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第二百十四話 客来の予兆(11)
辺りにしげっている夏草はかたすぎるらしく、子やぎはシュクロにもらった葉野菜を何度もおねだりしていた。その野菜はどこで手に入れたのだろうか。かごにいっぱい入っている。エリッツはうらましくなり、長い間その手元をじっと見ていた。子やぎが何か食べているだけで癒しだ。これはいつまでも見ていられる。
口も聞かずに見ているだけのエリッツがよほど不気味だったのだろう。シュクロのは「ったく、何なんだよ」と舌打ちをした。エリッツはハッと正気に戻る。
「シュクロさん、ちょっと話があるんですが」
警戒からか身を引いたシュクロの手の動きに合わせて子やぎも移動する。
「な、なんだよ。何度もいうが俺は旅行なんて……」
「その野菜、どこにあったんですか?」
「はあ?」
「そのかごの中の野菜です。どこで手に入れたんですか?」
シュクロは変な顔で黙ったまま案内役を指差した。
「もともと子やぎ用の餌なんです」
指された案内役がエリッツに説明してくれる。
「そうなんだ」
引き続き子やぎの食事を見守る。エリッツも餌をあげてみたいが、「やぎの赤ちゃん」で何度も馬鹿にされたので言い出しにくい。しかし子やぎはどんどん食べ進んでしまう。かごが空になったら後悔しそうだ。
「シュクロさん、あの……」
「だから俺は旅行には……」
「少しだけその野菜を分けてもらえませんか?」
「は?」
「葉っぱを三枚くらいでいいので」
シュクロほ変な顔をして黙り込む。やはりもらえないか。一瞬、やさしい人ではないかと思ったが、思い違いかもしれない。
「ん」
しょんぼりしていたエリッツの前に野菜のかごが突き出された。
「暇だっただけで、別にやぎの赤ちゃんに餌がやりたいわけじねえんだよ」
「これ、全部いいんですか!」
「声、でかっ」
シュクロはわざとらしく耳をふさぐ。かごを受け取ったエリッツの前にさっそく子やぎは首を伸ばす。かごに首を突っ込みそうだったので、あわてて葉を差し出すと、小さな頭を揺らして咀嚼し始める。体は小さいのに次から次へと葉が消えてゆく。エリッツは時間を忘れて子やぎの食事に夢中になった。本当においしそうに食べてくれる。兄ダグラスの屋敷の料理人がやたらとエリッツに何か食べさせようとするのはこういう気持ちなのだろうか。
「あのさ、あんた仕事中じゃないの」
あきれたようなシュクロの声にようやくエリッツは我に返る。
「はい。仕事中です」
「どこがだよ」
「ええとですね、ちょっとシュクロさんにお話が……」
シュクロに気を取られてしまい、エリッツが手にしていた葉を食べ尽くした子やぎがか、ごに頭を突っ込む。
「こらこら、そんなにいっぺんに食べちゃだめ」
あわてて子やぎを押し戻し、葉を差し出す。
「旅行には行かないからな」
隙ありとばかりにシュクロは言い放った。
「いえ、とりあえず一旦それは置いといてください。順番にいきましょう」
「ああ? 置いといていいのかよ」
「エチェット・カウラニーという人を知ってますか?」
無言。
これは核心をついたのか、逆に大きく外したのか。 しばし黙ったあと、シュクロは沈黙に耐えかねたように口を開いた。
「その人が何?」
これは知っていると捉えていいだろう。
「今回のことに関係あるんですか?」
「今回のことって何?」
全部すっとぼける感じで終わらせようとする空気だ。エリッツは空になってしまったかごにしつこく頭を突っ込んで来る子やぎをなでる。もっと葉っぱがあればいいのに。
「シュクロさん、おれ、できればシュクロさんを助けたいんですけど」
シュクロは地面の草を小枝で無意味に掘り返している。それからおもむろに顔をあげてエリッツを見た。
「ばーか」
嘘、そんな子供みたいなこと言う?
