森の河童さん

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森の河童さん

   我は河童である。  時は真夜中。  処は森。  眼前に見えるは、古ぼけた井戸。  そして井戸より煙の如く現れ出でたる、女幽霊。  それは、偶の然。  散歩の途中、我は見つけたのだ。  むう。  やれ、何と奇っ怪な。  とは言え、恨み辛み溢るる現世(うつしよ)。  女幽霊など、それこそ掃いて捨てる程。  だが、我の両の(まなこ)に映る女幽霊は、そこらの女幽霊とは、ちと違う。  何が違う。  足がある?  否。  肥満である?  否。  やけに陽気?  否。  ぬぅはぁふ(ニューハーフ)?  否、否、否っ!  その耳かっぽじって、しかと此を聞くが良い。 「……三十八枚」 「……三十九枚」  女幽霊が発っせしたるは、怨みにまみれた世を研ぐ声。  数えるは、井戸の横に幾重にも積み重なった、皿、皿、皿。  その高さ、我の身長等は比ぶる迄もべく、酒呑みの童子も、森の木々達も、でいだらぼっちさえも見上げるしか、うつ手は無し。  雲を悠々と突き破り、上天に浮かぶ見事な満月に、今にも突き刺さらんとばかり、天高くそびえ立たん皿の搭。  かの有名な「番町皿屋敷のお菊」は十枚目の皿を探しているといふ。  笑止千万。  井の中の蛙、大海を知らず、也。  我は待つ。  急いで帰る理由も無し。  その皿、何枚あるのか。  しかと我も見届けさせてもらうとしよう。  「……百枚」  百枚。  想定内である。  むしろここで終わる等、我が許さぬ。  「……千枚」    我は腰の袋に手をやる。  しゃくしゃく。  うむ。  キュウリが美味し。  「……二千六百四十七枚」  それだけあるなら、一枚割った所で構わぬのでは?  「……五千八百二十一枚」  ……zzz。  むぅ、我とした事が。  「……は、八千五百七十八枚」  掠れる声。  震える手。  是非も無し。  されど、見えて来たるは皿の搭の(いただき)。  涅槃は近いぞ、がむばれ!  そして、  「……九千九百九十九枚」  ぴたと止まるは女幽霊の白い手。  我は(まなこ)を凝らし井戸の横を見やる。  すると、どうであろう。  あれほどに積み重なっていた皿は、もはや一枚も無いではないか。  嗚呼。  我の心に滝を昇る鯉のごとく、感慨がかけ昇る。    数えに数えた皿の数は、何と九千九百九十九枚。  よもや、此処まであったとは天晴れ至極。  これぞまさに「あんびりぃばぼぅ」と云うのであろう。  しかし、人の不幸は蜜の味とは良く云ったもの。  興奮冷めやらぬ我が身を恥じる。  お菊は皿を九枚数えれば良いが、こやつは毎夜毎夜、人も来ない森の奥深くで、九千九百九十九枚の皿を数えておるのだ。  ともあれば、まず皿を積む事から始めるのであろうよ。  一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為。  賽の河原ではないが、この女幽霊も不幸なものよ。  何故、積む時に数えないのか?  合理主義の輩は、時に無粋な事を言うものよ。    おそらく一度では諦めきれず、二度確認しているのであろう。  何と健気な。  さすれば、(いささ)か情も移るといふもの。  我は寝床へと帰る前に、女幽霊へ一声掛ける。 「これ、そこな女子(おなご)よ。我は最初から見ておったが、お主のその執念、真に見事。頭が下がる」  我はそう述べ、(こうべ)をさげた。  すると女幽霊は我をちらと一瞥し、すぐに顔を戻したと思いきや、風神顔負けの速さでもう一度我の方へと顔を戻した。  やれ、なんと忙しい事よ。  む?  此は如何なる事であろう。  女幽霊の伏し目がちであったその(まなこ)が、徐々に見開いていくでは無いか。  否、口もである。  大きく開いた口から見えるは、喉の奥の奥。  今にも口の端と端が、張り裂けんばかりにぽっかりと開いておる。  唐突。 「……一万枚っ!!!?」  女幽霊が叫ぶ。  その声、その表情。  我は驚愕と云う言葉が、此程までにしっくり来た事は、ついぞ無い。  幽霊とは人を驚かせるのが仕事。  そう思うておったが、考え方を改めねばなるまいよ。  と、その時である。  井戸の周りをぐるりと囲むは、天からの光。  女幽霊を纏う白装束には、真に華美な模様が描き込まれ、瞬く間に鮮やかな着物姿へと変わる。  乱れた髪は丸髷へと変わり、彩るは柘植のかんざし。  (かんばせ)には白粉、その口元には艶やかな(べに)が踊る。 「割れたとばかり思っていた一枚が……ようやくありんした……」  その声には、怨みの情念など微塵も感じられぬ。  女幽霊は穏やかなる笑みを浮かべ、我に恭しく御辞儀をし、ふっと煙の如く姿を消した。  ふうむ。  我の頭の皿を勘定に入れるとはな。  何とおっちょこちょいな奴よ。  まあ、されど、許すとしよう。  河童は兎にも角にも、寛大なのである。  どこからか、夜明けを告げる一番鶏の鳴き声が、森に響く。  どれ、頭の皿も乾いてきた。  そろそろ帰るとするか。  ふふ。  何故か。  可笑しきかな、可笑しきかな。  寝ずの見物をしたと云うのに、我の足取りは不思議な程に軽い。  がさり。  腰袋へと手をやる。  そして、一番大きなそれをむんずと掴み、口へと運び、威勢良くかじりつく。  しゃくっ!  うむ、キュウリが美味し。
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