100日

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「朝起きたら、夫が寝室で、あの、首吊りをしていて、息をしてなくて……」 「落ち着いてください。 すぐに向かいます」 夫の死体を目の当たりにして、気が動転したまま救急車を呼ぶ。 その直後に、階段から飛ぶように落ちた。 顔を庇うようにして付いた右腕が、赤く腫れている。 この痛みなら、多分、骨折しているだろう。 通報してすぐに駆けつけた救急隊員や、警察が、夫の部屋に入っていく。 私は部屋の前で、呆然と突っ立っていた。 「亡くなった主人との、夫婦仲は良かったんですか?」 夫の遺体が運ばれた後、警察が私に問う。 包帯が巻かれた右腕で、私はそっと涙を拭った。 「私達には子どもがおらず、夫とは二人三脚でここまでやってきたので……」 「もしかして、旦那の自殺は私が原因なんですか……?」 私が言気を荒らげると、警察は慌てて首を振った。 「いえ……違います。 先程、引き出しの中から故人の遺書が見つかりました」 そう言って差し出されたのは、私への感謝が書かれたノートの切れ端。 「見つけてくださって……本当に、ありがとうございます……」 旦那の自殺は、過労死と判断された。 労働基準監督署により、月に80時間ほど残業をしていることが明らかになったからだ。 そして、その妻も被害者になった。 貴方を殺そうと決めてから、犯行までの100日間。 夫のことが憎くて、苦しくて堪らなかった。 27歳から婚活を始め、30歳で1年前に知り合った夫と結婚。 大卒後から働き続けた職場を寿退社し、夢だった専業主婦になり、すぐに妊活を始める。 優しい夫との、順風満帆な結婚生活が訪れるはずだった。 けれど、1年経っても子どもが授かることはなく、夫に不妊治療を持ちかけた。 「ねえ、そろそろ不妊治療に通わない?」 「不妊治療? そんなの行かなくてもそのうちできるんじゃないかな」 夫には冷たくあしらわれ、一人で婦人科の窓を叩いた。 子宮内膜症だと診断された時、私は運命を呪った。 義妹には3人目が産まれるというのに、私は妊娠することすら叶わない。 けれど、その後の手術で不妊の原因となる卵巣チョコレート嚢胞を摘出し、再び妊活することが可能になった。 夫が不妊治療に通ってくれたのは、それからさらに半年後になる。 「精子が少ない、乏精子症だと思われます」 「自然妊娠は難しいので、体外授精に切り替えましょう」 医師から告げられた言葉に、衝撃とわずかな安堵を感じていた。 私だけが不妊の原因ではない。 それが心の救いでもあった。 義両親から子どもについて心ない言葉を投げかけられたときも、聞き流すことができた。 それからの治療は辛かった。 授からない子ども。 周囲からかけられる言葉の数々。 金銭面はもちろん、体力的にも、精神的にも疲れ果てていた。 それでも、夫だけが唯一の味方だと信じていた。 それなのに…… 「そういえは、拓哉から不妊治療してるって聞いたわ。 うちの娘はもう3人も産んでるっていうのに……」 義母との電話の最中、何気ない会話から子どもの話になり、聞かされた台詞。 何も言い返すことのできなかった私に、義母が追い打ちをかける。 「若い頃から不健康な生活ばかりしてたから、子宮の病気になったのよ」 「孫の顔を見せてくれるのが、一番の親孝行なのに……」 どうして、義母に話したの? どうして、乏精子症のことを伝えなかったの? 私は今まで、一度も貴方を責めたことはなかったのに…… 頭が真っ白になり、視界がぐにゃりと歪んだ。 手から滑り落ちた受話器が、ガツン、と鋭い音を立てた。 3度目の体外受精で授からなかった時、ついに子どもを諦めることにした。 泣きながら告げた私の前で、夫は明らかにホッとしていた。 そして私を避けるように、それまで以上に熱心に仕事に取り込むようになっていた。 酷いときには、3日以上家に帰ってこない生活。 薬漬けになった私を気にも止めず、夫は仕事に走り回っていた。 子どもさえいれば、こんな生活送らなくて済んだのに…… 夫とも、義両親とも上手くやれていたかもしれないのに…… 行き場のない感情が、胸の中でぐるぐると回り続ける。 夫と顔を合わすことも、外に出ることも、家事をすることも、何もかもが出来なくなった。 何日も部屋に引きこもっている私に、夫は何も言わない。 夫は最初から、そこまでして子どもを欲しくはなかったのだろう。 私の気持ちなど考えず、義母に、自分に良いように伝える夫。 私の、子どもへの渇望を1番知っているはずなのに…… 子どもへの執着心が薄れた頃、夫への憎しみだけが私を生かしていた。 『今から100日後に、夫を殺そう』 眠れない夜に、突然閃いた言葉。 100日、という数字に何のこだわりもなく、100日後に何か特別な日があるわけでもない。 ただキリのいい数字が頭に浮かび、それが心に深く刻みついただけ。 その日から、夫への復讐が始まった。 いつも通り、会話のない朝に、顔すら見ない夜。 その生活に復讐の機会などなく、夕飯のコンビニ弁当をやめて美味しいご飯を作るようになった。 何日ぶりかの会話にも、夫は静かに相槌を打つだけで、話を聞いているのかすら定かではない。 夫の目に、私はちゃんと映っているのだろうか。 結婚した頃よりも、痩せて顔色が悪くなり、薬のせいかボロボロになった肌。 当時は「美人だ」と言ってくれた夫も、今は私と目すら合わない。 腐った卵や賞味期限切れのソース。 時には、残飯で作った炒飯を出すこともあった。 ほんの、意地悪のつもりだったのかもしれない。 だから、初めの一口しか食べないだろうと思っていた。 一口食べて、私に怒鳴ってくるだろうか…… もしくは暴力を振るうかもしれない。 それでも、まっすぐ私に向けてくれる視線が欲しかった。 夫と向き合い、私の苦しみををぶつけたかった。 けれど夫は、どんな料理を作っても「関係ない」という風に食べ続けた。 一方通行の気持ちだけが増幅し、殺意が現実味を増してくる…… 100日も時間があれば、首を吊るす為の道具や、過労死と認められる最低ラインを調べることだってできた。 私が犯人だとバレないようにする細工も、ネットで調べ上げた。 時折、優しかった頃の旦那の姿を思い出すことがあったけれど、その度に義母に言われた言葉で上書きをした。 子どもへの気持ちと同じで、少しずつ気持ちの整理をしていった。 明けない夜を、貴方は味わったことがないでしょう? 私の涙の意味すら、貴方は考えもしなかったでしょう? 私の苦しみの半分も、貴方は知らない。 筆跡を真似して書いた遺書。 最初はこんなもの、準備する予定などなかった。 あなたが私を、殺したいほど憎んでいたと知らなければ…… さようなら、愛していた人。
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