた。  ありがたいことにエリッツの体は勝手に動いてくれた。振り返り、短剣を抜きざま切り捨てる。速かったはずだが空振りだ。すぐに体勢を整えるが、先ほどぶつけられた殺気はすでに消えていた。 「上官の方が動きが速かったぜ。あんた、別にいなくてもいいんじゃないか?」  ぐっと胸がえぐられる。なんて酷いことを――。  そこにいたのは異国人だ。赤みがかった癖のない髪に灰色の目。やせているが俊敏そうな体をしている男だった。 「随分と早いお着きですね」  シェイルは何事もなかったような口調である。 「レジスであんたを処分できれば、いろいろと話がシンプルになるし、手柄になると思ったんだが」  エリッツは驚いて周りを見渡した。いつも付きまとっているという間諜の方々は何をしているんだ。監視しかしないつもりなのか。 「残念ながら、後ろにいた人たちには全員寝ててもらってるよ」  エリッツの顔には言いたいことが全部出てしまうのだった。思わず頬をぺちぺちと叩く。 「なんか、その子かわいいね」  完全に馬鹿にされている。 「他に何かご用ですか? あなたたちのために今からお菓子を買いに行かねばならないのですが」  はっとしてシェイルを見る。この異国人のために?  しかしそれが隙になってしまった。視界の端に見えたのは炎。術士だ。 「シェイル!」  シェイルがその炎に包まれたように見えた。シェイルはヒルトリングがなければ戦えない。エリッツは夢中でシェイルの方へ駆けた。  しかしシェイルを襲った巨大な火球は何かに吸い取られるように消え、そこには毅然とたたずむシェイルの姿があった。火傷ひとつ負ってはいない。 「あれ、まだいたのか。おかしいな」  怪訝そうに呟いた異国の男にいく本もの炎の矢が襲いかかる。男はさっと飛びすさった。それは男をシェイルから遠ざけるために放たれたかのようだった。しかもその炎の矢は地面を焦がす前にきれいに霧散する。なんともいえず細かな配慮だ。 「存在感のなさには定評があります」  聞き覚えのある声のした方を見ると、そこにはエリッツもよく知る人物がいた。
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