「シュクロさん、ちゃんと話し合いましょう。こっちはこっちでシュクロさんを旅行に連れて行かないとまずいわけで、シュクロさんはシュクロさんで困ってるんでしょう? 何とかこう、お互いうまい具合になる方法とかを、こう、一緒にですね……」
シュクロは草を掘り返しながら、探るようにエリッツを見る。
「お前に何ができる?」
「そ、それは、ちょっと状況を確認しないことには、ですね」
「状況って何?」
全然取り合ってくれない。もう行き詰まっている。シェイルならもっとうまく立ち回るはずなのに。どうして自分はこうなってしまうのか。「はあ」と大きくため息をついてうなだれる。子やぎがもっと食べたいとエリッツの髪をむしゃむしゃやり始めたが、抗う気力もない。ここからどうすればいいのだろう。
「なんだ。もうおしまいか。大国レジスの高官っていってもこんなもん? たいしたことねぇな」
自分のことはともかくカーラやギル、バルグたちまで悪くいわれるのは心外だ。エリッツはぐっと顔をあげる。むしゃむしゃしていた子やぎが驚いて一声鳴いた。
「シュクロさん、誤解しないでください。たいしたことないのはおれだけです」
「いや、それは力強く言うこっちゃないだろ」
「でも本当なんで。あと、あんまりそこばっかり掘らない方がいいです。庭師さんに叱られるかもしれないです」
エリッツの意味不明な剣幕に押され、シュクロがややたじろぐ。「あ、そう?」と、身を引きながら、手持ち無沙汰に地面掘っていた枝を放った。
それを見守り、エリッツは袖でぐっと頬を拭って立ち上がる。半分泣いていた。
「出直します」
「え、早ッ! 早くない? あきらめるの早くない? 泣くのも早いし」
「だってシュクロさん、全然話をする気がないじゃないですか」
「こっちはこのまま生き延びて、時間稼ぎかできればそれでいいの。どうにかしようとしてくれるな。余計なお世話だ」
シュクロは疲れたように首を振る。
「でもレジス国王陛下はシュクロさんを城の敷地から出そうとしてますよ? おれ達が失敗しても他の人が連れ出そうとします。おれ達はシュクロさんと話し合ってお互いいい感じになるようにしようと思ってますけど、次にこの任務を担当する人は縛り付けて無理やり外へ連れ出すかもしれませんね」
やけくそになって放った言葉だったが、シュクロがふと考えるような顔をする。長い間、沈黙が流れた。
「――エチェット・カウラニーの話からすればいいのか? この名前が出るってことはある程度知ってるんだろ?」
何も知らない。しかしどうやら糸口をつかんだようだ。
「はい!」
「嘘ついてんじゃねぇよ。何だよ、その顔。今、『知らねぇ』って顔したろ?」
また顔に出てしまった。
「まあ、いいや。お前ごときに言いくるめられたみたいで癪だが、確かにこのまま無理やりよくわからん場所に連れ出されるよりはマシかもしれん」
噂通りルグイラでは水面下で覇権争いが勃発していた。現王は高齢で次期国王の候補者はすでに決まっているのだという。しかしそれに異を唱える集団があるらしい。よく聞く話だが、よく聞くからこそ、頻繁に起こる事象なのだ。現王が健在であるレジスではまだそれほどではないが、すでに火種は散見される。
「エチェット・カウラニーはたまたまルグイラに来た旅人だった。何の変哲もない、本当にただの旅人だったんだが――」
ルグイラの現状を簡単に説明すると、シュクロは帳面わ広げて待機しているエリッツを見て眉をひそめた。
「はじめに言っておくが、そんなに背筋を伸ばして聞く話じゃない。至極簡単な話なんだ。そのとき、俺はすでに逃げ場所を探してルグイラのあちこちをさまよっていた。そこで偶然出会った旅人のエチェット・カウラニーにレジスへ逃げることを勧められて、今に至る。ただそれだけのことだ」
「待ってください。間がすっかすかです」
「なんだと?」
「その、隙間が多すぎます」
「隙間とは何だ?」
やはり真面目に話してくれる気がないのかもしれない。そもそもなぜシュクロは逃げているのか、使者とシュクロはどういう関係なのか、なぜただの旅人であるエチェットを信用してレジスに渡ったのか。すかすかにもほどがあるというものだ。
それともシェイルや殿下が聞いたら「なるほど」とすべてを理解する類の話なんだろうか。
ひとしきり首をひねってから、エリッツはおそるおそる手をあげる。
「なんだよ」
「おれ、バカなんで、最初の方から順番に質問してってもいいですか?」
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