3、密会

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3、密会

ボリビア国第一王子のオブシディアンは、逃げた娘のあとを追いかけようとしたが踏み留まった。 今回のラブラドへ潜入したのは、恋の相手を見つけるためではなかったからだ。 王子が後ろ髪を引かれているのを察して、低い声が背後からかかる。 「、、、追いかけなくてもよいのですか?」 影から様子をみていたのは、彼の護衛の男。細くて鋭い眼に、見る者に頭が切れる印象を与える。さらに、影や町並み、周囲の状況に溶け込むのも上手く、2日とも近くに控えていたのだが、ラズは全く気がついていなかった。 この護衛役のテーゼは、ボリビア国の父王がシディに付けた、腕の立つ20代半ばの男である。 シディの身の安全のためだというが、用心深い王が息子の動向を探らせるための間者でもある。 役に立つので、そのままシディは父王の意向通り護らせている。 そのテーゼはこの状況に少し面白がっていた。 彼の主人の王子が、普段のクールな仮面を外して娘に入れあげる図はこの数年見たことがなかったからだ。 しかも、あっけなく振られている。 ボリビア国第一王子オブシディアンは19才。頭脳明晰、黒髪黒目のきわだった眉目秀麗な、ボリビア国では非常に人気のある、若き鷹である。 彼に、すり寄ってくる女や男も多く、気が向けば抱くこともあるが、多くの場合は適当にあしらっていて、自分から求めたことはない。 だから、王子が自分の部屋に誘うなんて意外であり、興味深くもあった。 「可愛い娘でしたね」 テーゼはいう。 オブシディアンもそう思う。 娘の身のこなしは軽やかで、踊りは見るものを魅了した。 顔を隠してはいても、こぼれる笑顔の気配は、その場を明るくする華があった。 存在自体が、華やかなものをもってるのだ。 彼女にぴったりついていた真面目そうな付き人も、引き留めるのをわすれて、呆けたように見惚れていたではないか。 武器を扱うもの特有の身のこなしから、ラズに付く若い男が護衛役であると、シディは直感する。 彼女の首には、奴隷を表す首輪。 護衛付きの奴隷であるならば、金持ちか身分の高い男の愛人か何かか? とシディは思う。 女の色気を感じさせるにはまだ若い、ま白いきれいな体がいいように扱われるのを想像するだけで、不快に思った。 これは自分でも重傷かもしれないと苦笑する。 キスして浮かび上がってきた体の花の刺青の話は、シディは聞いたことがない。 浮き上がってきたというのは思い違いで、はじめから描かれていたことに気が付かなかっただけかもしれないと思い直す。 「彼女の首には奴隷の印があった。 あれは、藤の花の刻印だった。探れるか?」 テーゼはうなずいた。 「藤の花なら王家の紋章ではありますが、国花でもある人気の花ですし、少し調べておきましょう」 オブシディアンの祖国、ボリビア国は勢力をじりじりと拡大している。 ボリビア国の強力な軍事力が一際目立ってはいるが、近隣の小国を飲み込み続けているのは、現在のシディたちが行っているような、攻略対象国家に対する綿密な情報収集とその分析のおかげであるとも言えた。 父王はこの中原にひしめき小競り合いを繰り返している小国群を、強い武器によりひとつにまとめようとしていた。 花と芸術のラブラド王国は、まだその初期段階。まずは尖兵を放つ。 偵察に入ったところの段階である。 彼らは王家を取り巻くものたちの結束の強さや、実権を握っているものの把握、役人たちの腐敗の現状、軍部の強さ、愛国意識度、国民のふわっとした幸福度などを調査している。 調べたところ、ラブラド国は実権は宰相のベルゼライト家にあり、国民に絶大な人気を誇る王家をうまく国政に使いながら、割合健全な国家運営をしているようだった。 確認事項はほぼ優秀な評価を得ていた。 ただ、ラブラド国内には奴隷制度が残っている。 どんなに幸福度の高い豊かな国であっても、内部にくすぶったものを抱えているものである。 ラブラド国を内部から揺さぶるとするならば、この奴隷制度にまつわる不満をつつくところからかも知れなかった。 