ビーフボール

1/1
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

ビーフボール

 昼のオフィス街。  雑踏の中を縫うように、いつもの道を歩む。  交差点の角を曲がると、オレンジ色の看板が視界に入ってくる。  俺は歩みを進め、その店の中に入ると、ほぼ満席で、俺と同じようなスーツ姿の男たちが、背中を丸めて牛丼を掻き込んでいた。 「こちらの席あいてまーす」  店員に導かれ、俺は空いたばかりの席に腰を降ろすと、前の客が食べた、汁の残った牛鍋が店員の手によって下げられた。  盆の下からテーブルに張られた広告があらわになり、そこを店員が青い布巾で拭いていく。  その白く細い手が動くのをぼんやり眺めつつ、広告に書いてある文字も見ていた。 『定期券販売中! 有効期間四月一日から五月七日日まで』  その文面で、ふと、あることに気がついた。  ちょうど今で百回目になるのだ。  定期券を購入し、この牛丼屋に通いだしたのが、だ。  俺が定期券を買ったのが四月二日であり、今日は五月五日。  繁忙期で仕事が忙しいこともあり、俺は定期券を購入してから毎食ここに食べに来ている。  ほぼ一ヶ月間、家には帰れず、会社の近場にあるビジネスホテルで寝泊まりをして、メシはこの店で済ませていた。 「ご注文お決まりになりましたらお呼びください」 「じゃあ牛丼大盛り汁だく卵」 「大盛り汁だくと卵ですね」  店員がメニューを確認してオーダーを飛ばす。  見るからに若い高校生のバイトといった感じで、入学してすぐにバイトを始めたばかりにしては手際がいい。  この子は将来有望だな。 「大盛り汁だく一丁、卵いっこぉ」 「ありがとうございまーす」  厨房の方から感謝の念など微塵もない声が返ってくる。  毎度のことながら昼は忙しいのだ。  牛丼を盛ってる人はカウンター側のことを気にしている余裕などなく、目の前のオーダーを捌くことだけに集中しているようだ。  それが別に気に食わないという訳ではない。むしろその方がいい。  少ない昼休みの時間はサラリーマンにとってはものすごく貴重なのだ。  懇切丁寧な接客よりも、最低限の接客で早くメシにありつけることの方が重要なのだ。  たまに店員が無愛想なことに腹を立てるじーさんばーさんかいるが、テメーのいちゃもんのせいで会計待ちとオーダー待ちが増えていくことに気がついていないのだろう。  ワンコイン程度の飯屋の接客に一体何を期待しているんだろうか?  付加価値?お客様は神さま?  そんなもんはクソ喰らえだ。  俺たち企業戦士にとって出勤日はいわば戦場。  戦場で店員の丁寧な接客の中、高級フレンチのフルコースを食べるとでも?  普通に考えればレーションだろう。  なにせここはコンクリートジャングルの中のバトルフィールドなのだからな。  どんな時でも、それこそ休憩中にですら、電話で無理難題を言ってくる上司やクライアントに対して即時対応が求められるのだ。  素早い食品の提供と一気に掻き込める牛丼は、現代社会においてレーションといっても過言ではない。  定年退職した暇なじーさんとばーさんは、どうやらそれを忘れてしまったらしい。  平日のオフィス街のファストフード店で御大層な物を所望するなんて馬鹿げてる。  そんなもんがいいなら住宅街にひっそり佇む喫茶店にでも行って、お高いブランチでも頼みやがれ。  俺は実際にクレーマーがいるわけでもないのに、妄想の敵を脳内に作り出しては勝手に怒りのボルテージを上げた。  どうやら連日の出勤でたいぶストレスが溜まっているらしい。  些細なことで感情を爆発させる、なんてことがないよう気を付けなければ。  俺は鼻から大きく息を吸うと、ちょうど厨房の方でしょうが焼き定食でも作っているのだろう、芳ばしい香りが鼻腔をくすぐってきた。  その香りのおかげで若干の落ち着きを取り戻す。 「お待たせしました。牛丼の大盛りの汁だくと卵です」  そこへちょうど頼んだ物が来る。実に良いタイミングだ。 「ごゆっくりどうぞ」  店員は微笑みと共にそう言うと、また忙しそうにカウンターを行き来する。  