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「父さん、これあげる」
部活の練習着そのままで帰ってきた彰人は、リビングのテーブルの上に「どさっ」と音を立てて何かを落とした。キッチンに立ったままぼんやりとお茶を飲んでいた俺は、慌てて「お帰り」と声をかけた。
「今日は早かったんだな。で、何をくれるって」
「父さんも絶対知ってるやつだよ、ほら」
「ん?」
テーブルをのぞき込むと、分厚い雑誌。
再び目を挙げて彰人の顔を窺うと、いたずらな笑みを返された。
――確かに知ってはいたが、こんなに近くで見たのは初めてだ。
テレビCMや本屋の店頭でたまに見かける、伝説の結婚情報誌が、我が家のリビングにででんと鎮座していた。
「どうしたんだ、これ? 買ったのか?」
「まさか。西村のだよ」
「西村くん、もう結婚するのか」
「西村の彼女、年上なんだけど、そういうのにかなり憧れがあるらしくて。西村の卒業と同時に結婚したいからそれ読んでおけって言われたんだって」
「はぁ、なるほど……」
ずいぶんと前のめりな彼女さんだ。西村くんが卒業するまであと二年はあるというのに。
表紙を飾るモデルは、定番の白いドレスに、花を編み込んだナチュラルな冠をつけ、こちらに向かって歯を見せている。幸せオーラ全開といった風だが、これを「色んな意味で凶器」と恐れる男性は昔から大変多い。
「それで、西村くんはこれ、読んだのか?」
「さあ、ぱらぱらとは見たって言ってたけど、あいつ適当だからな。部屋に置き場所ないけど、大学で捨ててるところを見られてもまずいからって、押し付けてきたんだ。んで、俺も途中で捨ててこようと思ったんだけどさ、ちょっと面白そうだったから持って帰ってきちゃった」
「面白そう、って……」
「ほら、ここ」
彰人は楽しそうにページをめくり、文字でびっしりと埋まった頁を指さした。
タイトルは、「特集 みんなのプロポーズ」。
「やっぱ、経験者の話が一番じゃん? さっき少し読んだだけだけど、色々工夫する人もいるんだな」
促されるままに記事に目を落とすと、俺のようなオッサンには想像もつかないエピソードが綴られていた。
「その辺はちょっと大げさすぎるけど、こっちはいけるんじゃないかな。こたつで鍋をつつきながらさりげなく、とか」
「さりげなく、っていうのが一番難しいんじゃないか?」
「鍋つついてたら平気なんじゃない? 今日鍋しとく?」
「またそんなせっかちなことを……」
「だって父さん、何にもしないじゃん」
ぐさり、と二十歳の正論が胸に突き刺さる。
彰人は俺と血のつながらない、義理の息子だ。彰人の実の母親・香織は、二十歳の時に一人で彰人を生んだ。その時俺は三十歳で、陣痛で動けなくなっていた彼女を介抱したのをきっかけに、今日まで一緒に住んでいる。
ただし、彼女は俺の妻でも、恋人でもない。俺は言わば、「彰人を育てる」というプロジェクトをサポートする、いちメンバーである。先日彰人が二十歳の誕生日を迎え、そのプロジェクトも終わりが近づいてきている。
その誕生日の夜、俺は彰人に自分が父親ではないことを告げた。そこで止まっておけばよかったのに、告げられたことで気が緩んだのか、俺は二十歳になったばかりの彼に、余計なことを聞いてしまった――
「俺が色々言っても、それは恥ずかしいとか大げさだとか言って。母さんと結婚したいんじゃないの?」
「いや、まぁ、そう、なんだが……」
「そうやってぐずぐずしてるから、こんなに経っちゃったんだろ。そんなんじゃ西村の方が先に結婚しちゃうよ」
「…面目ない……」
彰人は香織にそっくりだ。
昔は十歳年下の香織に言い負かされて落ち込んだものだが、最近は三十も年下の彰人にこうして怒られるようになってしまった。血は争えない、というより、俺が全く進歩していないというべきか。
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