オブシディアン王子以外にも、他国を探るものは多く放たれている。 時に自分の目でみることも大事であった。将来、王位を継げば、こうして気軽に他国を歴訪するのは容易ではなくなるからだ。 ボリビアからの使者の付添人にオブシディアン王子は扮している。 昨夜および今夜は、その一行を抜け出してのお忍びである。 彼の胸に熱い想いを残して去った娘は奴隷であった。 何処の国にも多かれ少なかれ奴隷制度が残っている。 政権交代で破れさったもの、国を追われたもの、国が滅んだもの。 彼女はいったいどうして奴隷になってしまったのか、オブシディアンはあわれに思うのである。 お転婆に踊っても品のある身のこなし。 育ちのよさそうな人をうたがわない雰囲気。奴隷でもとても大事に扱われている感じがする。 だが、ラズには自由がない。 自分は国家の奴隷、といった時のそれには、本当に苦しさが伝わってくるようだった。 ラズを捉えるものから解放したい。 オブシディアンはそう強く思ったのだった。 その一年後。 お忍びの二人は祭りで再開する。 「シディ!あなたも来るのではないかと思った!」 ラズは少し背が高くなっていた。 今年はフクロウではなく、巨大なメガネの面だった。 長い綺麗な髪は三つ編み、銀に光る首輪も変わらない。 シディは変わらず鷹の面。 「祭りぐらいしか自由がないのだろう?」 踊りを今年も存分に楽しんで、息を切らしたまま、二人は輪の外にでる。 喧騒を避けて、静かな通りを歩く。 「君の護衛は?」 「いる。だけど、そっとしておいてと頼んでいるから大丈夫。 去年はその、ごめん。わたしは、見た通りのものではないから、今を楽しむことしかできないんだ」 見た通りのものではないと、再会したラズは去年と同様にいう。 「それは俺も同じ」 とシディもいう。 えっとラズは顔をあげたので、ひょうきんなめがねの仮面を取り去った。 不安げなブルーグレーの美しい瞳が、シディを見あげていた。長いまつげが頬に影を落とす。 シディの一年間想い続けて美化された記憶の娘以上に、再会したラズは艶めいて真珠のように美しかった。 知らず、そのなめらかな頬に手を滑らせる。 「あなたは外国から来ているのでしょう? 微妙に発音が違う。東の方の発音のよう。その事を言っているの?」 ラズはいう。 ははっと笑った。発音が違うと指摘されるのは久びさだった。 「すごいな、わかるのか?」 「もちろん。いろいろわかるよ。 発音からでもわかるし、言葉にしないところでもみんな言葉を発している。本当のことをいっているのか、そうでないのか、表情も語る。声からもわかる。あなたは、、」 ラズも手を伸ばして鷹の仮面をとった。 「あなたは、東の異国の人だ。 去年はしなかった血の臭いもする。 手に剣タコ、剣術もとても強い。とても苦しんでいる。危険な人、、、命を狙われるような仕事をしているようだ」 「すごいな」 シディは感心した。 「あなたを奴隷から解放した時には、諜報活動にでもスカウトでもしようか」 ラズは目を丸くした。 「奴隷からの解放って無理だよ!」 シディは銀の首輪に触れる。 「これを外して差し上げたいのだ」 そのまま顎を挟み込んで顔を上に向かせた。 なぜか辛そうな表情をラズはしていたが、かわまずキスをする。 去年のキスとは違って、落ち着いたキスがシディの唇に舌に応えた。 「キスだけでごめん。わたしはあなたのことがたぶん好きなのだと思う」 ラズはすいと、シディから離れた。 今回は直ぐに彼の護衛役の若者が現れる。 仮面をしていても殺気だっているのがわかる。 ラズがシディと密会するのが殺したいほど嫌なようであった。 「来年もまた会えればうれしい」 悲しくラズは言い残して去っていく。 だが、今回はその後をテーゼが追う。 城に吸い込まれるように消えるところまで見る。 「やはり、王宮の奴隷か、、」 三度目にラズと別れたオブシディアンは、この美しい王国を手にいれて奴隷を解放することを、決意したのだった。
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