まだ幼さの残るあどけない表情に、俺の乾ききった心が僅かばかりの潤いを取り戻す。  かわいい。  向かいの席の客にしょうが焼き定食を置いた店員が横を向いた際、俺はすかさず店員のネームプレートを確認した。 (笹山って言うのか……)  パートのおばちゃんや中国やインドから来たカタコトのバイトの兄ちゃんたちの笑顔の接客には心を動かされない俺だが、さすがにかわいい顔をした店員の笑顔の接客には心を動かされてしまう。  どうやら自分の予想以上に肉体的、精神的に疲労が蓄積しているらしい。  しかし今はそんなことに思考を割いている余裕はない。  俺は一刻も早く食事を済ませ、見積書を作成しなければならないのだ。  俺は牛丼と卵の乗った黒い盆をベストポジションに移動させ、テーブルに備え付けてある四角くて黒い箱の蓋を取る。中には銀色の小さいトングの先端が、紅しょうがの液に浸されていた。  紅しょうがを補充する時は、なるべく水気を切ってこの黒い箱に入れるはずなので、減り具合を見ただけで、昼のピークがそろそろ終わる時間なのだろうということがわかった。  もう少し遅い時間に来ればよかったか?  そんな考えが脳裏を過るが、明日にはクライアントに見積書を提出しなければならないし、今日は今日で仕事を早く切り上げて家に帰らなければならない。  俺はボロアパートの一室を借りているのだが、今日の夕方に配管工事の業者が来て、上下水道の配管をチェックするのだという。  大家いわく、来年の夏ごろを予定して、アパートをリフォームするか、その費用がかさむのなら、取り壊して駐車場にするとのことだった。  引っ越し先のことも考えとかんとなぁ。  そんなことを考えながら、丼のふちに卵をぶつけて殻を割ると、牛丼の中心を箸でほじくり、そこにできた穴に卵を流し込んだ。  約一ヶ月で百回も行った動きだからだろう。他の事を考えていても、極めてスムーズに、卵の白身や紅しょうがをこぼすことなく、箸で白米をかき混ぜることができた。  この白米と卵のかき混ぜ方に、俺は少しばかりこだわりがあった。  他人から見れば実に変わった食べ方らしく、同僚と食べに来た時も、「なんだよそれ」とからかわれたのだ。  そんなに変わった食べ方なんだろうか?  まず始めに、牛肉と玉ねぎを箸で引っ掻くようにして、丼の端の方へ寄せる。ドーナツ状になったビーフミステリーサークルの中心には茶色の汁に濡れた白米が姿を現すのだ。  次にその中心部に箸を突き込み、十字を切るようにして白米をほぐし穴を開ける。  この時、丼の底が見えるまで深く大きな穴は開けないのがミソだ。目安としては丼の底に汁が溜まっているのがちょっとだけ見えるくらいの深さにするのがベスト。穴が深すぎると、流し込んだ卵が底の方へ行きすぎてしまうからだ。  そうやって程好く開けた穴の中へ卵を流し込む。白身はスルスルと穴の中へ吸い込まれ、黄身だけがビーフミステリーサークルと共に残るのだ。実に旨そうな見た目だ。  そして一番重要な混ぜる行程に入る。  まず箸を黄身に刺し、小さく回す。この時箸の動きをビーフミステリーサークルまで広げてはならない。  ある程度黄身が崩れたら、箸を持っていない方の手を丼に添えてそっと丼を回転させる。  茶道で茶を飲む時の動作に似ているがワビサビなんてものはない。  丼を回しつつ、箸の回転を大きくしていくのだが、ただ箸を動かすだけでは具と飯が混ざってしまい非常に見てくれが悪くなる。  だから俺は牛肉と白米の境界線上を軸として箸を動かすのだ。船を漕ぐときのような円を箸で描きながら、丼に添えた方の手も動かし、そちらも回転させていく。  こうすることで、二つの回転は複雑な物理運動を産み出し、牛肉と玉ねぎの下で激流の如く撹拌される。  それにより牛丼の見た目を崩すことなく白米に卵を行き渡らせることができるのだ。  いくら味は二の次三の次、食べられるのが早ければ良い、と言っても、流石に家畜の餌みたいな様相の物を五臓六腑に染み渡らせるのは御免被る。  仕事で磨耗させられた精神が更に削られ無いようにするための、ささやかな抵抗なのだ。  俺は箸先で具を少しだけ押しやると、そこから黄金色の米を箸で掬い上げ、スルスルと胃袋へ流し込んでいく。  始めの方で牛丼の具に手を付けてしまうと、最後の方で米が残ってしまうのだ。この食べ方はそれを防ぐためのものだったのであるが、一緒に牛丼を食べたことのある知人には、誰一人として理解されなかった。 「笹山くん、カウンター変わるからそろそろアガって良いよ」 「じゃあお願いします。四番の方は代済みです」  俺が半分ほど牛丼を掻き込んだところで、パートらしきおばちゃんが店の奥から出てきた。  なんだよ。せっかくカウンター業務がこの笹山という店員のままだったら、会計の時にお釣りが多く出るように工夫して手を触る機会を多くしたってのに……。  少々残念な気持ちになる。  妖精がダンスをしているような、笹山店員の仕事振りを眺めることができなくなるのがわかったので、一刻も早く店から出たくなった。  おばちゃんの四股(しこ)を踏むような足音と、猪のようにカウンターを行き来する様を眺めながら飯を食う趣味はないのである。  俺は大口を開けて残りの牛丼を胃に流し込み、最後に残った肉の一切れで、丼に残った米を綺麗に(ぬぐ)うと、それも口の中へ放り込んだ。 「おあいそ」  お冷で口内をスッキリさせて立ち上がる。  おばちゃんが満面の笑みでドスドスいわせながら走り寄ってきてオーダー表に書いてあるメニューをレジに打ち込んでいく。 「はい、牛丼の大盛りと生卵で六百二十円になります。定期券ご利用で五百四十円ですね」 「ニャオンで」 「こちらの方にお願いします」  レジから「ニャオン」と鳴き声が上り、おばちゃんが客層キーを叩くとレジからレシートが出てきた。  おばちゃんは俺が二十代から三十代に見えたらしい。確かに正しくはあるが、もうじき四十路に突入する身としては、なんだかちょっとうれしい。  そうなるとおばちゃんに情が湧き、猪に例えたのが申し訳なくなってくる。ごめんよ、おばちゃん。 「ありがとうございました」  おばちゃんの快活な言葉に後押しされ、俺は店を出た。  すぐ隣の雑居ビルには居酒屋が入っている。おかげで入口には灰皿が設置されているのだ。  俺は懐から加熱式タバコ「Glew」の本体を取り出し、レギュラーのスティックを穴に射し込んでスイッチを押す。  待つこと三十秒。赤い本体がブルリと震えて加熱完了の合図を出した。  …………至福の一時。  満腹になると喫煙衝動が刺激されるのは愛煙家の性である。  ニコチン摂取による些かの酩酊に意識を呆けさせていると、肩にトンと何かが当たった。 「すっすみません」 「あ、こちらこそ」  咄嗟にこちらも謝り返し、一歩横にずれながら声の方へ向き直ると、そこにはパンクバンドみたいな出で立ちをした若い子が立っていた。肩にはギターケースを掛けているので、実際にバンド活動もしているのかもしれない。 「あっあなたは……」 「君はさっきの……」  顔をよく見てみれば、さっきまでカウンターを可憐に行き来していた笹山店員であった。  ショートボブの黒髪にのから覗く耳にはピアスをしている。首からはドッグタグも下げていた。  飲食店でのバイト中はピアス類はNGだから外していたのだろう。  牛丼屋の制服姿からあまりの変貌振りに、暫し唖然としながらその姿を見つめるしかない。  服装や髪型で印象というのはここまで変わるものなのか。  そんなことを考えながら水蒸気の紫煙を吐いた。 「お客さん……最近は毎日食べに来てくれてますね。ボクはゴールデンウィーク中、毎日シフトに入ってましたけど毎回見かけました。すごく牛丼が好きなんですね」 「まあそうだな。ここ一ヶ月ほど毎食牛丼を食べに来てる。ハンバーガーより腹持ちするし、安いからな」 「一ヶ月間毎食! 栄養片寄りませんか?」 「片寄るよなぁ。とはいえ今日はもう家に帰るし、明日はクライアントとの打合せがあるからね。牛丼は食べに行かないだろうなぁ」  健康診断ではコレステロール値がC判定だったのにも関わらず、毎日牛丼を食べるという暴挙に、我ながら呆れを通り越して感心してしまう。 「ボクも徹夜明けのバイトだったんですよ」 「若いなぁ。あんまり無茶すると体壊すぞ」 「お客さんには言われたくないな」  むぅっと頬をふくらませ抗議する姿がなんとも可愛らしい。 「あ、ボクもう行きますね。十五時から借りてる部屋の配管検査があるので」 「ああ、じゃあね。ギターの練習も頑張って」 「さようなら。また食べに来てくださいね」  そう言って笹山店員は去って行った。  うん? 午後から部屋の配管検査?  自分の予定とまったく一緒なことに、何か運命的な物を感じつつも、きっとこの時期はそういうのが多いのだろうと思い直し、あと三十秒で切れる加熱式タバコを惜しむようにスパスパ吸った。  それから地下鉄に乗り、すっかりログインしなくなったいたスマホゲーを久し振りに起動させながら電車に乗る。  一ヶ月も遊んでいなかったせいでギルドからは除名処分を受けていた。  俺はそのゲームをアンインストールすると、ちょうど降りる駅で電車が止まった。駅内部のコンビニで週刊誌を流し読みしていたが、時計を見ると間もなく三時半になろうとしていた。 「少し急いだ方が良いな」  腕時計を見ながら足早に移動する。  今日の検査を逃せば、後日業者を呼ばなければならず手間が掛かる。  また半ドンの申請をしようものなら、十歳も年下のやり手の女上司に睨まれながら、小言を言われる羽目になるのは明白だった。  女性というものは極めて面倒臭い生き物だよな、そう思いながら鞄から部屋の鍵を取り出す。  長い間触っていなかったせいで新鮮味すら感じる金属の重み。  鍵穴に鍵を射し込みカチリと回すと、ちょうど隣の部屋のドアが開いた。 「特に異常は見当たりませんでした。まあでもだいぶ古くなって来てるので水漏れとかあったら呼んでください。あ、これ渡しとくんで」  隣の部屋から出てきた配管業者は冷蔵庫に貼れる自社の電話番号が書いてある薄いマグネットを隣人に手渡した。 「ありがとうございます」  聞き覚えのある声に、開いてるドアの隙間へ視線をやれば、そこにはさっき会ったばかりの笹山店員が立っていた。 「あ、どうも」  少し驚いた表情でペコリと頭を下げる笹山店員。表札に目を走らせればそこには笹山圭(ささやまけい)と書かれていた。 「丁度良かった。次はお隣の方ですね」 「あっ、どうぞ」 「失礼します」  配管業者はそう言って俺の部屋に入っていく。狭い部屋なので俺は中に入らず、扉の前で待っていることにした。 「ここに住んでたんですね。ビックリしました」 「ああ、俺もちょっと驚いたよ」 「杉田さんだったんですね。引っ越しの挨拶をしようと思ってたのにずっと会えなくてどんな人だろうと思ってました」 「圭くんはいつ越してきたの?」 「ゴールデンウィークが始まる少し前です」 「じゃあ会えないな。俺は四月の始めからビジネスホテルに泊まり込んで仕事していたから」 「それで毎日牛丼を食べに来ていたんですね」 「うちの会社はこの一二ヶ月が一番忙しいからな」 「家に帰ってきたってことはお仕事の方は落ち着いたんですか?」 「ああ、明日クライアントと打合せをしたら次の日から三連休だ」 「明日も頑張ってくださいね」 「ああ」  会話はそこで終わり、圭くんは小さく手を降って扉を閉めた。  会話中に気が付いたのだが、Tシャツにホットパンツというラフな格好の圭くんは極めて凹凸の少ない細い線の体格をしていた。  背中から腰までストンと一直線だったし、細く白い首からは喉仏が出ていた。  つまり、笹山圭という人物は男性にカテゴライズされている可能性が非常に高いのだ。  思春期の頃にグラビアアイドルの写真集を穴が開くくらい毎日見ていた俺がそう思うのだからまず間違いはない。  男の娘が実際にいるなんて夢にも思わなかった。あれは創作物の中だけのファンタジーじゃなかったのか。  俺はそう言ったサブカルチャー的な物にあまり詳しくないのだが、現実に存在するとわかってちょっと嬉しくなった。  男の娘、TRAP、偽娘(ギーニャン)、実に素晴らしいではないか。  そんな人物が隣の部屋に住んでいるのだ。しかもおそらく一人暮らし。  ここはボロアパートで隣の部屋の音も聞こえてくる。  シャワーやトイレなどの生活音もわりと筒抜けになるのだ。  そこまで思考が行くと、体の内から沸々と力がみなぎってくる。  配管業者が部屋から出ていくまで堪えていたが、ドアが閉まると同時にベッドへダイブすると羽毛布団を口に押し当て叫んだ。 「ウオオオ!」  俺は謎の昂りをヤル気に変え、明日の仕事は一刻も早く終わらせて帰るぞと、固く心に誓った。  一秒でも多く、青少年が健全な成長をしているかをこの耳で確かめるためである。  次の日、俺はクライアントとの打ち合せを済ませ、報告書をいけすかない女上司に叩き付けると、大急ぎで帰路に着いた。道すがらの薬局で聴診器を購入することも忘れない。  部屋に着きドアを開けようとすると、なぜか鍵が開いていた。 「閉め忘れたか?」  頭を傾げつつドアを開けると、奥からパタパタと足音が聞こえてきた。 「おかえりなさい」 「圭くん?」  そこにはなぜかエプロン姿の圭くんがいた。しかもよく見るとエプロンの下には何も着てはいないようだ。 「何でここに?」 「昼に大家さんと話しをしていたら杉田さんの話になって……頑張んなさいって言われて鍵を渡されちゃいました。あっ、でもでも、鍵はもう大家さんに返しておきましたよ」 「そうか」  あまりの出来事に思考が追い付かない。 「それでどうしてエプロン姿なんだ?」 「ボクの家族ってみんな女なんですよ。男はボクだけだったんですけど、小さい頃から女の子みたいに育てられたんです。それが何となく嫌で家族との仲が悪くなってたんですね。家族会議で少し距離を置いた方が良いってなって一人暮らしを始めたんです。仲が悪いと言っても家族に負担を掛けるのはよくないと思ったのでバイトを始めたんですよ。そしたら杉田さんを毎日見掛けるようになって、ああ、ダンディーな男の人ってかっこいいなって思ったんです。始めはボクが女の子みたいに育てられたからその反動で憧れてるだけなんだと思っていたんですけど、杉田さんを見るたびに杉田さんのことしか考えられなくなっていったんです。そして昨日ここでお会いした時に気付いたんです。これは恋なんだって。そう思ったらもう自分が抑えきれなくなってどうしようか悩んでいたんですけど、そこで大家さんとお会いしたんですね。最近杉田さんの姿が見えないけどって、そこで昨日見ましたよって会話から、ボクが杉田さんのことが好きなんだって話になったんです。そしたら大家さんが杉田さんの部屋の合鍵を渡してくれて『頑張って』って、それで頑張って部屋のお掃除と夕飯の準備をしたんです」 「おっ、おう……」  圭くんは俺の手を取り部屋の奥へと誘う。 「なに買ってきたんですか? お総菜?」 「あっこれは――」  圭くんは俺の手から袋を取って中を見てしまう。  そして顔を赤らめ視線をさまよわせると、 「杉田さん……新妻ごっこじゃなくてお医者さんごっこがしたかったんですね」 「いやこれはその――」 「いいですよ。お医者さんごっこ。ご飯食べ終わったらしましょう」  圭くんは顔を真っ赤にしながらそう言った。  ~半年後~ 「やっぱりこのアパート取り壊して駐車場になるみたいだな」 「じゃあ引っ越さないといけませんね。次は二人で住めるくらいの大きさの所じゃないと」 「ご家族は同棲のこと良いって言ってるのか?」 「あなたが好きになった人なら問題ないって言われました」  てへへと照れながら笑う圭くん。恋人と同棲すると報告しに実家に帰った圭くんは、その時に家族との不和も解消することができたようだ。 「駅の近くに築二十年のマンションがあるみたいですよ。そこなら家賃も手頃です」 「すぐ近くに女子大があったな」 「むっ」  圭くんが俺の脇腹を小突いてくる。 「ちっ違うんだよ。その女子大って二十年くらい前に生徒の失踪事件があったなって……」 「ほんとですか~?」 「本当だって。それに俺には圭くんだけだよ」 「じゃあ許します」  そう言って二人でまたイチャイチャし始める。引っ越し先を決めるのはまだ先の話になりそうだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!